2005年06月19日(日) |
朝目を覚ます。いつもとなりにいるはずの未海の姿がここから消えて、もうどのくらい経つだろう。からっぽの隣の空間を見つめつつ、ずいぶんと慣れてきたはずの寂しさと切なさとを心の中でお手玉のように放っては拾う。寂しくて切ないのは私だけじゃない。比べるようなことではないけれども、でも、一番寂しくて切ない想いをしているのは多分、未海だ。私は、小さく声に出して「おはよう」と隣に声をかけ、起き上がる。 窓を開けベランダに出ると、少し湿っぽいながらも気持ちのいい風が吹き抜けてゆく。私の髪の毛をふわりと撫でながら過ぎてゆくその様。風なんていうものを考え出しこの世に作った人はいったい誰なんだろう。その人に聞いてみたい。何故風を作ったのか、を。私にとって風はなくてはならない存在。いや、もちろん、水や雲や空だってそうだけれども、そういった自然界に存在するものたちの当たり前さが、私には時折猛烈に不思議に感じられる。 サンダーソニアがあの澄んだ橙色の花をつける。ちろりちりちろりんと、風が吹くたびに音を立てる。いや、実際には音はしていない。ただ、見つめる私の目の中で音がするだけだ。錯覚だと知りつつ、私はそれでも、しばしその鈴の音のような音に耳を澄まさずにはいられない。ちんちろりん、ちろちろりん。風が吹くたび花が鳴る。そしてその音はやがて、辺り一面に広がってゆく。 今年は本当に薔薇の樹が災難続きだ。うどんこ病だけじゃない、さまざまな病気の間を次から次に転がっている。ようやくついた蕾も、あっという間に病に冒され、みすぼらしい姿になってしまう。私は水をやりながら、彼らに今日も話しかける。がんばってね、花を咲かせなくたっていいから踏ん張ってここを乗り越えてね。如雨露からこぼれてゆく水に乗せて、私はそう繰り返す。 一日がいつの間にか始まり、いつのまにか夕方になる。夕方になると私は徐々に徐々に不安になる。何が不安になるのか、それはよく分からない。理由などまったくなくても私は不安になってゆく。そして気づくと自分の意識は遠のき、いつのまにか刃に手を伸ばしている。その刃で手首を切る。血が滴る。床にぽたぽたとたれる血のしずくは、鮮やかな紅色をしている、いや、紅じゃない、朱赤の方により近いかもしれない。私は腕から血が伝って地に堕ちる様を目の端で捉えながらも、なお切ってゆく。 いったいそれに何の意味があるのだろう。切って血が滴る。それに安堵する私の思考回路は、いったいどうなっているのだろう。頭の中をかち割ってその回路を見てみたい。確かに安堵するのだ、そう、確かに安堵はするのだ、まだ自分がこの世に生きているそのことが血の滴となって私に教えるから。けれど、そんなことをしなければ自分の存在を確かめられない、確信できないこの自分というのは、いったい何だというのか。 それでも、少しずつ少しずつではあるけれども、切る頻度は減ってきている気がする。気のせいかもしれないけれども、それでも減ってきていると思う。そうやっていつか、まったくしないでも過ごせる日がやってくるだろうか。必ずやってきてほしい。いや、必ずその日を自分の手で掴み取ってやろう。でなきゃ、いつまでもこの螺旋の迷路を私は歩き続けることになってしまうのだから。 人はよく明確な理由や原因を求めるけれども、そんなもの、本当にあるのだろうか。なんとなく、ただなんとなくそうなってしまう、そうするしかできなくなる、そういうことの方が実は多いんじゃぁなかろうか。理由や原因なんて、後になって思いつくもの。いい結果に結びつけるために理由や原因を追求することは必要なのだろうけれども、理由や原因を押し付けてしまわぬよう、気をつけた方がいい。押し付けほど重苦しいものはないのだから。
立ち上がり、ベランダで思い切り伸びをする。見上げる空は雲に覆われている。けれど重苦しいわけじゃぁない。薄い薄い雲だ。私はまぶたを閉じて深呼吸をひとつする。ただそれだけのことだけれども、深呼吸を忘れる日のなんと多いことか。 ちろちろりん。ちんちろりん。あぁまた、花が鳴っている。 |
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