見つめる日々

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2009年12月26日(土) 
午前四時半。自然に目が覚める。隣の娘は布団をがばっと剥いで大の字になって眠っている。よく寒くないものだと思いつつ、私は彼女に布団を掛け直す。起き上がれば冷たい板の間。足の裏から上ってくる冷気を確かめながら私は窓を開けにゆく。
開け放した窓の向こうに広がる街景は、闇の中に沈み、しんしんとそこに在る。今朝点っている窓の明かりは三つ。街灯の色とは異なる、白い光が煌々と。私はその窓を順繰り見つめる。そしてそのまま目を空へ。雲がかかっているのだろう、闇はどんよりとしている。じぃっと見つめていると、蠢くような雲が、厚く垂れ込めているのが分かる。この分だと今朝の朝焼けは期待できそうにない。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ハーブティをと思いかけて、やめる。今朝は何となくレモネードが飲みたい。私はレモンを半分絞り、そこに蜂蜜を一匙入れる。あぁ今度は柚子を買っておこう。レモネードに口をつけながらそう思った。柚子を絞って蜂蜜を入れて飲んだらとてもおいしいだろう。そう思う。
早めに朝の仕事にとりかかる。ステレオのスイッチを入れると、ジョシュ・グローバンの甘く何処まで広がってゆくような声が響いてくる。その声に耳を傾けながら、私はタイプを打ち続ける。

授業でフォーカシングを勉強する。二冊の本からだいたいのことを掴んではいたものの、改めて授業でやると発見がいくつもある。授業の終わりに、実際にフォーカシングの時間がもたれた。約三十分のフォーカシング。これまで自分で十分から二十分程度のフォーカシングしかしたことのない私にとって、三十分は長かった。いや、フォーカシングをやっているときには長いとは感じられない。しかし、内に沈み込みすぎたせいか、最中に貧血を起こす。終わった時にはふらふらしており。うまく体が現実に乗っていかない。そんな感じだった。
振り返りをすると、多くの人が、深い発見をしたという。私はといえば、そんな深い、内奥の発見をしたというわけではなく。挨拶し、受け入れ、共感し、そうしてまた挨拶をし、という、その過程を経るだけで三十分はあっという間に終わってしまったというところ。こんなにも人によって違うのかと改めて思わさせられる。
人間が普通言語化できる体験の度合いは、たったの七パーセントなのだという。最大限でも二十五パーセント。なんと少ないことか。たったそれだけの範囲内で、私たちは言葉を交わしているのだ。フォーカシングは、その言語化の範囲を拡大させてゆく作業。それでも、言語化されるまでに、どれだけの時間を必要とするか。自分を省みて、改めて、その不思議を思う。
帰りがけ、同じ授業を受けている方たちと、ちらほら話をする。こんな曖昧なものどうやって信じればいいのかと思っていた、と或る人が言う。あぁそれは私もそうです、こんな胡散臭いものって思っていましたと返事をする。でも、曖昧でも胡散臭くもないんですねぇ、ちゃんとした理論の上に立っているんですねぇ、驚きました、とその人が言う。そうですねぇ、私も本を読んでみて、そして今日の授業を受けてみて、改めて、人によって必要な作業なんだと思いました、と返事をする。
これから夏まで、そうやって私たちは勉強を続けることになる。一体どれだけの発見があるだろう。

重たいかばんを抱えながらえっちらおっちら帰宅すると、娘がテーブルに向かって何かしている。何してるの? 勉強だよ。えー? ほら、もう終わったの、今、丸つけしているところ。頑張るねぇ。じゃぁママも勉強しようかな。うん。
私たちはしばし、机に噛り付く。娘は算数の勉強を、私は今日の復習を、それぞれに為す。午後の日はやわらかく明るく窓から降り注ぎ。私たちの体を暖めてゆく。区切りのよいところで私は立ち上がると、ベランダに出る。ホワイトクリスマスの花びらの縁が、ほのかに紅色に染まっている。昨日までそんな色はなかった。一日のうちにしてこんなにもはっきりと、鮮やかに染まるものなのか。私は縁の紅色を指でなぞる。週末天気が崩れると天気予報が言っていたが、この蕾は大丈夫だろうか。少し心配だ。ここまで立派に膨らんで、まさに咲かんとしているところで崩れてしまったら悲しい。ベビーロマンティカの蕾はまだ緑色。でも、小ぶりの花のはずだから、もう八割方膨らんできているはず。あともう少し、もう少しで、花びらの色も現れ出てくるだろう。
振り返って、パスカリたちのプランターを見つめる。病葉が幾つも見つかる。私はもうだんだん面倒臭くなってきて、また枝を切り詰めたい衝動に駆られる。でも、それはさすがにできない。だからやっぱり、摘んでゆく。摘んで摘んで摘んで。白い病気の粉が下に落ちないようにビニール袋に包んで捨てる。
不意に風が吹き。イフェイオンの葉が揺れる。ホワイトクリスマスの葉も揺れる。さわ、さわわ。まるで葉が歌っているようだ。

