2009年12月21日(月) |
午前四時。娘のアラームで起こされる。午前四時に起きて何がしたかったのだろう。その娘は微動だにせず。試しに揺すってはみるものの、これも一向に効果はなく。まだ早過ぎるだろうと声はかけずにおく。カーテンを開けると、昨日よりも一層濃い闇色が横たわっており。私はその闇色を眺めながらお湯を沸かす。紅茶葉入れに、昨日買い足したレモングラスとペパーミントを入れ、スプーンでかき回す。適度に茶葉が混ざったところを一匙すくって、カップに入れる。 紅茶を蒸らしている間に顔を洗う。そうして再び台所へ向かい。入れたての紅茶を一口啜る。ようやく体が起きてくる。私はカップを持ってそのままベランダへ。今朝今の時間に明かりの点っている窓は三つ。その窓を結ぶと、ちょうど直角三角形になる。私はその三角形をゆっくり目でなぞる。 私はようやく机に座り、昨日届いた本を紐解く。フォーカシングやカウンセリングに関する書二冊。ぱらぱらと頁を捲り、どちらから読むか選んでみる。どちらもそう厚くはない、どちらかといったら薄い本だけれども、読むのは大変そうだ。一冊選び、今読みかけの書と共に鞄に入れる。 から、という音が微かにしたので台所へ行ってみると、昨日新しくやってきた家族の一員が、回し車を回している。私に気づいて止まり、回し車の真ん中でちょこねんと立っている。おはよう。私は声をかけてみる。すると、その声に反応したのか、ミルクがさっと小屋から出てくる。こちらは私の姿を確認すると途端にいつものようにがっしと籠に齧りつく。おはよう、もうちょっと待っててね。私はこちらにも声をかける。ココアは真ん中の籠でじっと、小屋の中で眠っているようだ。 徐々に徐々にぬるみはじめる東方の地平線。闇色が日に日に濃くなっているせいだろう、グラデーションはまだまだ短く。地平線の間際が橙色に、そして闇色と地平を結ぶ辺りが仄かに白く染まっているのみ。でもじっと見つめていると、その橙色と白との帯が少しずつ少しずつ膨らんでゆき。闇を溶かし始める。 夜明けの、始まりだ。
友人に連れられて行ったライブは、今まで私が観たことのない類のものだった。この聴衆の団結力のようなものは一体何処から沸いてくるのだろう。ライブがまだ始まる前から、その様子は明らかで。私は初めて見るその様子に、しばし息を呑む。歌い手の歌に合わせて手拍子を取る、身体を揺らすは当たり前なのだけれども、決して誰も、歌を邪魔しようとする者がいない。歌の間に声を張り上げる者が誰もいない。もちろん間奏の間は大勢の声が舞台の歌い手に飛んでゆく。しかし、歌い手の声を遮る声は最初から最後まで一声もそこにはなく。誰もが、今一緒にこの会場にいる隣人を気遣い、気遣いながら耳は目は舞台に。その緊張感、一体感はたまらなく心地よかった。私は歌い手の歌と共にその会場の雰囲気を深く味わっていた。
頼まれ仕事でとある街を走り回る。その街はかつてさんざん仕事で走り回った街でもあり。だからどうしても今と過去とが重なり合い。私の心を鷲掴みにする。時折眩暈を起こし、私は立ち止まる。が、今立ち止まったらたちどころに動けなくなる気がして。私はすぐに動き出す。過去に呑み込まれまいとして、懸命に動き続ける。 ようやく終えた頃には全身ががちがちに強張っており。膝が抜けるような感覚に襲われる。涙が出そうになる。この場所はまだ私には早い。改めてそう思う。
