見つめる日々

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2009年09月24日(木) 
今日もココアの回し車の音で目が覚める。なんだか少しずつこの音にも慣れてきた。夢の中にまで入り込むところがちょっと困り者ではあるが、でもまぁ、彼女たちが元気であることの証拠と思えば、そのくらい、素通りできるというもの。私はおはようとココアに声をかけながら、そのままベランダに出て髪を梳く。適度な風がふぅふぅと吹いている。この時間はまだ肌寒いけれど、日中はきっと、ちょうどいい具合になるのだろう。うろこ雲に覆われた空もきっと、時間が来れば晴れ渡るに違いない。土曜日までこのまま晴れてくれればいい。娘の運動会は土曜日だ。
部屋に飾ったホワイトクリスマスとマリリン・モンローはあっという間に花開き、もう芯が見えてしまうほどだ。ホワイトクリスマスはずいぶんな大輪だったのだなぁとこうやって比べてみると思う。ホワイトクリスマスよりふたまわりほどマリリン・モンローが小さい。香りももちろんそれぞれ違っており、マリリン・モンローが濃厚な香りだとしたら、ホワイトクリスマスのそれは涼やかな香りだ。

昨日は娘の勉強に長いことつきあった。じじばばから出されたのだという宿題は、塾の勉強の復習。国語の慣用句や文章題はどうってことはない。しかし、算数の応用問題などになると、正直私は、答えを見ておかないと分からないときがある。ベンズといわれて、それって何、と言ったら娘が驚いて、ママ知らないの? だからじじばばも知らなかったんだ、と言う。それで見せてもらえば、なんてことはない、ベンズという言葉を習っていなかっただけで、その図は見慣れたものだったのだが。娘はそのベンズの問題や周期の問題、複雑な図形の角度の問題でひっかかる。少し放っておくと、そのまま何もせず遠くを見ている。何考えてるの、と尋ねると、何にも考えてない、とあっさり応える。じゃぁ何見てたの、と問うと、何も見てなかった、とひょうひょうと応える。果たして彼女の目には、何が映っていたのだろう。何も考えないことってあるのだろうかと、私は不思議に思う。でもまあ、風景を眺めながら何も考えず、ただそれを見つめるのではなく眺めているということがあるから、彼女もそうだったのかもしれない。
結局宿題を終えるまでに五時間も要した。教える私がくたくたになっているのだから、彼女もきっとくたくただったに違いない。それにしても、いまどきの塾の勉強はなんて難しいんだろう。今まだ彼女は小学四年生だ。こんな問題、本当にやらなくちゃいけないんだろうか。つくづく不思議に思う。そしてまた、これらをすらすら解いてしまう子たちが大勢いることも事実で、私にはそれこそが一番不思議でならない。
人の頭って、一体どうなっているんだろう。

