見つめる日々

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2009年11月04日(水) 
お湯を浴びることも怠って横になった昨夜。夢がぐるぐると回る。もう朝なんて来ないんじゃないかと思ったって、やっぱり朝は来る。ちゃんと朝はやって来る。
水をやり損ねていたアメリカン・ブルーにたっぷりと水をやる。一度萎れてしまった葉はなかなか元に戻らない。今あまり枝に負担をかけるわけにはいかないから、鋏を持ってきて切ってやる。ごめんね、と言いながらぱちん、ぱちん、ぱちん。玄関先には、新しく植える予定の株が置いてある。今日帰宅したら植え替えてやらねば。そう思いながら、風呂場で水をやる。まだ暗い闇の中。でも東の空には、朝焼けの気配。
そう、どんな思いを味わったって、ちゃんと朝はやって来る。誰の上にも誰の元にもやって来る。それを呼吸しないで何を呼吸しろというのだろう。だから私はベランダに出て、思い切り息を吸い込む。冷たい冷たい空気。私の全身は鳥肌立つ。それでも構わず息を吸う。

ねぇママ、リスを見たんだよ。電話先で娘が言う。ばぁばと裏山に行ってリスを見つけた。そっかぁ、まだリスがいたんだ。うん、いるよ、たくさんいるんだよ、だってね、枝に登ったりどんぐり拾ったり、ミルクみたいに顔洗ったりしてたよ。そうなんだぁ。いいもの見たねぇ。私も受話器に向かって話しかける。だから明日の朝も散歩することになってるの。そっかそっか、いいじゃない、しておいで。

友人に連れられて、夕陽を見に行く。海に落ちる夕陽を。内房の海は思ったより穏やかで、私は少しがっかりする。もっと荒々しい海を見たかった。そういう期待をしていた。でも。
堕ち始めた夕陽の描く金の道は真っ直ぐに。私の足元に寄せる波にまで届くほど真っ直ぐに伸び。もし私が一歩踏み出したなら、そこを歩いて向こうまでいけそうな。それほどに確かな道だった。多くの人が海岸に集まり、一心に夕陽を見ていた。太陽の周りにだけ漂う雲。その雲の合間を太陽が堕ちてゆく。燃える橙色は、生まれたての黄身色のようで。打ち寄せる波が私の足を洗ってゆく。冷たいのに何故か私はそれを燃えていると感じる。金色に染まった部分だけが間違いなく燃えていて。私はただ、太陽を見つめている。

加害者に対する衝動は、消えることはなかった。今も私の中燻っている。もし今ふらふらとあの街に行ってしまったら、私はやっぱりあの場所へ行ってしまうのかもしれないと思うほど、それは燻っている。それでも。
私の中に在る私の愛する人たちの顔が。徐々に徐々に表情を持ち始め、動き始め。私に語りかけてくる。私の名前を、呼ぶ。そして気づいた。
私は今生きているんじゃない。生かされているのだと、はっきり思った。多くの人たちに生かされているのだと。
そう、衝動が消えることがないのなら、それとつきあっていけばいい。

友人が、アイスクリームを食べる私の顔を見て言う。ようやく笑ったね。言われて気づく。私は笑うことも忘れていたのか、と。多くを聞かない友人は、ただ私につきあい、夕陽を見せてくれた。
私の中の衝動を知らない娘は、今日あった出来事をばぁばに聴こえないようにそっと私に告げてくれた。ばぁばには秘密だよ、と言いながら、こそこそっと囁いてくれた。
私にもそういう衝動がありました、と、撮影を共にした友人が私に告げてくれた。でも今は、それも人生の醍醐味だと思えるようになりました、と、彼女は言っていた。いつか私にもそんな時が来るんだろうか。
何も知らない友人が、赤子を孕んだのだと電話をして来てくれた。私にも産めるだろうかと彼女は言う。だから、産みたいと思うのなら大丈夫だよと答える。
海の向こうの友人が、あなたに会うために今アルバイトを始めたんだと手紙をくれた。あなたとあなたの写真を見るために日本にゆくと、だから待っていてと。そう手紙は結んであった。
実家に娘の荷物を届けた折、母が苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、いってらっしゃいと私を送り出してくれた。

ひとつひとつ、私は思い返してみる。私の中から消えてなくならないように、辿りながら強く自分に刻み込んでゆく。ひとつひとつは、拙いことかもしれない、他愛ないことかもしれない、でも、そういったものたちが私の日常を確かに支えてくれているのだということを、忘れては、いけない。そういったものたちこそが、私を支えていてくれるのだということを。

加害者がこんなにも近くにいかなったら。私は気づかないで過ぎていたかもしれない。加害者がこんなにも明らかでなかったら、私は知らないでこの思いを通り過ぎていたかもしれない。もちろん、逆のことも言える。加害者がこんなにも明らかでなく、こんなにも近くにいなかったら、私はこんな衝動を味あわないで済んだかもしれない。でも、現実は残酷で、いつだって残酷で、私の加害者は私の近くに住み、誰かということも至極明らかで、いつだって手の届く距離にいる。
そういう現実を、私は生きている。その現実の中で、私はこれからも生きていかなければならない。それならば。
多分衝動が全く消えることはないんだろう。消えることがないのなら、つきあっていけばいい。どうつきあうか、それは、それこそが、私に任されたことなんだ。
私が選ぶ、ことなんだ。

朝、娘に電話をする。ミルクとココアのことはじじばばには内緒にしてあるから「生ハム」という合言葉で話す。生ハムが小屋によじ登って、がしがし金網噛んでるよ。それからね、巣の入り口に木屑をたくさん山積みにしてるから、出てくる時木屑だらけになって出て来るんだよ。ママは噛まれると怖いから、だっこしてないの、餌をやる時だけ、ちょこっと撫でてあげてるけど。えー、だめじゃん、ちゃんと抱っこしてあげてよ。やだよぉ、噛まれて流血するのやだもん。あはははは、ママは何でかわかんないけど噛まれるからなぁ。だから抱っこはあなたが帰ってくるまでお預けだね。かわいそー。
今週いっぱい、娘の学級閉鎖は続く。その間、彼女はじじばばの家で過ごす。私は一人になるが、もう大丈夫だ。きっと。

支度をして、玄関を出る。階段を駆け下り、バスに飛び乗る。いつもこの時間には車椅子の人が一人乗ってくる。運転手さんが手を貸さなくても、その方のお母様が全部セットしてバスは走りだす。明るい陽射しが、きらきらとバスの中に降り注いでいる。
私は、展覧会会場の喫茶店に向かっている。少し早いけれど、時間なんてあっという間に過ぎる。その間にやることだって山ほどある。
駅に着き、人がぞろぞろとバスを降りる。私もその波に乗ってバスを降りる。駅にはもう、多くの人が行き来しており。私はしばしその様を眺める。
一日はもう始まっているんだ。
私の耳元では、中島みゆきの、一人で生まれて来たのだから、が、延々と流れている。そう、人は一人で生まれ、一人で死んでゆく。でもその間に、なんと多くの人と関わってゆくことか。そしてその多くの人たちにどれほど私は生かされていることか。
多分私を作るのは、そうした人たちとの記憶なんだ。だから歩いてゆける。これまでも。これからも。


遠藤みちる HOMEMAIL

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