いつもより早い時間に娘と待ち合わせる。じじばばにつけさせられたのだろう、マスクを被った娘が人ごみを駆け抜けてやって来る。私はその手を取って、さらに二人で走る。 クリスマス色一色に染まった街の片隅。私たちはペットショップへ。もう一ヶ月も前から、娘が私と知人とに頼み事をしていた。それが今日叶う。 娘はもう目を皿のようにして、ガラスケースを見つめている。でも店員に何も訊けないでもじもじしている。ねぇ、知りたいことはちゃんと自分で訊いておかないと後で後悔しちゃうよ。私が声を掛ける。それでもまだもじもじ。私は隣にやってきた店員に声を掛ける。そして娘に、訊きたいことを言ってごらんと促す。 最初種類の違うハムスターを選ぼうとしていた娘。でもそれはとてもすばしっこい性質らしく。観賞用ですね、という店員の言葉に、やっぱり今までと同じ種類の中で選ぶ、と判断する。そうして改めてガラスケースを見つめ始める。私は隣にいると口出ししたくなってくる自分に気づき、慌ててその場を離れる。少しずつ自分から店員に何かを訊き始める娘の様子を確かめ、話の聞こえないところでじっと待つ。 ママ、私、この子にする。そうなの? うん。どうしてかって言うとね、この子が一番元気で体が大きかったから。そうなんだ。本に書いてあったの、同じ時期に生まれた子で選ぶ時は体が大きくて元気な子がいいんだって。そうかそうか、それならそうするといいんじゃない? うん、この子にする。契約書にも娘に自分で名前を書いてもらう。知人はそんな私と娘の様子を黙って眺めている。 小さな段ボール箱に入れられた新しい家族を、娘は大事に抱きかかえる。知人がそれをからかって段ボールを突付くと、娘がひゃぁっと泣きそうな声を上げる。知人が尋ねる。名前は決めたの? うん! なんて名前? ゴロ! 私と知人は顔を見合わせる。女の子だよ? いいんだよ、もう決めたの。 ゴロ。それは、知人の渾名からとった名前だった。知人はそんな娘を改めて見つめ、ぷっと吹き出す。私もそれにつられて笑い出す。ゴロかぁ、ゴロちゃんね。そうして三人、荷物を抱えながら、店を後にする。午後の陽射しが、目に眩しい。
ねぇママ、ゴロちゃんって噛まないよ。え、もう抱いてるの? だって手を出したら乗ってくるんだもん。二、三日はせめてそっとしておいてあげた方がいいんじゃないの? んー、だって自分から乗ってくるんだよ。ふぅん。やっぱり私はつい口出ししたくなる性質らしい。懸命に次の言葉を呑み込む。この子たちの世話は全部娘に任せるのだから、私が口出しすることじゃぁない。 それにしても。同じハムスター、色違いではあるものの種類も同じ、だというのに、この三者三様、性格の違いは何だろう。私は改めて生命の不思議を感じる。同じ手に乗せるという動作でも、ミルクは四六時中歩き回り、ココアはぺたんと掌にくっつき、そしてゴロは丸くなる。撫でられる時の様子も全く異なる。ミルクが頭を持ち上げてくるとしたらココアはぺったんこ、ゴロはじっとそのまま。 似通った顔をしている筈なのに、声を出すわけでもない彼女たちなのに、それでも三匹ともそれぞれに全く違う表情。遠い昔に父母に連れられて観た映画「キタキツネ物語」を思い出す。生まれ出た子供らの、それぞれの表情。それぞれの仕草。癖。性格。生命にはひとつとして同じものは在り得ないのだと、それは当たり前のことだと頭では分かっているけれども、改めてその不思議に私は思いを馳せる。
いつの間にか夜がすっかり明けている。空は白く白く輝き、その空気は凛と張り詰めており。こうした冬の空気の色合いが私は好きだ。たまらなく好きだ。自分の背筋もぴんと伸びてくる気がする。 ママ、そろそろバスが来るよ。うん、分かってる。もう出る。そう、今日は病院の日。そしてその後国立へ足を運ぶ予定。それじゃぁね、行って来るね。あ、ママ、ココアに挨拶して。はいはい、じゃぁ行ってくるね。うん、気をつけてね。 私はココアと娘とに見送られ、玄関を飛び出す。階段を駆け下り通りを渡れば、丁度やって来るバス。混み合うそのバスに揺られながら駅へ。 慌しく過ぎた週末。さぁまた新しい一日が始まる。ちょうど電車は川にさしかかり。私は晴れ渡る空とりゅうりゅうと流れるその川面を見やる。 三羽の野鳥が今、目の前を横切ってゆく。 |
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