見つめる日々

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2005年10月13日(木) 
 久しぶりに空から光が降り落ちてくる。娘を後ろの座席に乗せて自転車を漕ぎながら、私は空を見上げ娘に話しかける。ねぇお日様ようやっと出てきたよ! 遅いよ、おひさまー!ママが怒ってるよー! え?怒ってはいないけど…。 怒ってるじゃん、ママ、お洗濯できないし布団も干せないって言って。 怒ってた、かな? 怒ってた! ははは、まぁいいじゃん、お日様出てきたし。 おひさまー、ママはそんなこと言ってますよー、ずるいですねー! こら、みうっ! …牛乳屋さんの前を通ったところでちょうど、私が「こらっ」と言ったために、牛乳屋さんのおじさんがびっくりしてこちらを振り返っていた。ちょっと、恥ずかしい。
 このところずっと整体に通っている。運動会で奮起しすぎたせいで、昔から痛めてる腰を再び痛めてしまったからだ。
 運動会は何とか催された。でも、会場の某小学校の校庭は水浸しで、足を運ぶたびぐっちゃぐっちゃと水をたっぷり含んだ砂が歌うのだった。途中雨が降ってきたり音響設備に不備が生じたりで、プログラムは変更されっぱなしになった。何の因果か、親の競技である綱引きが最終競技になってしまい、それが、白組優勢の状態で順番が回ってきた。こうなると赤組の親たちの目つきが変わってくる。周囲を見回すとみんな腕まくりして軍手もしっかりつけて、今にも奮い立たんばかりの形相。実は娘も赤組で、つまりは私も赤組。これはまずいなと思ったのも束の間、競技が始まると、ここで負けては親の名が廃るとばかりに赤組の親は全員耳を疑うほどの掛け声。気づけば自分もその一人になってしまっていた。後悔先に立たずとはよくも言ったもの。競技中足を踏ん張りすぎて水浸しの泥を跳ね飛ばした私は、そのままずべっと転んでいた。腰を痛めたのも当然である。自業自得とも言うべきか。
 そのおかげで、赤組白組引き分けで運動会は無事終了。娘は悔しいと言いつつも、組体操で想いを寄せていた男の子と二人組になることができたりもして、結構楽しめたようだ。保育園最後の運動会、これで思い残すことも、ない。
 そんなこんなで、朝一番で整体へ行った後、まずは洗濯にとりかかる。いつものように三回洗濯機を回す間に、泥んこになった二人分の運動靴をじゃばじゃば洗い、それが終わるとベランダのプランターにほったらかしになっている薔薇の樹たちに詫びを言いながら世話をする。合間合間に、必要な電話をかけ、掃除機をかける。それだけでもう、午前中が終わっている。
 ふと、空を見上げ、旧友を思い出す。あんなこともあった、こんなこともあった、もう二度と取り戻すことはできない日々、あの時間の中で私はずいぶんやわらかな夢を見た、と、そんなことを思いながら空を見る。空の高みを鳶が真っ直ぐに飛んでゆく。彼らは飛んでゆくというよりも、滑ってゆくという言葉の方が合うのかもしれない。真っ直ぐに真っ直ぐに、そして消えてゆく。耳を澄ますと、風がかさこそと音を立てて流れてゆく。街路樹の葉々、ベランダの葉々、通りをゆくさまざまなものを揺らして。
 この夏の間、正直、まともに世話ができなかった。そのせいで、プランターの中は今、荒廃している。薔薇の樹の、挿し木をしたばかりだった枝はすっかり干からび、私は今更ながら手を伸ばし指で挟み、それを抜く。ごめんねと言いながら、それを抜く。ミヤマホタルカヅラは何とか生き残ってくれているけれども、もしもう少し放置したなら、全て、枯れ果てていただろう。それもこれも私のせい。自分の腕を切り刻み血を流すことばかりにかまかけて、彼らを省みることができなかった私のせい。
 洗った大小の靴をベランダに並べながら、私は風に耳を澄ます。風は止むことなく流れ続けながら、私に、もう季節は秋から冬へ進んでゆくのだと教える。容赦なく時は流れ、私は老いる。ひとつ、またひとつ。

