見つめる日々

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2009年09月23日(水) 
夜通しココアの回し車の音が響く。結局朝までその音は続き、私はそれで目が覚める。ココアのそばににじり寄り、話しかける。よくもまぁ一晩中飽きずに回し車やってるね。疲れないの? 私、あなたの音でちょっと疲れ気味だよ。話しかけると、鼻をひくつかせて近寄ってくる。ひくひくひくひく、その小さな鼻は動き続け、でもふと思い出したように再び回し車に飛びつく。がらがらがら、がらららら。私は苦笑しながら立ち上がり、いつものようにベランダに出る。髪を梳きながら、空を見上げる。まだ雲が一面に広がっている。どんよりとした雲。今日は曇りなのだろうか。それとも晴れてくれるのだろうか。昨日のうちにホワイトクリスマスは開き始めたので早速切花にした。今、テーブルの上には二輪のマリリン・モンローと一輪のホワイトクリスマスが飾ってある。今ある蕾は他に、橙色のものと薄ピンク色のもの、それから白の薔薇。それぞれ、二つ、三つついている。唯一ついていないのが、ぼんぼりのような花を咲かせる薄橙色の株だ。大きなぼんぼり。最初にその花を見たとき、そう思った。ぼんぼりだから、上を向いて咲くのではなく、微かに俯きながら咲く。それが物思いに耽るかのようで可愛らしい。その折母にその写真を送ったら、あらこんな薔薇の花もあるのねぇと返事が来た。近々また肥料を買ってこようか。堆肥がいいかもしれない。
金魚は日に日に大きくなっていく。遠方に住みながらもよく泊まりに遊びに来てくれる友人が笑いながら言っていた。ねぇさんのところの植物や生き物は、とにかく太るか大きくなるよね、と。この家のエネルギーは何処か方向が変だよね、と。もういない三匹の金魚たちも、本当に大きく育った。彼女曰くそれは、餌をやるときばっしゃんばっしゃんと水が跳ね上がってちょっとびびるくらいだったそうだ。何となくもういないあの大きな金魚の姿を思い出す。大きな尾鰭をそよがせて泳ぐ様は、本当に美しかった。

そういえば昨夜遅く、電話が鳴ったのだった。私はココアの回し車の音で半ば起きており、その電話の音にすぐ反応できた。出ると、以前一度ここに遊びに来てくれたことのある友人からだった。
ねぇさん、最近ね、私、思うようになったの。そう言って話し出す彼女の声は、以前のものよりもずっとしゃんとしていて、背筋が通っていた。うんうん、と肯きながら耳を傾ける。彼女はとても大切なことに気づいたようで、私はそれが、自分のことのように嬉しくなる。真夜中ではあったけれど、できるなら彼女の話をずっと聞いていたかった。
私たちは。そう、私たちは被害者だ。世間で言うところのサバイバー、生き残りだ。病院と家とを行き来しながら毎日を過ごしている。でも。
被害者であることは、私たちの全体を作っているのではない。
また、被害者であることや病気であることに甘えたら、それで終わりだ。
そのことに、気づけるようになるには、本当に長い道程がある。長い時間がかかる。私もその闇の中でどれほど足掻いたか。その間にどれほどの人たちの心を踏みつけにしてきたか。はかり知れない。
でも、もし気づけたなら。その時、そこからまた新しい時間が始まる。周囲の存在に感謝しながら、自分と向き合い、見つめ、前を向こうとする力を持つことができるようになる。それは、過ぎてみれば小さな変化かもしれない、けれども、でも、確かな変化、なのだ。自分でそこに気づいたからこそ次が見えてくる、確かな変化。
彼女の声はだから、私の心にりんりんとよく響いた。私の心は澄み渡り、美しくおいしい空気に包まれているかのようだった。遠く隔たった場所に住んでいる者同士、会うことはなかなか叶わないけれども、いつかまた、会えるといい。その時はめいいっぱいのハグをして。
からからから、からからら。その間もずっと、ココアの回し車の音が響き渡っていた。でもその音はとても軽やかで、何となく微笑ましかった。

朝の一仕事をしながら、音楽をかけていると、懐かしい曲がかかる。シカゴのHard to say I'm sorry。中学の体育祭のプログラムに女子だけが踊るダンスがあった。新体操の延長のようなダンスで、毎年三年の体育委員がそれを創作するのだった。スローな曲とアップテンポの曲二曲で構成されるそのダンス。或る年の一曲が、シカゴのその曲だった。私がシカゴを聴くようになったきっかけは、だから体育祭にあった。
あの曲でダンスを作ってくれた体育委員の中に、私の憧れの人がいた。色白で、ほっぺたがぷっくりとしてほんのり桃色で、背が高く、肩につくくらいの髪型をしていた。私だけではない、たくさんの男女が、彼女のそんな姿を羨ましいと思っていたに違いない。そんな彼女の魅力の中で何が一番私の中に印象深く残っているかといえば、何よりも何よりもその瞳の色だった。薄い、光を透かしてしまいそうな茶色い色をしていた。その色はどこまでも澄んでいて、まるで清流のようだった。私は彼女に見つめられるとだから、いつも心がぽっと赤らんでしまったものだった。
懐かしい。中学の頃をこんなふうに思い出すのはどのくらいぶりだろう。もしかしたら、昨夜友人からいい話を聞かせてもらったおかげかもしれない。多分そうだ。そのおかげで私は、今、落ち着いた心持ちで心に浮かぶことをそのままに思い出すことができるのだろう。
人の心はまるで湖水の水面だ。あるがままその風景を映し出す。かと思えば強風に震えさざなみだって、何もかもを歪ませることもある。

娘のおはようという声がする。数日離れていただけなのに、その声がなんだか妙にこそばゆく私の鼓膜を震わせる。あぁ、日常がまた戻ってきたのだな、と実感する。ママ、今日のおにぎりは何味? ママ、今日は何するの? ママ、このメモ帳もらってもいい? ねぇママ…。彼女の声が部屋のあちこちで木霊する。
仕事に区切りをつけ、私は振り向き声をかける。さぁ行くよ。何処に? 外。何処行くの? 決めてないけど、自転車で行こう。
それぞれに思い思い荷物を鞄に詰め、玄関を飛び出す。今日も朝早くから校庭では野球部員が練習をしている。ふと見ると、空が青い。あぁ、これなら今日は晴れる。
私たちは自転車にまたがり、走り出す。きっと銀杏並木を通るとき、彼女は鼻をつまむだろう。銀杏の潰れた匂いが大の苦手な彼女。私は多分それを、笑いながら見やるのだろう。でもそこを抜けてちょっと走れば、もう海だ。
きっと今日は、輝きに満ち満ちた海に出会えるに違いない。きっと。


遠藤みちる HOMEMAIL

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