見つめる日々

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2005年04月22日(金) 
 目を覚ますと、娘が待ってましたとばかりに「おはようっ!」と声をかけてくる。隣にいない娘の姿を求めて身体を起こすと、彼女は窓際近くに置いてある鏡の前で、保育園の制服に着替え始めているところだった。あぁそうか、昨晩は薬を少し多めに飲んで眠ったのだったと思い出す。「見て、ママ、未海えらいでしょ、自分でお着替え始めてるんだよ、あのね、顔ももう洗ったんだ」と、娘が得意気な顔でこちらを見る。うん、えらいえらい、じゃぁママも早く顔洗って着替えなくちゃね、そう声をかけて、洗面所へゆく。
 慌しく過ぎる朝の時間。いつものように玄関の扉にぶらさがっているカエルにキスすると、娘はスキップで階段の方へゆく。私も鍵を閉めて、外に出る。
 自転車に乗ろうとして気づく。何かおかしい。私は漕ぎかけた自転車からおりて自転車をくまなく見まわす。そして見つけた。後輪のスポークが全部、外れている。いや、折れているというべきなのだろうか。どちらか分からないけれども、どちらにしてもこのまま走るなどできない状態であることには間違いなかった。娘にも歩いてもらい、私も自転車をひきずって保育園へ歩いてゆく。途中、空き地でぽんぽんを探したけれども、とても手の届かない場所にひとつ在ったきり。がっかりした娘は、しょんぼりと歩いてゆく。
 娘を見送って、私はそのまま埋立地の方へ。一面ガラス張りの喫茶店に入り、窓の前のカウンター席に座る。本を開き、ノートを開き、ボールペンを握る。一文ずつノートに書き写し、頭の中でぐちゃぐちゃと捏ねてみる。ばらばらに宙に散らばった文字たちを拾い集め、もう一度繋ぎ合わせる作業。実感を持つことができたら次へ。その作業を、淡々と繰り返す。
 珈琲もすっかり冷めて、二頁ほど進んだ頃、時計が10時を知らせる。私は再び自転車を引きずって、ホームセンターまで出掛ける。
 車の免許を持っていない私にとって、自転車は必需品だ。これがなければ非常に困る。何をするにも困る。車輪を交換すれば何とか使えるのかなと安易に考えていたけれども、そうもいかないようだ。結局、安い自転車を買い直すことにする。
 新しい自転車はひどく軽くて、漕いでいるのか漕いでいないのか不安になるほど。あっという間に家まで辿り着いてしまいそうなので、私は右に左にと横道に逸れる。今まで走ったことのない道をあれやこれやくねくね走る。とある家の玄関先に佇む狸の置物と目があったので、一応こんにちはと言ってみる。また少し走ると、今度は空っぽの車庫の真中に椅子を置いてぼんやり座っているご老人、知らない人だけれども、こんにちはと言って走り過ぎる。階段の脇の家の庭、柑橘がたわわになった樹と出会い、高台の空き地には菜の花が一面に揺れる。ただそれだけの風景なのだけれども、私は少し、呼吸が楽になる。急な角度で下りてゆく階段の一番上に立って辺りを見渡すと、横浜駅の周囲に立ち並ぶデパート群がそのまま見える。しばらくそこに佇み、そして私は再び自転車を漕ぐ。
 ゆっくり走りながら見上げる並木は、みな小さな小さな若葉をくっつけている。瑞々しいその色合い、その感触。さぁこれからどんどん大きくなれよ、そう思いながら、私は自転車を漕ぎ続ける。いつのまにか小学校の近くまで辿り着いていた。その角を曲がればもう我が家だ。ちょうど授業の終わりを知らせるベルが鳴り、しばらくすると子供たちがばらばらと昇降口から走り出してくる姿が見える。ドッチボールを始める子、サッカーをする子、校庭の端っこで何やら秘密のお喋りをしている子。小学校の休み時間、私は何をしていただろう。思い出して苦笑する。あれから一体何年が過ぎたのか。私はもう、こんなに遠く歩いてきたのか。人間的にはまだまだ未熟なのに、こんなに時間ばかりが過ぎてしまった。