 運動会に来てくれた父母にとって、孫の運動会当日は、彼らの結婚記念日だった。だから、こっそり花束を用意する。運動会が終わって一息ついたところで、娘から父母に花束を贈らせる。二人を見送る際、ふと尋ねる。「ねぇ、結婚して何年目?」「そうだなぁ、今年でちょうど四十年目だ」「やー、四十年目?! 私が生きてるのより長いじゃない!」「当たり前だろうがっ、おまえは結婚五年目に産まれたんだっ」「あ、そうか…」。そんな言葉を交わし、苦笑を交わし、手を振り合う。娘が「ばぁばぁ!! じぃじぃ!!」と大声で叫び、突然二ブロック先の彼らのところまで駆け出す。そして二人に飛びついて、三人は抱き合いながら何かしら言葉を交わしている。私はそんな光景を離れたところから見つめ、これでよかったんだと自分の中で思う。
 父母とあれほどいがみ合った日々はもう、遠い。いや、私の中で思い出すのならばすぐにでもありありと思い出すことはできる。けれど。
 もう、終わったことなのだ、過ぎたことなのだ、と、そう、思う。あれらの日々を何とかやり直そうと、得られなかったものたちを何とか取り戻そうと、必死になっていた時期があった。これでもかというほど私は、それらに飢えていた。そう、彼らからの愛に。
 でも、もういいのだ。私は自ら娘を育てるという行為から、得ることのできなかったものたちでもなぞり得ることを知った。自分では飢えていたと思う一方で、彼らは彼らなりに腕いっぱいの愛を注いでくれていたのだということも知った。だからもう大丈夫。私はやっていける。
 もちろん、時として不安に襲われることはある。いや、そんなことはしょっちゅうだ。娘に私は同じことをしていやしないか、親からされて悲しかったこと辛かったことを娘にしていやしないか、と。私は万全な人間ではない、たかがこれっぽっちの人間だから、ちょっと進むごとに不安になる、怖くなる、これでいいのか、これで大丈夫なのか、と。
 でも。答えはないんだ。何処にも。だから人はきっと、これほどに迷うのだ、戸惑い足掻くのだ、これでいいのか、と。今は、そう、思う。

 「ママ、今日ね、運動会の絵描いたんだよ」「ほんと? どんなの描いたの?」「みうはね、こうやって腕振って走ってるところにしたの」「すごいじゃんっ、みうが動いている絵を描くなんて初めてじゃないの!」「ひひひ」「画の中には何人出てくるの?」「三人!」「ほうっ、三人かっ、誰れ?」「ひみつっ!」「え? なんでよー! 教えてよー!」「だめっ、秘密なの!」「つまんないなー」「ちーちゃんなんてね、五人も描いたんだよ」「五人も?」「そう、でもね、五人も描いたからみんな細いんだよ」「ははははは。そうだねぇ、画用紙の大きさは同じだもんね、みんな」「だから、みうはみんな、丸くした」「え? 丸く?」「うん、ちゃんとお肉ついてるよ」「あ…なるほど」。
 保育園の帰り道、もう夕日はすっかり堕ちて、辺りは闇色に包まれている。街灯がぽつっぽつっと灯り、私たちはその合間を歩く。
 ねこじゃらしを山ほど摘んで、娘はそれを片手に握り締めて私たちの部屋のあるマンション入口へと駆け出してゆく。この時間帯、そこには必ず猫たちがいるからだ。猫にゃーんと言いながら駆け寄る彼女に慄いて、猫は一瞬ひるむのだけれども、しょうがねぇなぁといった顔つきで娘が来るのを待っていてくれる。娘は猫じゃらしで思い切り、その猫たちの背中を撫でる。
 あと五年、あと十年したら。娘はもう一丁前の顔をしているのだろう。あんたなんか大嫌い、なんて私に言ってのけているかもしれない。きっと五年十年なんて、あっという間に過ぎる。私は私で、自分のその後の人生を考える頃なのかもしれない。そんなことを、ふと、思う。
 振り返ると、今来た道筋、街灯が小さな明かりを点々と連ねている。私たちの歩いてきた道筋に点る灯り。とてもとても小さいけれど、それらが灯す闇はそれでも、仄明るい。


遠藤みちる HOMEMAIL

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