2005年11月10日(木) |
一体人は、何処まで強くなれるのだろう。 一体人は、何処まで優しくなれるのだろう。 一体人は、何処まで柔らかくなれるのだろう。 一体人は、何処まで赦すことができるのだろう。 一体、人は。 そして、わたしは。
突然の激痛と熱とに襲われ病院に駆け込んだあの日から、一日一日が、確実に過ぎてゆく。だというのに、いくら様々な検査を繰り返しても、私の病の原因は浮かんでこない。私の病気は何ですか。何でこんな、四十度の高熱やのたうちまわらずにはいられない激痛に幾度も襲われなければならないのですか。顔のないのっぺらぼうの病という奴が、嘲笑う声が耳の奥から聞こえてくる、そんな錯覚に襲われる。一体私は、何と向き合えばいいのですか。何と闘えばいいのですか。 即刻入院といわれても、それがどれだけ短くて終わるのか或いは長く長くなってしまうのか、その予測さえ許されない。でも、そんな悠長な入院なんて誰がしてられるか。私は働かなければ生きていけないし、娘だってまだ私が世話をしなければ生きていけない。何人もの医者が私の問いに同じ答えを繰り返す。私の病は何ですか。分かりません、でもそれが分からないと治療の方法もありません。------じゃぁ一体、私はどうやってこの痛みや熱から逃げればよいのですか。途方に暮れるしかないのか。でも、途方に暮れている間に私の身体がどんどん蝕まれていったら、一体その先に何が在るというのか。 即座にと言われた入院を断り、娘を両親に預け、私はひとり、寝床でのたうちまわる。娘がいないことをいいことに、唸りたい放題唸り続ける。それで越えられるならと耐えることを試みるが、とても勝てるものじゃない。結局私は痛みと熱とに負け、痺れ震える指先で座薬を入れる。 朝一番に病院に行き、点滴と抗生物質とを大量に投与され、ふらふらになって帰る頃にはもう日はすっかり傾いており。部屋につく頃には薬が切れ、私は再び座薬のお世話になる。そうでもしないと、身動きひとつ叶わない。果たして幾つの座薬を自分の尻に押し込んだなら、私はこの状態から解放されるのだろう。その道標さえないなんて。 そんな私のベランダで、過日娘と植えた球根が次々に芽吹いてゆく。赤子の小さな小さなあの手のひらを思い出させるようなちんまりした葉が、やがて朝陽を全身に浴び綻んでゆく。あぁ娘にこれを見せてやりたい。私は指の腹でそっと芽の先を撫でる。微かな感触、けれどそれは確かな感触。生きているという証。ここにも、そこにも、あそこにも。 PTSDを抱え込んだときも途方に暮れた。それは、一体自分は何と闘っているのか分からなかったからだ。何と向き合えば解決方法が見つかるのか。その何という代物の正体が、皆目分からなかった。だから途方に暮れた。何年も何年もかかって、その漠とした奴を漠とした姿のまま丸呑みし、自分の中にそれを飼い込み、ともに歩いてゆくことを選んだ。でもそこに辿り着くまでの日々、何度向こう側へ誘われただろう。もし今誰かが私に、人生をやり直してもいいと切符をくれたとしても、私は受け取ることができないだろう。もしもまた同じことが起こったら、今度私は果たしてここまで生き残ってこれるかどうか。恐らく、生き残ってこれまい。だから、もう、やり直したくなんかない。あんな世界、もう二度と戻りたくない。 今度のこのわけの分からない病も、私から気力をどんどん奪い取ってゆく。別にどんなに高い熱にうなされようとどんな激痛に襲われようと、それでも、こうやったなら治るのだという術が分かっているのなら、私は高熱も激痛も引き受けてずんずんと歩いてやる。けど、その術が分からないという。医学に素人の私が分からないだけじゃなくて、医学の専門家が何人も何人も、こぞって私に言ってのける。原因がわかりません。もう、聞き飽きた。もう聞きたくない。だから私は、耳を塞ぐ。心の中で。そんなふうにして世界から耳を塞いでしまうと、私はどんどん自分が卑屈になってゆくのを感じる。だから余計に自己嫌悪に陥る。するとますます卑屈の淵に沈みこむ。