見つめる日々

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2009年09月21日(月) 
回し車の音で目が覚める。からからから、からららら、からららら。部屋中にその音は響き渡っている。そばによってみると、ココアとミルクと、両方で回し車をそれぞれ回している。どうりで音が大きいわけだ。それにしても珍しい、ふたり揃って回し車だなんて。しばらく私はその様を見やる。
ベランダに出ると、一面灰色の雲。どんよりと隙間なく空を埋め尽くしている。今日は一日こんな天気なのだろうか。洗濯物をしようと思っていた気が削げる。でも。
髪を梳きながら横を見やれば、マリリン・モンローの、半分開いた蕾。そう、風は弱い。この高台にあって風が強い日には、薔薇の枝は棘に絡まりあって大変なことになる。しかも今こうして花が開こうとしている、そんなとき、曇りであっても風が弱いのは嬉しい。
部屋に戻り、金魚に餌をやり、それからミルクとココアの水を替えてやる。その音を聞きつけて、ふたりとも水を飲みにやってくる。ハムスターは物覚えが悪いといっていたが、こういうことはさすがに覚えるのだな。なんだか嬉しくなる。

もうひとつの、という名前から、一体どんな美術館なのだろうと思っていた。まさか、廃校を会場にしているとは思ってもみなかった。看板を辿り地図を辿り、ようやく辿りついたその場所に、呆気にとられる。今ちょうど、ニキ・ド・サンファルの展覧会をやっているのだ。
薄いクリーム色の布地のカーテンが張り巡らされた教室。思い思いに、懐かしいあの木の椅子が置いてある。こんなに小さかったっけ、と首を傾げるほどそれは小さくて、今の私のお尻ははみ出ること間違いなしだ。作品を順繰り眺める。三つの教室にそれぞれ展示されており、私は教室の扉を開け、閉め、そしてまた新しい扉をくぐる。長い年月を経てひずんだその木の扉は、うまく開かなかったり閉まらなかったりする。でもそれは、とてもあたたかく、作品を守っている。

私の大好きな絵本作家の一人、カエルさんの絵本も出してくれている作家の美術館へ。一体どうしてこの場所に作ったのだろうと思えるほど山深いところにあった。しかし、季節なのだろう、彼岸花があちこちに咲いている。紅色のその花は簪のように華やかで、それでいて切ない。
入場券が、大人と子供とそれぞれ絵柄が違うらしい。もうそれだけで私は楽しくなる。作家が月に二回ほど訪れるというその美術館の中はとても明るく、静かだった。原画は細部に至るまで丁寧に描かれており、見つめだしたら止まらなくなるほどそれは愛情に溢れているのだった。財布を振ってみたところ、ちょうどいい具合にお金が入っていたので、買い損ねていた絵本を一冊買うことにする。

以前訪れたことのある美術館に、再度行ってみる。企画展がちょうど、大学時代に勉強していたものと重なり合うものがあったからだ。さんざん授業でやった作品たちが、広い空間にゆったりと並べられている。音声ガイドに耳を傾ける人や、家族の日ということで幼い子供の姿も多く見られる。車椅子の老婦人が、じっと絵の前に佇んでいる姿もあった。私はその間を、思うまま作品を眺めながら歩く。
そういえば昔、絵の修復ができたらいいなぁなんて思った時期があった。担当教授の言葉の影響でそう思ったりしたのだが、それを思い出したら、なんだか絵をもう一度見直したくなって、今度は絵の全体よりも細部を、しかも修復できなかったのだろう部分ばかりを見て歩く。それは、その絵がどれほどの年月を経てきたのかを如実に物語っているのだった。
帰りがけ、カタログを求めようと思い立ち寄ったショップで、違うカタログを見つけてしまう。異邦人たちの夢、というタイトルで開かれた企画展のカタログで、中を見たら娘に教えたい作家の顔ばかりが並んでいる。思わずそれを手にレジに並んでしまう。

蔵を改造して作られた小さな美術館で、チェコの絵本作家を紹介する展覧会が為されていた。知っている名前は二つしかなく、でも、年代順に並んだその絵たちは、見つめて歩く私に、それぞれに声をかけてくる。私にチェコの言葉など読むことはできない。けれど、絵を見つめているだけで十分、その絵本の何かが伝わってくるのだから、絵本と言うのは本当にすばらしい文化だと思う。
一階から二階へ、そして再び一階へと順路に沿って歩く。日本人の絵とはまた異なるその絵から、それでも懐かしさを感じられるのは何故なんだろう。絵本とはそう、人の中に横たわる共通の何かを、かさこそと触ってくる。

そういえば、父が、孫の運動会に母を見に行かせると言っていた。でもそれは無理だろう。私は思う。孫が寂しがるからと言っていたが、今年は娘に我慢させるつもりだ。母に無理をさせて何かがあってからでは遅い。インフルエンザなどにかかった日には取り返しがつかない。
運動会。もう次の土曜日がそうだ。私にとって、ちょっとした試練の日でもある。かつての運動会で二度ほど、発作を起こしたことがあるからだ。発作を起こす私はまぁいい、娘もまぁ対処を知っているからいい、しかし。
人の目は、怖い。
がくがくと、体が震える発作を、はたから見てもあきらかに震えているのが分かってしまうほどの発作を起こすと、後で妙な噂が立ってしまう。それが、怖い。私は発作を起こす本人だから、何を言われても、仕方がない。でも娘は。
それが痛いのだ。たまらないのだ。だから、今年は何とか、発作を起こさず、最後まで運動会を見届けてやりたい。

今日もまた、あっという間に朝の時間は過ぎてゆく。瞬く間に出掛ける時刻になる。私は急いで再びベランダに出、開きだしたマリリン・モンローの香りを胸いっぱいに吸い込む。濃厚なその香りは、その名前に実に似合っている。
玄関を急いで出ると、目の前の校庭に集まっている野球部員たち。靴の紐を結ぶ子、素振りをする子、その間に父兄の姿も見える。あぁ今日は練習日なのだな。連休なのに大変だ。私はそれをちらと見ながら、階段を駆け下りる。
自転車にまたがればもう安心だ。あとは走るだけ。目的の場所へ行ってやることを為して片付けて、そうやっていけばまた一日は無事に終わる。
そう、一日一日を、そうやって越えてゆけば、いい。私の時間はそうやって、つながってゆく。明日へ、と。


遠藤みちる HOMEMAIL

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