2009年10月07日(水) |
重たげな空が広がっている。いつ雨雫が落ちてきても不思議じゃない。私は試しにベランダから手を伸ばしてみる。まだ今は落ちてこない。でも、いつもならすっきり見渡せる向こう側の景色が、何となくけぶってみえる。 街路樹が風に煽られ、裏の白緑を見せ翻っている。風の向きのせいだろう、今のところベランダにその風は吹きこんでこない。一応支柱を立てておいた。台風がもし本当に来るなら、今の薔薇たちにはまだ支柱が必要だ。 夜、途切れ途切れ目覚める。そのたび、耳にはココアの回し車の音が響いてくる。毎日毎日飽きないものだなぁと思いながら、私は再び眠りに落ちる。その繰り返し。気づけばもう、すっかり目は覚めており。時刻は四時半。まだ少し早い。 Gパンを履きかけて、あっと気づく。ファスナーがまた壊れた。考えてみれば何年このGパンを履いているんだろう。草臥れたファスナーを一度修理した。それからもまた二年履いている。今度はどうしよう、修理しようか。ここまで履いてくると、捨てるのは惜しい。私は壊れたファスナーを、無駄と知りつついじってみる。
娘が突然、きゃははと笑う。何事かと思い振り返ると、ココアを足に乗せて笑っている。そして、振り返った私に気づいた娘は、ぱっと身を起こし、こちらに向かってくる。何するの、と云う暇もなく、娘は私の頭にココアを乗せる。私は身動きできず、口で必死に訴える。どけてよ、ほら、どけて、髪の毛で滑ってるよ、ココア! わはははは、おもしろーい、滑り台みたい。そんなこと云ってないで早くどけてよ、もしおしっこしたらどうするの! わはははは。娘はそれでも笑いながら、ゆっくり手を伸ばし、ココアをすくい取る。もうねぇ大丈夫なんだよ、ココアは、慣れたもんね! そう云いながら、ココアにキスするような仕草をしてみせる。参った。ココアはこちらの騒ぎを、不思議そうに鼻をぴくつかせながら見つめている。じゃぁミルクは? ミルクは多分まだだめ、凶暴だもんね。娘は即答する。確かに、彼女はちょっと凶暴だ。ちょっと、という表現が正しいのか知らないが、少々凶暴の気があるのは確かだ。かわいいんだけどね。そう云って娘は、ココアを巣に戻す。そして今度はミルクを手に乗せて遊んでいる。
知人から分けてもらった山ほどのトマト。何にしようかと一瞬考え、半分はスープに使うことにする。 玉ねぎをみじん切りにし、これもまた小さく角切りにしたベーコンと一緒に長いこと炒める。しんなり透けて黄金色になってきたら今度は細かく切ったキャベツ、そして角切りにしたトマトを豪勢に鍋に投げ込む。水を少々加え、ブイヨンを入れて蓋をしてあとはとろ火。ただそれだけ。でも。 何故だろう、スープを煮込んでいるときというのは、幸せな気持ちになれる。多分その匂いなんだろう。徐々に徐々に部屋を満たしてゆく匂い。特にトマトの時はその匂いが芳醇で、私はうっとりする。時々鍋を覗き込みながらも蓋は開けず、ことこと、ことこと三時間。野菜スープのできあがり。 あとは、昨日のうちに作っておいたスペアリブと、ひじきご飯が炊ければ夕飯だ。しかし、スペアリブを一口口にした娘が一言、ねぇ、ちょっと味薄くない? そうかな? ママはちょうどいいんだけど。薄いよ、なんかもうちょっと味が欲しいんだけど。…。 結局娘は、皿の端に塩胡椒を用意し、はぐはぐと食べる。今度は味付けを濃い目にしないとだめってことなのかな、と私もまたはぐはぐ肉を噛みながら思う。
髪を梳いていて気づく。爪が伸びたな。私は部屋に戻り、爪切りを手にして、ふと首を傾げる。 じいちゃんは、朝爪を切るなと言った。出掛けに切るといいことはない、と。でもばあちゃんは夜爪を切るなと言った。夜切ると悪い夢を見る、と。どちらが本当なんだろう。 私は爪切りを持ったまま、しばらく椅子に座って思い巡らす。田舎から出てきたじいちゃんが、ばあちゃんに一目惚れして、でもばあちゃんは全然なびいてくれなくて、そこでじいちゃんは考えた。ばあちゃんの母親を口説き落としにかかった。結局ばあちゃんは、母親に説得されてじいちゃんと一緒になった。そして、子供を四人産んで、これからというときに癌にかかった。それからは入院と退院の繰り返し。「私の人生は限られてるのよ、人より短いんだからめいいっぱい生きなくちゃ!」が口癖だった。