港を回り、海の公園を抜け、私たちはサンドウィッチ屋さんに行った。そこはもう人だらけで、座る場所を見つけるのが大変なほど。ねぇママ、じじばばは絶対こういうところ来ないね。うん、来ないね。孫がどんなに行きたいっていっても行かないよ、じじばばは。ははは、そうだね、きっと。でもさ、たまにはいいよね。ま、たまにはね。私たちは他愛ない話をしながら、はぐはぐとサンドウィッチを頬張る。
帰り道、かつてさんざん通った池のある公園に寄り道してみる。このすぐそばに住んでいたことがあった。その頃は家族三人だった。まだ娘が、言葉を喋るか喋らないかの頃だ。そして私たちは、彼女をつれてよく、ここに遊びに来たのだった。私は私で、何かあればいつでもここに来た。そして池を眺め、樹を眺め、集う鳥や猫たちを眺めた。時に和み、時に涙し、時に唇を噛んだ。そんな時間が、ここにはいっぱいあった。
そしてまた、この公園は、彼女が骨折をした場所でもある。幼い頃さんざん遊んでいたことなどもう覚えていない彼女が、学校の友達とここに集い、遊び、そして骨折した。そこを今、再び自転車で通ろうとしている。
彼女はどんな顔をするかな、と思い振り返れば、坂道自転車を押すことに必死で、ふうふうと息を吐いている。必死の形相。あぁよかった、トラウマになっているわけではなさそうだ、と、私は少し安心をする。もちろん、今見えている彼女の姿が全てなわけではないだろう。それは分かっている。それでも私は、ほんのちょっとだけれど、ほっとしたのだ。もしトラウマになっているのなら、彼女は何処かで立ち竦み、もうそこから動けなくなっていたかもしれない。でも今彼女は、ちゃんとここを歩き、通っている。
後ろからひょいと声が飛んでくる。ママぁ、あそこだよ、あそこでね、ぶつかってね、泣いたんだよね。私はどきっとする。どうしようと思う。やっぱりここに来るのはまだ早かったか、一瞬そう思い、どうしようと立ち竦む。でもね、Nちゃんが足にハンカチかけてくれて、ママも自転車で飛んできてくれて、病院行けたんだよね。…そうだったね。あの病院の先生たちの中で、ママ、誰が一番好きだった? えー、覚えてないよ、もう忘れちゃった。私ねぇ、最初の先生はやだったけど、最後の方いつも見てもらってた先生はやさしくて好きだったなぁ。あぁ、あの先生かぁ、だってほら、あの先生が一番よさそうだっていうんで木曜日にいつも通うことにしたんじゃん。そうだったっけ? そうだよ。
話しながら、私たちはゆっくり公園を横切る。幼い子供たちを連れた父親の姿が目立つ。あぁそうか、今日は休日だったんだ、そのことに改めて気づかされる。娘にもう父親はいない。そう思ったとき、娘がいきなり尋ねてくる。ねぇママ、ママはなんでパパと別れたの? まるで私の心を見透かしたような問いで、私はまたどきりとする。それはねぇ、パパが全然働かなくなっちゃったから。そうなんだ。うん、だからあなたが小さい頃、ママが朝も昼も夜も働いてた。そういう時期があった。そうなんだ。それで別れたの? うーん、それだけじゃないなぁ、別れようって思ったのは、パパが、いくら待っても働こうとしないで、最後、三人でホームレスになればいいって言い出したときだな。ホームレスゥ? うん。ママは好きでパパと一緒になったんだからパパと一緒にホームレスになってもしょうがないかもしれないけど、あなたをホームレスにさせることなんて、ママはできないと思った。ホームレスかぁ、そしたら学校行けないね。うーん、そうなるなぁ。そしたら友達もいないんだ、やだなぁ、それ。ははは、やだねぇ…。結局そうしてママはパパと別れることにしたんだ。ふぅん。そうなんだぁ。そう。
それは簡単すぎる説明だったかもしれない。でも、今私が彼女にできる精一杯の説明だった。それ以上もそれ以下も、説明しようがなかった。
そうして私たちは、さらに急な坂を上り、家路を辿った。

娘を送り出した後、突如過食嘔吐の発作が襲ってくる。何故今? 私の心臓がばくんばくんと音を立てる。何とかとどめようと試みる。しかし。私は波に呑まれた。
気がつけば、食べ物をがつがつと口に入れている自分がいた。慌てて私はトイレに駆け込み、吐いた。次々に吐いた。水を飲んでさらに吐いた。吐いて吐いて。トイレの前、ぺしゃんこになって座り込む自分がいた。
疲れ果て、そのまま少し眠った。気づけば日は沈んでいた。私は大急ぎで身繕いし、玄関を出る。もう一瞬たりとも、そこにはいたくなかった。食べ物が容易に手に取れる場所にはいたくなかった。吐こうと思えばいくらでも吐ける場所にはいたくなかった。

朝の一仕事を終えようとする頃、目の前にいきなりにゅうと娘の手が伸びてくる。何かと思いきや、ミルクがそこに乗っている。ママ、ミルク、やっぱりでぶだね。ははは、大きすぎるよねぇ、もう余裕で10cm越えてるよね。次に娘はココアを手のひらに乗せてやってくる。こうして見ると、ミルクとココアの体の差が実に明らかになる。ココアは多分標準サイズなのだ。まだまだ身体は小さいし、おなかだってミルクのようにでっぷりしていない、ほっそりした体つきだ。同じ時期に生まれ、同じ時期にうちに来て、同じものを食べているというのに、この差は何なんだろう。私たちはどちらともなく吹き出して笑ってしまう。
ふたり揃って玄関を出る。そして登校班の集合場所へ。運動会直前の今日は特に子供たちの姿は少ない。大半の子供らが朝練でもう出掛けているからだ。結局普段10人ちょっとの登校班も集まったのは半数だった。
それじゃぁいってらっしゃい。いってきまぁす。手を振り合って別れる。子供たちは学校へ。私は私の場所へ。
思ったとおり空は高く澄み、風は心地よい。降り注ぐ陽光の間を縫って、私は自転車を走らせる。赤信号で止まった私は、思い切り空を見上げ、思わず目をつぶる。なんて眩しい。でもそれは間違いなく秋の陽光で、何処か涼しげで、寂しげで。
さぁ信号が今青に変わった。私はペダルに乗せた足に思い切り力を込める。今日も一日が、始まろうとしている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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