見つめる日々

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2005年10月18日(火) 
 夕方から降り出した雨は、気づけば止んでいた。午前五時。街はまだ、闇に包まれている。
 遅々として進まぬ仕事。そして作品制作。今夜もまた、こんな時間になってしまった。娘を寝かしつけてから取り掛かるものだから、どうしても時間が足りない。いい加減眠らなければと思ったりもするのだが、仕事にしても作品にしても期限がある。多分今しばらくは、こんな夜の繰り返しが続くのだろう。
 翌朝の土曜日。普段通りに起きて二人して身支度。玄関を開けると眩しい陽光と賑やかな声がいっせいに私たちに降り注ぐ。今日もまた朝早くから裏の学校の校庭では子供らが野球の練習をしている。監督らしき人の怒鳴り声がぱしんと響いてきて、私とみうは思わず校庭を見下ろす。何かしらしくじったらしい二人組が、ぽかぽかと監督から握り拳を食らっている。「あっ、いけないんだよ、人の頭叩いたら!」。すかさず娘が指をさす。「うーん、あのねぇ、多分、あのお兄ちゃんたちが何かいけないことしちゃったんだと思うよ、それで怒られてるんじゃないかな」「怒られてるのか…、じゃぁしょうがない?」「そうね、しょうがないな、うん」。私は説明しながら苦笑する。しょうがないとしか言いようがないのだけれども、果たしてそれで彼女に伝わったのかどうか。そんな私にお構いなしに、彼女はひらりとスカートの裾を翻し、エレベーターの方へ走ってゆく。
 娘と手を繋いで歩く。私も娘も半袖だ。通りを行き交う人々も、今日はみな軽装に見える。それにしても日差しが気持ちいい。坂道沿いに建ち並ぶマンションのベランダのあちこちに、色とりどりの洗濯物や布団がぺろりんと干してある。みう、ねぇ、あのお布団たち、みんなあっかんべーってしてるみたいに見えない? うん、見える、あっ、あそこの布団はね、きっと虫歯があるんだよ。えっ、む、虫歯ですか? うん、だって、ほら、あそこに黒い丸がある。あ…確かに、でもあれはきっと何かの模様なんじゃないかと思うんだけど。違うよ、虫歯だよ! ははは。
 電車に乗り、実家へ。最寄駅の改札口では、じぃじが孫の到着をまだかまだかと待っている。改札口を走り抜けた娘は、「おはよう、じぃじ」と挨拶する。そして、両方のポケットにぎゅうぎゅうづめにして持ってきた小さなぬいぐるみを見せて得意げな顔をする。
 私たちがまだ彼の子供だった頃、彼は子供の目線に合わせてしゃがみこんで話すなんてことは一度たりともしたことがなかった。その彼が、今は、孫の目の高さにまで腰を曲げ、あれやこれや彼女に話しかけている。でも、その孫は結構つれない奴で、じぃじが自分に首ったけなことを十二分に承知した上で、ぷいっと横を向いてみせたりする。もし私があんなことをあの年頃にやったなら、ごつんっと大きな音がするほど強い彼の拳で無言のまま殴られたものだった。二人のやりとりを少し離れたところから眺めつつ、私は、年をとるというのは不思議なものだな、とつくづく思う。
 辿り着いた父母の家。その庭では金木犀がさやさやと風に揺れている。私はこの金木犀が大好きで、花香る季節になると、いつも思い切り部屋の窓を開けて過ごしたものだった。でも。あの頃は、金木犀の季節は今よりもっと早かった。それにしたって今年はちょっと遅すぎるだろうと思い首を傾げつつ、私は瞼を閉じて深呼吸してみる。この香りが好きだった。いや、今でももちろん好きは好きなのだけれども。でも、何といったらいいのだろう、あの頃の私は、この香りに恋してさえいたのだった。毎年毎年、この香りに新しく恋をして、夜毎窓辺で香りを追いかけたものだった。私は、今改めてこの年老いた金木犀の樹を見上げながら、ふと考える。この樹は私よりずっと年上だ。でも、もしかしたら私よりずっと、長生きするのかもしれない。いや、もちろん、父母がこの世を去る時が来て、この家が消えてゆく時が来て、その時にはこの庭も壊され、この樹も従って切り倒されるか何かするのだろう。でも、もしこの庭が人為的に壊されることがなかったのなら。樹はきっと、私たちがこの世からいなくなったずっと先も、ここでこうして生きているんじゃなかろうか。
 そう思うと、思わず私は樹に触れずにはいられない気持ちになった。手を伸ばす。触れる。指で葉をなぞり、枝をなぞる。樹独特の感触が、指の腹からがさがさと伝わってくる。彼の年輪は、一体どんなふうに刻まれているのだろ。そして私の年輪は。
 「メジロだよっ!」。娘の声に我に返り、私はその声の方を見やる。庭の中央にじっとしゃがみこんだ娘が指差すその先には確かにメジロ。しかも番いで二組。庭の中でもとりわけ、この黒々と立つ梅の樹がお気に入りの彼らは、今日もいつものように、頭をくりくりと樹皮にこすりつけ、忙しく枝と枝を渡り歩いている。そうしている間に、向こうの隅の柿の樹にヒヨドリが飛んで来、柿の実をつんつんと突いている。母の庭は、そうしていつも、誰かが集う。

