2005年08月07日(日) |
娘と手を繋いで歩く。夏の日差しが私たちの肩や背中を焼いてゆく。だから私たちは、暑いねぇ、と言いながら歩く。 あ、あっちに今蝉が飛んでった。あ、ほら、こっちもだよ。あ、みう、止まって、そこに蝉がいる。散歩している最中に、樹の枝から家々の壁から足元から、ありとあらゆるところで蝉と遭遇する。そのたび私たちは、指先でつついてみたりする。 来週からまた一緒にいられる時間が増えるよ。私は心の中で彼女に話しかける。それを知ってか知らずか、彼女は私と手を繋ぎながら、あっちこっちに目を配っている。ほらママ、あそこにいるのホオジロだよ、あっちはヒヨドリだよ、ほら見て! じぃじばぁばに教えてもらった鳥たちが脇をすり抜けるたび、大きな声で彼女は私に教えてくれる。娘は、いつの間にか私などよりもずっとたくさんの鳥の名前を覚えてしまった。それだけ時間が経っているのだなと改めて思う。 この頃の自分の調子や状態を省み、自信を失いかけていた私に、友人が言う。「あんたは離婚してからしっかりひとりでやってきたじゃない。金が足りなきゃ夜のバイトまでして、それでも毎日笑ってみうちゃん育ててしっかりやってきたじゃない。大丈夫、数ヶ月娘と離れてたからってどうってことない、リストカットなんてどうってことない、あんたはちゃんと自分の足で立ってるよ、そんな自分を信じなさいよ!」。真夜中、殆ど怒鳴り声に近いような声で叱咤激励してくれる友人に感謝しつつ、あぁそういえば、必死にひとりで頑張ってた時期があったなぁと思い出す。そういう時期があったから、父母との縁も今こうやって再び得られるようになったんだったなぁ、と。 でもさ、そんなことないんだよ、みんながそうやって助けてくれてたから私ここまでやってこれたんだよ、と私が言うと、友人がまた畳み掛けるように言う。それはあんたが必死に自分の足で立とうとしてるのが分かったから側にいただけだよ。依存するような奴だったら私は友達やめてたね。あまりの辛辣な彼女の言葉に私が笑い出すと、彼女も一緒に笑い出す。それにね、あんたは私が一番きついときずっと側にいてくれた、私がどんな理不尽な言葉吐いても側にいてくれた、だから私も側にいる。そう断言してくれた彼女の言葉に、私は急に涙がこぼれて、笑いながら泣いた。 私はそんなたいそうなことしてないよと、心の中で思ったけれど、声にならなかった。泣いてる私の背中をばしんと叩いて、彼女が続ける。自信もて! あんたはひとりでもちゃんと立ってた、今も必死に崖っぷちだけどちゃんと立ってる、だから私もここにいる、それだけのことだ、そんな自分の底力を信じろ! ぺろっと舌を出してにぃっと笑う彼女の顔が目の前に突き出され、私は余計に泣き笑いする。ありがと。そう一言言うのが精一杯だった。 そうだった、私は、結婚している最中、元旦那が労働を放棄したとき、自ら夜のバイトに飛び込んだ。反吐がでそうになりながら、毎晩毎晩働いた。それだけじゃ金は足りないと分かっていたけれど、それでも必死に働いた。働きながら昼は昼で家事をこなし子供の世話をし。そして離婚したらしたで、必死になって働いた。自ら決めて選んだ道、誰からの援助も期待できない生活でも、私は何とかやってきた。確かに今、年老いた父母が娘を預かってくれ、たくさんの友人が私を気遣い、そんな多くの人の厚意の中で私は生活している。だからって、自信を失う必要なんてないんだ。むしろ、そういう人たちにこそ深く感謝し、なおかつ自分を信じ、歩いていけばいい。 私が元気になることを、かつて絶縁していた父母も今は心からそう望んでくれている。いや、何よりも何よりも、娘が私を待っている。そして、ずっと見守ってくれている友人たちも、私がまた自分の足でしっかり立つのを待っていてくれている。 だから大丈夫。そう、私は大丈夫。 今、夜が明けてゆく。多くのものが失われゆく中でも、この掌の中、ちゃんと残っているものがある。私はそれを信じ、自分の力に変えて、この足で歩いてゆけばいい。それがどんなにみっともない道であっても。でこぼこの道であっても。
今、夜が明けた。さぁ、私の今日がまた、ここから始まる。 |
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