2005年10月08日(土) |
朝何よりも最初に私が為すことは、窓を開けることだ。娘におはようと声をかけながら、通りに面した窓を全部開けてゆく。それが半分でも全部でも、とりあえず開けないと気がすまない。窓を開け、そこから風が滑り込み、部屋を通ってゆかないと、どうも気がすまない。だから私は今日も窓を開ける。 毎朝少しずつ、温度が低くなる。開けた瞬間、あぁ空気が心地よいと感じられるのも、多分あと僅かな時間だろう。じきに、ぶるりと首を竦めるような大気に変化してゆくに違いない。季節はあっという間に移り変わってゆく。 久しぶりに雲間から日差しが零れる。陽光が街路樹に降り注ぐ、街路樹の足元からは薄い影が伸びる。その影はまるで日時計のように、私に過ぎゆく時の速度を教える。だから私は、その影の長さや向きに追い立てられるかのように、洗濯機を数回回し、布団を干し、箒を動かす。 実はこの一ヶ月近く、私はかなり酷い鬱状態に陥っていた。朝目を覚ましても身体を起こすことが苦痛で、とはいっても娘を保育園に送っていかなければならないから這いずるようにして寝床から起き上がる、でも、それを済ませると、まるで布団に穴が開いているんじゃなかろうかというほど深い闇に再び落ち込んでゆくのだった。結局朝から夕方まで、寝床から起き上がることが殆どできず、とりあえず起き上がるのはトイレに通う為だけ、という状態がしばらく続いていた。今もそうだといえばそうなのだけれども、先日処方してもらった薬のおかげで、ようやくここ数日、起き上がることができるようになった。薬のおかげとはまさにこのこと。そう思うほどに、薬とは何と威力を持った代物なのかを痛感させられて、正直ちょっと怖くなる。こんな代物を飲み続けて十数年、本当に自分はこれで大丈夫なのか、と。だからといって、今自分からこれらの薬を遮断したら、多分私の日常は成り立たないのだろう。今は薬で調整しなければどうにもならない自分の正体もこれでもかというほど思い知っている私は、とりあえずぶるんぶるんと要らぬ考えを頭から追い出し、とりあえず動けるうちにとあれやこれや用事を済ます。
夜になって、雨が降り出す。激しく降りつけたり、かと思うとぱたりと止んだり。その繰り返しだ。この分だと、明日晴れたとしても、校庭はぐしょぐしょの状態だろう。運動会は大丈夫なんだろうか。娘の寝顔を横目に、私は心配になる。頼むから明日、晴れて欲しい。天気予報を操作できるなら、何をさておいても操作しまくって、半日でもいいから晴れ間を作ってやりたい。軒先で揺れる照る照る坊主をぼんやり眺めながら、そんな叶わぬことを、思ってみたりする。
鬱と引き換えに、私は左腕に刃を立てなくなった。今思えばそうだというだけで、当時おのずからそう決めたわけでも何でもない。ただ、あまりに深く切りすぎて、はっとして抑えた指と指の間からぼたぼたと容赦なく落ちる血滴を、呆然と見送っていたあの後から、このままじゃまさに病院送りだ、入院だと、自分でも思わざるを得なくなった。いや、そんなこと、とうの昔に分かってたことじゃないかと思うのだけれども、どうも私は自覚が足りないらしく、ついでに悪足掻きも人一倍らしく、何とかなるさと心の何処かで思っていた節がある。慢心していたのだな、と、今なら分かるけれども。 近しい友人には繰り返し言われていた。今にとんでもないことになるよ、と。私の無残な左腕を撫でながら、友人たちは真剣に私にそう繰り返してくれた。それでも。 それでも、止めることが出来なかった。あれはどうしてなのだろう。分からない。もうある意味、毎日の習慣のようになっていた。一日のリズムのようになっていた。最後、自らの血ですべてを洗わなければ、私の一日は終わらない、というような。翻って、強迫観念のようにさえなっていた。刃はもう、私の手の一部だった。 切る場所がない、これまで切り刻んできたその傷跡が治る暇も与えずその行為を繰り返しているのだから、切る場所がなくなるのも当然の話、それでも、何処かに隙間はないか、何処かに余地はないか、と、執念の塊のようになって私は切る場所を探した。