 娘と二人きりの日曜日はあっという間に過ぎてゆく。前日からあれこれ考えて二人で出掛けた大きなお風呂屋さん、途中までは腹が捩れるほど楽しんでいたのに、私の具合がいきなり悪くなって急いで帰宅。それからは怒涛のような痛みの時間。娘に、もしママが意識を失ったら119番してね、と伝え、あとはひたすら頭を抱えて壁に寄りかかって過ごす。一ヶ月に一度か二度、私はそうした酷い頭痛に襲われる。これに襲われると、食べるのはもちろん、水を飲むことも辛くなる。ちょっとしたはずみで血が余計に流れると、それがぐわんと頭痛になって私の身体に現れる。横になることも立っていることももうできない。ただひたすら壁に寄りかかり、せめて体がばたんと倒れてしまわないように必死に体勢を保つ。波が引くまで、一ミリたりとも動けない。
 今回はよほど酷かったらしく、通常の頭痛薬を二度三度服用してみるが一向に効き目が出ないうえ、最後は吐いてしまう始末。さんざん迷った挙句、ボルタレン座薬を使用する。できるなら使いたくない、そう思いつつも、このまま倒れたら娘はどうするんだ、と、その一念。
 こうやって具合が悪くなる時、いつも思うのは、娘はどうするのだ、という一事。私が倒れたら、私がもし今突然死んだら、娘は一体どうなってしまうのだろう。じじばばのところに引き取られる? 確かにそうだろう。でも、じじばばは、私よりも本当なら先に死ぬべき人たち。娘はきっと、早くに一人ぼっちになってしまうだろう。そうなったら。
 だから、私はやっぱり死ぬことはできないのだ。そう簡単には死ねない。
 先日母が愚痴をこぼしていたっけ、「この間病院で検査受けたら、私の脳味噌には小さな脳梗塞が山ほどあるらしいわ。お父さんにはひとつもないのに、お母さんにだけ山ほど」。そんな母に体質がそっくりな私の脳味噌には、もしかしたら今もうすでに幾つもの血栓が在るかもしれない。そのひとつがもし今この瞬間にでも破裂してしまったら。そうなってから後悔しても遅い、ならば、健康に気をつけるにこしたことはない。
 でも。
 気をつけようとは思うのだけれども、でも、はて、一体何を気をつけたらいいのだろう。食生活はそれなりに気をつけてはいるが、そもそも、今この時を何とか生き延びるために私が毎日服用している安定剤やら眠剤やらなにやら。そういった薬自体がきっと、私の身体に少しずつ蓄積されていって、いつか私に何かしらの影響を及ぼす代物であるに違いない。そう考えると、じゃぁ何を?と首を傾げてしまう。思いつくのは、適度な運動と適度な食事、適度な睡眠、そのくらい。知恵がないなぁと、自分で自分を嘲笑ってしまう。
 何はともあれ、娘を置いて今死ぬわけにはいかない。それだけは確かなことだ。だから私はどんなにしても生き延びる。生き延びなければならない。

 今、窓の外は雨が降っている。いつものように病院に行った月曜日。夜闇は霧雨が降り続くせいでこんもりとけぶっている。通りの向こう側に立つ街灯が描く光の輪が、ほんのりぼやけて見える。明日も雨は降り続くのだろうか。
 一日でも長く。私は生き延びたい。一日でも長く濃く、私は生きていたい。それは娘がここに存在しているからということがもちろんあるけれども、でも、それ以上に。
 私は、私の為に何よりもここで生きていたいと思う。他の誰でもない、せっかく私が私としてここに生まれここまで生きたのだから。


遠藤みちる HOMEMAIL

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