見つめる日々

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2009年10月04日(日) 
目を覚まし窓を開ける。地平線辺りにかたまっている雲は灰色だけれども、これも朝のうちだけだろう。きっと今日は晴れる。てっぺんがからんとしている空を見上げながら、私は思う。
ミルクとココアに餌をやり、水を替え、金魚にも餌をやる。ただそれだけのことなのだけれども、娘がいないことが痛感される瞬間。辛いわけでも痛いわけでもないけれど、でも、傍らがぽっかり空洞になっているかのような、そんな感覚を味わう。
薔薇とアメリカン・ブルーに水をやり、その後ようやく私は髪を梳かす。徐々に温んできた空の色を眺めながら髪を梳く。

いつもより早い時刻に玄関を出、バスに乗る。今日行くところはもう決まっている。三か所。それを回って資料を書けば家に帰れる。休日の朝のバスはがらんどうで、誰もが少し眠そうな顔をしている。私は窓際の席に座り、駅までの道のり、外をぼんやり眺める。
乗り込んだ電車の中、本を読もうとするのだけれど、やっぱりまだ、うまく活字が辿れない。どれもこれも象形文字のようなカタチで私の目に映り、解読まで辿り着かない。仕方ない。本をぱたんと閉じ、私は車窓から流れる景色を見やる。街中から一時間半も乗ると、少しずつ刈り取られた田んぼやまだ黄金色にそよぐ稲穂の姿が見られるようになる。ひとつひとつが異なる色合いで、私の目を楽しませてくれる。

前の日、少しショックなことがあった。少し、だけれどもあった。一緒に事を始めた人が、一方的にその事を放り出すという出来事。自分にはまだ無理だという手紙が一方的に届いただけで、それで事が片付いたのだろうか。本当にそれで事が片付くといえるのだろうか。私は不思議に思う。でも、自分は多分何も言わないんだろう。去るものを追っても何も得るものはない。
私はこれからどうしたいだろう。私もその事をいっそ放ってしまおうか。そういうことも考えた。でも、もう私たちだけではない、他の人も巻き込んで営まれている事柄。一方的に放ればいいというわけではないだろう。少なくとも今、そんなふうにどうこうできる段階ではないと私は思う。私だけでも、続けていけるなら、それでしばらく様子を見てみようか。そう思う。
ひとつ小さなため息をつき、私はそれをそのまま、深呼吸に置き換える。大丈夫、何とかなる。

訪れた母の庭は、秋色に染まり、自由に咲き乱れた草花が風に揺れていた。手入れはまだ殆どされていない。それでも花は咲き、風に揺れる。まるで母を恋し待っているかのようにさやさやと揺れる。それを見ながら母が、「そろそろまた球根の季節だから、どうにかしなくちゃねぇ」と呟く。まだそんな体力、戻ってきていないだろうに、と私は思う。思うが口には出さない。母が好きなようにしたらいいと思う。そして時々私が手伝えばいいと思う。母だけでは無理でも、私が少し手伝うだけで、多分きっと、状況は変化する。金木犀の花の香りが、風に乗って窓から入り込む。まだ実家の二階に住んでいた頃、季節になると毎日私はこの香りを胸一杯にかいだ。夜も昼も朝も、その香りは漂い、私を包み込んだ。懐かしい匂い。芳香剤にも金木犀の香りはあるけれど、好きだけれど、どうしても使えないのは、ここでこうしてあの大きな金木犀の樹の香りをかぎ続けて育ったからじゃないかと最近思う。自然の香りと作られた香りとでは、どんなに似通っていても違う。私はこの、自然の中に漂う金木犀の香りが、好きなのだ。
「あなたが置いていった紫の薔薇、まだ何とか生きているわよ」。母が突然思い出してそんなことを言う。母に案内されて庭の隅に行くと、確かに生きている。弱々しくも生きている。「花は咲きそうにないね、まだ」「そりゃそうよ、まだ無理よ、でも生きているの」「そうだね」。母と私はそんな会話をやりとりする。紫の薔薇よ、一度だけ咲いた紫の薔薇よ、おまえは来年、はたして花をつけるのだろうか。できるならこのまま母の元で、ここで、母にその顔を見せてやってほしい。私は心の中、そんなことを願う。
「私が死んだら、この庭、どうなるのかしらねぇ」。母が呟くように言う。その声は凛としていて、もうどこか達観していて、すっきりしている。私は慌てて言う。そりゃ、私たちが何とかするにきまってるじゃない。あぁそれは無理よ、あんたたちにここの庭の手入れは無理。私にしかできないわ。母はそう言い切った。
そう、それは分かっている。確かに、母の庭は母にしか手入れできない。他の人がどう努力しようと、それはもう、違う人の庭になるだろう。庭は変化してゆくのだ、そうやって。だから母が死んだら。母が死んだらこの庭も死ぬ。そして別の人の庭になる。
母もそれが分かっているのだろう。分かっているからこそ、こんなにもあっけらかんとした声でこんな言葉を言えるのだ。でも。
まだ早い。まだ早いよ、母。そんなことを言ってはだめだ。母はまだ生きているのだから。そう言いたかったけれど、言えなかった。

ようやっとの思いで三か所場所を回り、私は帰路につく。疲れ果てた足がぱんぱんに膨らみ、靴がきつくなったかのような感じがする。
飲み忘れていた昼の薬を口に放り投げ、お茶で呑み込む。これで少しぼんやりできるだろう。最寄りの駅に着くまで、眠れないまでも、ただぼんやり、していたい。何も考えずに。

ふと気づけば、すっかり日は西に傾き。そろそろ駅に着く頃だろう。そして、少し待てば娘も実家から帰ってくる。待ち合わせした場所で待っていれば大丈夫。
そうして押し出されるようにして電車を降りる。
あとは娘と一緒に家に帰って、夕飯を作って、風呂を用意すれば、何とか一日は終わる。後少し、後少し頑張れば、終わるんだ。
私は、疲れにすっかり呑み込まれた体に、思い切り喝を入れる。そう、後少し。頑張ればいい。
長く伸びた線路の向こう、燃えるような夕日が今、落ちようとしている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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