 シークレットガーデンの、新しいアルバムをセットする。そしていつもより少し大きめのボリュームで私はその音を聴く。シークレットガーデンが紡ぐ音は、いつでも何故か懐かしい。懐かしく、哀しく、染み渡る。哀しい、確かに哀しいのだけれども、悲しいのではない、甘さと切なさを懐かしさに混ぜたらこんな音色になるのではないか、そんな音だ。独りの時間に聴くのであれば、どんな心持ちであっても聴くことができる、私にとってはとても貴重な音。目を閉じると、まだ訪れたことのない、けれど多分、訪れたならば懐かしくなるのだろう、そんな風景が浮かんで来る。たとえば、視界一面野っ原で、膝丈くらいの草が風に揺れている、広く広く続くその野っ原の先は崖になっていて、その下では波が砕け散っている。私はその野っ原をあてもなく歩きながら、最後、真中にころんと寝そべって、空を見上げる。空は青く青く澄んでおり、私の胸いっぱいに、その匂いが広がる。そしてまたたとえば、樹々生い茂る森の中、薄暗い細道が何処までも続いている。その細道を、私はこっそりと歩く。足音を立てないように気を付けながら。どんなに耳を澄ましても、何の音も聞こえないような、そんな完全なる静寂が世界を包んでいる。細道は何処までも続いており、私はだから、何処までも歩いてゆく。するとふっと樹の茂みが途切れる。そこには小さな池があり、手を浸すと何処までも冷たくて透明で。水面に映るはずの私の姿は、ただ薄暗い影のみで、顔も何も見分けはつかない。そして振り仰ぐと、空を覆い隠すように伸びる樹の枝々。何処までも何処までも静寂が辺りを包み込む。そして私は独り、池の縁に座っている。そんな風景。
 突然窓の外で雷鳴が響いた。振り返って外を見ると、激しく雨が降っている。私の部屋の真上の空は真っ黒、でも、西の地平線辺りは雲は途切れ、明るい空が見えている。まるでこの場所だけが雨に襲われているみたい。私はしばし、窓の外をじっと見つめる。
 ピアノの音色。バイオリンの音色。人の声色。スピーカーから零れて来るその音が、雨と絡み合い、微妙な色合いを見せる。私はその音に寄りかかり、ぼんやりと、ただ外を見やる。
 ぼんやりとした心の膜に、幾つかの顔が浮かんでは消える。あぁあれはあの人だ、今頃どうしているんだろう、あれはあの人か、そういえばあれからもう何年が過ぎたろう、あれはあの人だ、今何をしているんだろう。
 全てがもう過去だ。浮かんで来る顔の全てはもう過去の中に在る。なかには、今に引っ張り出してきたい人も何人かいるけれども、それはできない。もう交わらない、あの人たちとの緒はもう、切れてしまった。繋ぎ合わせることは、今はもう、できない。
 窓の外、激しかった雨が少しずつ少しずつ弱まってゆく。じきに止むんだろう。だって空は明るい。西の空では太陽の光が雲間から真っ直ぐに降りてきている。その色は淡い橙色で、なんだかとても優しい。あの光に包まれたなら、天にのぼってゆけそうな気がする。
 もう終わった、叶わなかった願いを何処までも引きずるより、もしかしたら叶えられるかもしれないことに手を伸ばす方がいい。結局そこに手を届かせることができなかったとしても、届くかもしれないというそのことに賭ける方がいい。
 時計がリリリと時間を知らせる。あぁそろそろお迎えの時間だ。これを書いたら私は、椅子から立ち上がり、窓に鍵を閉めて、部屋を出るだろう。そして、娘が待つ保育園へ自転車を飛ばすだろう。雨はもう止んだ。雨の通り過ぎた後の街景は、雨に洗われて瑞々しさを放っている。こんなにごみごみと屋根が重なり合う街景であっても、それは美しい。


遠藤みちる HOMEMAIL

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