その口癖どおり、ばあちゃんは、踊りやお茶、お華、そして最後にはゲートボールの審判にもなって、とにもかくにも走り回った。 じいちゃんは。そんなばあちゃんの傍ら、黙々と働いていた。いつ遊びに行っても、じいちゃんは片方の耳にイヤフォンを差し込んで、競馬の中継か相撲の中継を聞いており、傍らには新聞があった。でも、じいちゃんの棚のひとつに必ず、駄菓子が用意されており、私と弟はそこから、梅ガムやラムネをもらっては食べた。そんなじいちゃんも最後癌に全身を蝕まれ、倒れてから一週間であっけなく逝ってしまった。 じいちゃんとばあちゃんは。ばあちゃんが生きている頃はなんとなく仲がよくないような、いつでも意地張ってそっぽ向き合っているようなところがあった。でも、ばあちゃんが死んだ時、じいちゃんはぼろぼろに泣いた。ただの人なのに何百人もが集まったばあちゃんの葬式の真ん中で、じいちゃんは背中を丸めて泣いていた。もしかしたら、ばあちゃんが死んで初めて、じいちゃんとばあちゃんはお互いに素直になれたのかもしれない。どんなに体が弱ってからも、じいちゃんはばあちゃんの墓参りを、毎月欠かさなかった。母が皮肉っぽく一度こんなことを言った。「こんなふうになるなら、ばあちゃんが生きてる頃から仲良くしておけばよかったのに」と。 それができたら、本当によかったんだと思う。でもできなかった。できる人たちじゃぁなかった。ばあちゃんにはそんな余裕もなかったんだろう。じいちゃんも多分それが分かっていたんだろう。 今頃空で、ふたりはどうしているんだろう。生きていた頃と同じように、ばあちゃんがぷりぷりじいちゃんを怒りながら、でもじいちゃんは黙ってラジオを聴いている、みたいな光景が繰り広げられているんだろうか。そうだと、いいな、と思う。
そういえばじいちゃんから戦争の話を何度か聞いた。それは数える程だったが、でもだから、私の中にとても深く深く刻まれている。じいちゃんの乗っていた船が沈んだ。仲間が何人も何人も海に投げ出され、呑み込まれていくのが見えた。木切れに捉まる腕もしびれてきて、自分ももうだめかと思ったとき、じいちゃんは声を聞いた。あっちだ、あっちに泳いでいけ、いくんだ、という声を。じいちゃんは必死に泳いだ。どのくらい泳いだか覚えていない。ただ泳いだ。そして。気づいたら足の着くところに来ていた、と。 それから紆余曲折を経てじいちゃんは日本に帰ってくることができた。 そんなじいちゃんの話の一方で、ばあちゃんの話は一度だけだった。ふたりの弟がいた、その弟ふたりとも、特攻隊で亡くなった。ただそれだけ。ばあちゃんはそれ以上何も話してくれなかった。戦争の話をするのはいやだ、と、それ以上何も話してはくれなかった。 でも、この二つの話だけで、小さい私には十分過ぎた。じいちゃんとばあちゃんの顔は暗く、まるで穴を穿ったように暗く、闇の一点を凝視していたから。私はじいちゃんとばあちゃんの間に丸まりながら、何も言えず、眠った。じいちゃんとばあちゃんの布団の匂いは、線香の匂いがしていた。
娘が笑う。娘がすねる。娘が意地を張る。娘がそっぽを向く。一日のうちに何度、そういった彼女の仕草を見るだろう。私の前でそうやっていろいろな仕草を惜しげもなく見せてくれるのは、今のうちかもしれない。じきに反抗期がやってきて、こちらをちらりとも見てくれない見せてくれない年頃になってしまうんだろう。 そんな娘に、私はどんな話を残してやれるんだろう。じいちゃんやばあちゃん、そして父や母のような物語は私にはない。ただ必死に生きていることしか、ない。それにまだ、人生を語れるほど、私は生きてはいない。 できるのはただ、ありのままの姿を見せてゆくことだけ。多分に我侭で、自分勝手で、雑草のような自分の姿を、見せてゆくだけ。それでも。 それでも今は、彼女が笑ってくれる。泣いてくれる。それはとても、幸せなことだと、存分に味わっておこう。今だからこそ、味わえるこの幸福を。
気づけば雨。降りしきる雨。耐えられなくなった雨雲がようやく雫を落とし出したか。私と娘はそれぞれに傘を持ち、階段を下りる。 じゃあね、またね、後でね。そう言って手を振る娘に私も手を振り返す。娘は学校へ、そして私はバスに飛び乗る。 今日もまた一日が、無事に過ぎてゆきますように。私は祈るような思いでそう、呟く。 |
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