見つめる日々

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2009年12月24日(木) 
午前五時。まだ少しだるさの残る身体を起こす。昨夜娘は何時に眠ったのだろう。覚えていない。私より多分遅かったはず。そんなことを考えながら窓を開ける。濃い闇色の中、浮かぶ灯は四つ。凛と張り詰めた冷気の中、その灯たちは煌々と白く輝いている。そんな中、街燈はまた異なる色合い、暗橙色の仄かな円を描いて闇に漂う。
私はお湯を沸かしながら茶葉を用意する。レモングラスとペパーミントの茶葉をカップに入れお湯を注ぐ。乾ききった葉が瞬く間に濡れて、澄んだレモン色がふわりとカップの中広がる。
椅子に座りながら、あぁ、クリスマスなのだなぁと思う。娘へのカードをまだ書いていない。サンタからのプレゼントも私からのプレゼントもようやく用意した。今夜彼女が寝入ったら枕元に置く。私が置いたことが分かってしまわないように、今夜は仕事があると言って彼女より遅く寝よう。そう決める。
私はベランダに出、ホワイトクリスマスの蕾を見つめる。クリスマスにはちょっと間に合わなかったが、でも、もうすぐ、開こうとしているこの蕾。白く白く膨らんで、真っ直ぐに天に向かっている。白の花びらの付け根の方には薄い緑色の脈が残っており。その色合いが何とも言えない美しさを醸し出している。
ホワイトクリスマスの隣でベビーロマンティカが三つの蕾をつけ、佇んでいる。こちらもまたそれぞれに膨らんできており。でもまだ花の色は現われていない。今年初めて咲く花。どんな色を見せてくれるだろう。今から胸がどきどきする。
パスカリたちのプランターには病葉が見られ。私は一枚一枚、摘んでゆく。新芽がやはりこぞって病気に冒されている。ちょっと水をやるとこうだ。しかし、水を全くやらないわけにもいかない。加減が大切なのだろう。でもその加減というのが、一番難しい。
そうしている間に、少しずつ少しずつ緩み始める地平線。徐々に徐々に変化してゆく色合いを、私はベランダからじっと見つめている。

親しい友人たちと盃を酌み交わす夜。娘は、流れる音楽に合わせ身体を大きく揺らして、私たちの笑いを誘う。食べるより飲む。そんな雰囲気がテーブルに流れており。遅れてきた友人も次々盃を空けてゆく。
私が娘を連れていることを気遣ってくれる友人たちと、必要なものを買い込んで我が家へ。散らかってると断りはしたものの、本当に部屋は散らかっており。友人たちはそれぞれ場所を作って座る。
何を喋るというわけでもなく。でもおしゃべりはつらつらと続き。娘はとうに寝入った後、私たちは喋り続け。気づけば夜中をとうに越えており。
また会おうという約束をして別れる。時計は午前二時半。あっという間の一日だった。
私が横になったのは午前四時、そして一時間後には起きて仕事。我が家に泊まった友人と娘が眠っているその傍ら、私は支度をする。何となく二人の寝顔を見つめる。頭が二つ。布団に埋まるようにして在る。こんな風景もいいなぁなんて思う。

朝の仕事をしていると、ようやく娘が起きてくる。今日はサンドウィッチもできるよ、おにぎりとサンドウィッチとどっちにする? サンドウィッチ。じゃ、ちょっと待ってて。私は台所で、昨日のうちに用意していた具材をパンに挟み、娘に差し出す。一口食べた娘が、これ、味が薄くない?と言う。私は十分だと思ったのだが、一味足りなかったらしい。まだまだだな、と思う。味と匂いをちゃんと取り戻せるようになるには、まだもう少し時間がかかるらしい。私はそんなことを思いながら、娘がパンをはぐはぐ食べる様子を見守る。
穏やかな休日の朝。淡々と時間が流れる。まだ友人は眠っている。ケーキを買いに出掛けるぎりぎりの時間までそっとしておこう。私と娘はそれぞれにやりたいことをやりながら、時間を過ごす。
そうして午後にはプレゼント交換とケーキ。楽しい時間は本当にあっという間に過ぎる。別れの時間はそうしてやって来て。私たちは手を振り合って別れる。またすぐ会える。それが分かっていても、何となく寂しい。

