2009年09月22日(火) |
夢の中で雨が降っている。ざあざあと降るその雨は、辺りの緑も土もなぎ倒して流れ集まり、やがて河となってゆく。 そして目が覚めた。雨、雨。私は慌てて飛び起き、ベランダに出る。やっぱり。雨が降っている。バスタオルを干したまま眠ってしまった昨日。それが多分、心に引っかかっていたのだろう、雨の音が私の夢の中にも入ってきて、それで目が覚めたのだ。こりゃ、もう一度洗い直しだな、と、私は朝から溜息をつく。 でも。 その雨はとてもやわらかくて。夢の中のような豪雨ではなく。新芽のようなやわらかさを漂わせて降る雨で。私は思わずベランダから身を乗り出し雨へと手を伸ばす。しとしとでもざあざあでもない、まるでさらさらと降る雨だった。 雨雲は途切れ途切れ空を漂っているのだろう。雨は降ったり止んだりしている。こんな雨なら傘はいらない。実際空はどんどん明るくなってゆき、雨雲のないところは光溢れ、朝の声が辺りに響き渡る。 マリリン・モンローの一輪目が咲いた。肥料が足りなかったせいだろう、少し小さめの花だ。最初私はこの花があまり好きではなかった。白だと思って育て始めたのに、いざ咲いたら濃い目のクリーム色だったからだ。その時はなんだかがっくりした。でも。 今はもう大丈夫。この花はこの花で私は好きだ。真っ白とはまた違う、優しげな色合いでもって私を迎えてくれる。一時期、樹に虫がたくさんついてしまい、もうだめかと思った。思い切り切り詰めて、新芽が出てくるまでの間は、気が気ではなかった。今、樹はこんもりと茂り、小さいながら茂り、そして蕾を幾つも湛えている。 その隣のホワイトクリスマスが、今度は咲く番なのだろう。大きな大きな蕾の先が、綻び始めている。 慌ててベランダに出たため、裸足であったことをすっかり忘れていた。部屋に入る前、どうしようかと迷ったものの、もういいや、えいっと部屋にそのまま入ってしまった。それを見ていたかのように、ミルクがからからと回し車を回し始める。あまりのタイミングのよさに私は笑ってしまう。見てた? 娘には秘密にしてね。私はミルクにそっと囁く。
昨日の夢は懐かしい夢だった。久しぶりに亡き祖母と会った。祖母は亡くなった時の顔ではなく、まだ元気だった頃の、踊りの先生やお茶の先生をやっていた頃の、しゃきしゃきと話す祖母だった。でもそれは最初のうちだけで、祖母の顔が夜叉の顔に変わり、辺りは真っ暗になり、空から蟲が降ってくる。逃げ惑う私を狙うかのように降ってくる。そして、振り返ればそこは、ぱっくりと口を開けた闇。あぁこれに呑み込まれたら私は二度と這い上がってくることはできない、と思った。必死で逃げた。逃げて逃げて、何処までも逃げた。焼け焦げた野っ原に辿り着いたとき、そう、雨が降ってきたのだ。紅い雨が。いや、夢に色があったわけではない、ただ、私はその雨を、紅いと感じ取った、それだけの話なのだけれども。 まるでそれは、そう、血の雨だった。
母に電話をする。一応敬老の日だということで、のつもりだが、もちろん口には出さない。そこで、母が欲しがっていたCDを手に入れたことを告げる。基本クラシック音楽しか聴かない父母が欲しがっていたのは、盲目のピアニストのアルバム。封を開けていないからその中身がどんなものなのか私は知らない。だから想像する。彼にとって世界はどんなふうなのだろう。心の中どんなふうに音は広がるのだろう。奏でられる音で生まれる世界はどんな色合いをしているのだろう。 母がそういえば、と話し出す。あなたが送ってくれたメールの写真、開かないのよ。どうして開かないの? え? 見れないの? 見れないわよ、だからマリリン・モンローがどんなふうに咲くのか、私まだ知らないわよ。あらまぁ、もう一度送ってみるけど。いいわよ、今度調べるから。でもまぁ咲いたってことなのね。うん、咲いてるよ。香りは濃いけどいやな濃さじゃなくて包まれるような匂いだよ、花の色ととてもお似合いな香りがする。へぇ、そうなんだ、私は薔薇はあまり好きじゃないわねぇ。薔薇よりお母さんは草の方だよね。私は可憐な姿の植物が好きなのよ。ごっついのよりそっちの方がいいわ。薔薇、ごっついかなぁ。私のところにある植物より間違いなくごっついでしょ。まぁ、そうかもね。 途中笑い合いながら、そんなことを話す。 母の庭は。何となくイギリスの庭園に似ている。小さな花をたくさんつける草木が、所狭しと植えられており、歩くとまるで草原をあるいているような気持ちになるのだ。庭を持つことを羨ましいことと思ったのは、母の庭を見つめていたからかもしれない。こんなふうに地べたにじかに植えてやれたら、植物たちはどんなに生き生きとするだろう。そしていつも気にかけてもらって、手を入れてもらって、撫でてもらって。そうやって種から花へ、花から種へと順繰り回ってゆけたら、それこそ本望というものなのではないだろうか、と。 母がまだ元気だった頃、父と海外旅行に行くと必ず、種をハンカチにひそませて帰ってきた。これはどこそこの道端で見つけたもの、これはどこそこの庭先でちょっとつまませてもらったもの、これは…。そして母はそれらを庭に丁寧に撒くのだ。そして育てる。 今母の庭はまだ荒れている。母が病に臥せっている間に、すっかり荒れてしまった。手伝いたかったが、母が扱うようには母の草木を私は扱ってやれなくて。結局そうして今日に至る。母の庭はやはり、母の庭なのだ。他の誰も、母の代わりになれるものはいない。主があってこその庭。母の、庭。
ステレオのスイッチを入れると、シークレット・ガーデンのSonaが流れ出す。それを聞きながら、朝の仕事を始める。傍らには麦茶。夏の名残。そろそろまた、ハーブティを呑みたくなってきた。近いうち、店に買い込みに行こう。レモン&ジンジャーのティーパックが、あの店にもまた入荷されていた。そういう季節なんだ。 仕事をしながら昨日のことを少しずつ思い出す。友人と話したこと、本屋で久しぶりに読みたい本を見つけたこと、駅でのあまりの人ごみにくらくらしたこと、教科書を忘れたと言うから急いで飛んで帰り娘に届けると、そっけない顔で受け取り友達の後を追っていった娘のこと、絵葉書やちらしを整理していて見つけた木造校舎の写真とその中で撮った一脚のの木椅子…。 玄関を出る頃、雨はさらに小雨になっており。まるで微風にさらさらと乗って辺りを泳ぐかのような姿で。ふと見ると、久しぶりにアメリカン・ブルーの青い花が。鮮やかなその色に背中を押されるようにして、私は階段を下りる。 今日は自転車には乗らない。バスで出掛ける。と、見ればもう通りの向こうにバスの姿。私は慌てて大通りを横断する。 そうして今日もまた、私の一日が、始まってゆく。 |
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