生きようという気力が奪われてゆくのだから、淵から這い上がろうとする気力だって容赦なく奪われてゆく。そして私は、いつまでも這い上がれない。 爪先立ったって背伸びしたって結局、私はそんなちっぽけな人間。そんな私にはもちろん、お金もたいした学もない。唯一あるのは、この気力だけだ。この気力を私から奪ったら、私にはもう、何も残らない。残らないどころか、多分、身体だけ生き長らえ、そして、生きたまま私は死んでゆくだろう。あの頃その谷間を、がけっぷちを、ふらふらと歩いた。もう飛んでしまえと片足になってみたりもした。それでも、何故か私は堕ちることができなくて、そして、今ここにいる。今私は、死にたくなんかない。それは肉体的にどうこうではなくて、精神的に、だ。私の心が死んでしまうのだけは、いやだ。なのに。 どんどん、どんどんと吸い取られてゆく。奪われてゆく。剥ぎ取られてゆく。私の気力が。一枚、また一枚、と。 もう、寒いと感じることさえ、できない。 そんな私の傍らで、新芽が揺れる。さやさやと揺れる。揺れすぎてくたっと倒れるものも中にはいる。それでも、彼らは決して諦めない。私と娘の手でそこに植えられ、それを自らの運命として躊躇うことなく丸呑みし、真っ直ぐに生きる。たとえ途中で枯れるのが彼の運命だったとしても、きっと彼は枯れるその日まで諦めることはしないだろう。ただ一途に、真っ直ぐに、生きるのだ、死が彼を食らうその瞬間まで。 私はだから、結局いつものように、変わらずに日を越えるのだ。食いしばった奥歯の根元が、じんじんと痺れてきても構わずに、私はじっと、ここに在るのだ。 -------多分そうやって、私はいつも自分を突き放す。突き放して突き放して突き放して、とことん突き放して、そして、歩いてゆく。突き放したと同時に、その腰をぐいと捕らえ、黙々と、歩いてゆく。 そんな私の所にふわりと便りが届く。お元気ですか。私はこの間海の向こうでカミングアウトし、なんだかすっきりしました。でも、日本ではこれからもずっと黙っているつもりです。日本には偏見があるので。------彼女とは、私が自分の身の上に起きた出来事を綴った文章を通じて知り合った。その彼女が、私にそんなことを言う。ぽかんと、口が小さく開いて、開いたまま、しばらく閉じることができなかった。どうしてこんなこと、言うのだろう。私は。 いや、彼女の方が多分、自然なのだ。それが当たり前なのだ。私はようやく唇を結び、ごくりと唾を飲み込む。私が多分、おかしいのだろうな、と。 それでも、もしまた同じ出来事に見舞われたら私は、やっぱりはっきりと吐露するだろう。私の身の上にはこんな出来事が起きました。その為に私は、PTSDというものをどっしりと抱え込みました。今はそのPTSDとともに生きています、と。それが外国だろうと日本だろうと。場所なんて関係ないのだ、私には。私はそうである、というそのことを、私ははっきりと主張する、内外わけ隔てなく、まっすぐに言う、きっとそのときも。そういうふうにしか、私は、生きることができないから。
もうじき夜明けだ。夜が明けたら私はまた病院に戻らなければならない。 娘がいないことをいいことに、私はずっと同じ曲をかけ続けている。ふと思い立ち、声を出してみる。一度出し始めると、声はおのずと湧き出てくる。私は延々と、リピートする曲を、歌い続ける。 大丈夫。諦めない。まだ諦めない。ほら、今月は娘の就学児健診だってある(親の私が連れて行かなきゃどうするの?)、展覧会の後期を始めるためには展示替えに行かなければならない(いや、作品だって最終選考が実はまだ終わってない)、そうだ制作ノートも早く作業しなければ(間に合うのか? 一体いつ作業できるんだ? いや、できなくてもするんだ、何とかなる、きっと)。こんな病、早々に振り切って、私は明日へダッシュしなけりゃならない。やらなきゃならんこと、やりたいことは、まだまだこの世界に残ってる。 |
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