見つからないならこの傷たちの上からさらに切り刻んでしまえと、何度刃を突き刺したか知れない。おかげで、私の左腕の皮膚はこの半年あまりの間に、右のそれと比べて何倍も、厚くなってしまった。そんなもん、だ。 そうして切り刻むことを止めて数日後から、私は動けなくなったのだった。最近になって、友人にそのことを指摘されて改めて気がづいた。気づいて、我ながら自分に嫌気がさした。でも、嫌気がさしたからとて、どうにかなるものではない。自分はとことん自分と付き合ってゆくしか術はないのだから。
そんな私の所に、北の国の友人から便りが届く。 「父の同級生がガンになって、長くないみたい。で、私は思ったの。限られた命を生きていくのと、壊れた心と体を抱えて、いつ治るかも判らずフラッシュバックやパニックに怯えて生きていくのと、どちらがより不幸かしらね? ごめんね、変なこと聞いて。私も、ちょっと疲れてるみたい」。 彼女のそんな言葉を読み、そういえば昔、私も彼女と同じことを考えたことがあったなぁと、そのことをまず思い出した。そして、不幸自慢大会じゃぁないけれど、あなたより私の方がどれほど辛いかしんどいか、ということばかりを挙げて、悲劇のヒロインぶっていた時期が確かにあった。今思えば、我ながらおばかだったなと苦笑えるけれども。 正直、今の私には、どちらが不幸なのか分からない。どちらにしても、それが自分に与えられた運命ならばそれを生きるのみ、というのが、多分私の唯一の答えだ。 誰かと比べることに費やしている時間は、はっきりいって、無い。そんなことに費やすなら、自分をいかに表現しカタチにするか悪戦苦闘することに時間を費やしたいからだ。もっと直裁に言えば、他人と比べて不幸だとか幸福だとか、そういったことに対する興味が今の私には殆ど無い。正直言って、どうでもいい。 多分、自分が幸せか不幸せかは、自分の物差しで計るものなのだろう。自分の物差しで計りながら、私の物差しは他人のそれと同じかしらそれとも違うのかしらと、びくびくしながら周囲を窺う。窺ってみると、どうも私のそれより他人のそれの方がいいらしいわと思い込み、疑心暗鬼にかられ、自ら穴に落ち込んでゆく。私にはそう思える。 いったん他人と比べ始めると、ありとあらゆるものを比べたくなる。そうして次から次に周囲と自分とを比べ、しまいには頭を抱えるのだ。私は一体どうしたらいいの、と。 でも、そんな問いへの答えは、何処にもないように今の私には思える。だから、問わない。比べない。覗かない。もしちらりと他所を覗いてみたいという誘惑に駆られたら、とりあえず自分の足元をしっかと見てからにする。でないと自分がぶれるから。誘惑に弱くてすぐに軸がぶれてしまうという自分の弱さを、もうこれでもかというほど知っているから。 友人のその便りの文言を読み、しばし思いに耽り、私は返事を書く。とりあえず、今の自分を充分に生きようよ、と。ポンコツ車にはポンコツの走り方、うまい操り方が、多分何処かにあるよ、と。
窓からは夜風が絶え間なく滑り込んでくる。湿り気を帯びた風。でも、とりあえず今、雨は止んだ。このまま明日まで止んでくれたら。 それにしても、今日は本当に久しぶりにあれやこれや用事を済ますことができた。もちろん、この半月で溜まりに溜まっている諸々の用事は、すでに、今日一日動いたからといって済ませられない量になってしまっているのだけれども。そして、たとえ薬の効果だとしても、とりあえず日中少しでも動くことができたということは、私の明日への励みに、なる。 窓辺に立って、私は最後にもう一度繰り返す。明日天気になぁれ。そうして覗き見た表通り、濡れたアスファルトに落ちる街灯の明かりが、何だか妙に、眩しい。 |
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