フォーカシングの本を読みながら、自分がまずやれることを書き抜く。
1)今日はどのやり方にするか(自分で意識的に選んだことを取り上げる方法、または、今注意を求めているものが出てくるのを待つ方法)
ゆったりと座り、深呼吸をする。
2)からだの内側で感じています。(足から順に体の中央部へと意識を上らせてゆく)
3)何が今私の注意を求めているんだろう、或いは、あの問題について私はどう感じているんだろう(フォーカシングは、感情を含んでいるが、感情の中に入り込むことではない。悲しいと感じたら、からだのどこにその悲しさがあるか感じること)
4)ここに在るものに「こんにちは」と挨拶する(「こんにちは、そこに在るのが分かったよ」挨拶することは、それがただあるがままでいるのを認めることになる。慌てず時間をかけて、フェルトセンスに挨拶をすること。遠すぎず近すぎず、ちょうどいい感じで挨拶ができる距離から声をかけること)
5)それをどう描写するのが一番ぴったりか探しています(頑張りすぎないこと。むしろ優しく「これは何だろう」と不思議がっている方がいい。フェルトセンスを理解するより慈しむことの方が大切。そして、からだの内側で感じている感じに触れ続けることが大切。)
6)からだに戻して確かめています(言葉でも文章でもイメージでも考えでも、フェルトセンスから出てきたものは何でも、フェルトセンスにもう一度戻して、それでいいかと確かめる必要がある。)
7)今ここでただこれと共にいてもいいでしょうか
8)興味と好奇心をもって、それのそばに座っています(その感情の中に入り込んでいるのではなく、その感情のそばにいることが大切。セッションを通じて、そのときどきに出てきている感じが、フェルトセンスにぴったり合っているかどうかを確認しながら感じ続けること。そしてフェルトセンスに気づくたびに、その描写について、「これでいいかな」と繰り返し尋ねること。フェルトセンスから何か新しいことが出てきたら、いつでも身体に戻してあげること。そうすることで、体の内側にしっかりとそれがとどまることができる。)
9)その観点からはどんな感じを感じていますか
10)それに感情的な質感があるかどうか尋ねています
11)〜と問いかけています(「何がそんなに〜なの?」「それに何が必要なの?」大丈夫になったらどんな感じか教えて欲しいとからだに頼んでみること。)
12)そろそろ終わりにしてもいいかどうか確かめています
13)また戻ってくるからね、と言う
14)つきあってくれた部分とわたしの身体に感謝する
書き抜きながら、私は、自分のからだをゆっくりゆっくり辿る。まず最初に出会うのは、重だるい張り詰めた脹脛。でも、重くてだるくて張り詰めている、ということを意識しただけで、少し軽くなる。次に立ち止まったのは背中と肩。がちがちに凝り固まって、しんどいと言っている。私はしんどいね、と返す。それだけで、すっとしんどさが半減してゆくのを感じる。胸や胃などの中央部までは行き着けなかったので、私は、今見つけたものたちに改めて挨拶をする。そして、尋ねてみる。何がそんなにしんどいの、何に対してそんなに張り詰めているの。それぞれの答えが、時間を置いて返ってくる。あぁ、そうだったのか、私は納得する。言われてみれば、思い当たることが山ほど。そうか、そうだったのか。私は納得する。あなたたちはそういうことで悲鳴を上げていたんだね、と返す。そして少し、その感じを味わってみる。辿り続けてみる。彼らがそれぞれに泣いたり訴えたりするのを、そのままにして、私はただ耳を傾けている。これ以上やると自分の解釈や批判を付け加えてしまいそうになる危険性を感じ、私は、そろそろ今日は終わりにしてもいいかどうかを彼らに尋ねる。そして、また戻ってくるね、その時もっと話をしようね、と約束をする。ありがとう、また会おうね。そう言ってさよならをする。
もしかしたらまたすぐ戻ってくるかもしれないけれども、それでも、この作業の間に、私のしんどさ、だるさは半減した。
あるがままのものをあるがままに受け容れることは寄り添うことは難しいけれども、それができるだけで、ほんのちょっとでもできるだけで、身体は慰まり、ほっと一息つけるのだということを、改めて実感する。

夜明け頃、地平に溜まっていた雲はいつの間にかいなくなり。水色に晴れ渡る空。通りの向かい側に立つ建物の天辺で、鴉が二羽、戯れている。艶めいた大きな羽根が、陽光を受けさらに輝く。
自転車に跨り、池のある公園へ。池は前面凍っており。私は足先でそっとその氷を踏む。踏んで踏んで踏みしだいて。池の中央へ伸びる大きな石に座り、私はまだまだ張っている氷を見つめる。空を映し出す氷の鏡。張り伸びた木々の枝がその手前に広がって。まさにこの街の冬という景色が、今目の前の氷の中、広がっている。
霜柱を踏みしだきながら、私は再び自転車に近寄り、跨る。今日やることを頭の中反芻しながら走り出す。冷気が裸の指先に突き刺さる。凍える指先。それでも手袋はできるならしたくない。この冷気を、間近で感じていたい。
裸の銀杏たちが規則正しく並んでいるその横を、私は走り抜ける。今日は比較的ゆったり過ごせるはずの日。済ませなければならない事柄は確かに多いけれど、まぁそれはそれ。これはこれ。
やれることを一つずつ、積み重ねていこう。やれることを一つずつ。
空は澄み渡り、今一筋の雲が空を彩る。海の方が微かにけぶっている。私はそれを見つめながら、じっと、じっと見つめながら、再び自転車のペダルを踏み込む。


遠藤みちる HOMEMAIL

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