娘が勉強を終えたのを合図に、私たちはケーキの準備をする。娘には秘密で、私は苺も買っておいた。だから、ケーキ皿に、苺を山盛りにしてやる。大喜びで苺に食いつく娘。私は、チョコレートケーキと苺の一欠片を一緒に口に入れる。濃厚なチョコレートの味と爽やかな苺の味とが、口の中で踊り出す。おいしいね、うん、おいしいね。私たちはそれだけ言葉を交わす。あとはもう、ひたすら、ケーキと苺を味わう。
酸味のない、苦い珈琲に、私は口をつける。ふわんと広がる珈琲の香り。ほっとする。

古い友人から電話を受け、急遽、夕食を一緒にすることにした。娘はその友人が大好きで、出掛ける前からわくわくしている様子が見てとれる。仕事が忙しいはずだろうに、それでも時間を割いてくれる友人に感謝しながら、私は箸を伸ばす。友人はビールを飲んでいる。娘はサラダを頬張っている。穏やかな時間。
どうしても一緒に新しいゲームをやるんだと、友人を我が家に引っ張って帰る娘。そうして私がまた仕事をしている横で、二人はゲームに興じる。私がいつも自分の机で焚くアロマはレモングラスの香り。その香りが私の鼻をくすぐってゆく。二人は嬌声を上げながら、ゲームに夢中だ。サンタからのプレゼントが、そうやって役に立つなら、それでいい。二人の様子を時折振り返りながら、私は仕事を続ける。
ふと思う。私たちも年をとったものだ。いつのまにかもうすぐ十歳になる娘がここにいて。二十代の頃からの私と友人の縁。私があの事件を経ながらも残ってきた、本当に数少ない縁のひとつ。結局友人は、娘が寝付くまで隣に寄り添っていてくれた。きっと娘は夢の中でもまだ、友人と一緒に遊んでいるに違いない。

今日から娘はしばらくじじばばの家にお世話になる。数枚の着替えを荷物に入れて、私たちは玄関を出る。それじゃ、また31日にね。うん、帰ってきたら大掃除だよ。うん、分かってるって。それじゃぁね。じゃぁね!
娘はバスへ乗り込み、私は自転車に跨ってそれぞれの方向へ。バスが通りを曲がるまで、私は手を振り続ける。
途中の公園の池に立ち寄る。今朝も一面、池には氷が張っており。私はそれを爪先で割ってゆく。さく、さくさく、割れる音がしんとした池に響き渡る。まるでこれは空を映し出す鏡だ。覗き込めば、一面、空。曇天の空。手前には、裸になった桜の枝が脈々と伸びており。それは私の頭の真上。誰もいない公園。そよりとも吹かぬ風。何もかもがしんと、そこに佇んでおり。私はしばしその静寂を味わう。
突然舞い降りてきたのは雀たち。四、五羽はいるだろう、ちゅんちゅんと、囀りながら、辺りをうろうろしている。それを見つけた猫が、何処からかやってきて、私の後方、躑躅の陰からじっと雀を見つめている。雀はやがてぱらぱらと去ってゆく。振り返れば猫ももう、そこにはいなかった。
高架下を潜り、線路を渡り。埋立地へ。すっかり葉を落とした銀杏の樹はなおもまっすぐに天に向かって伸びており。私はその樹の姿を見ると、自分も背筋を伸ばさねばと思うのだ。
長らく工事中だったビルも、もう出来上がったのだろう。中の明かりがいくつか点っている。このビルが建つ前、この空き地には薄がたくさん茂っていた。もはやその薄の姿は影さえもない。美しく整えられた土地に変わった。
乱立するビルの間を縫って走り、私はいつもの場所へ。その前に海へちょっと立ち寄ろう。そう決めて自転車をその方向に走らせる。重たげな雲をそのまま映すかのように、海は濃灰色をしている。寄せて割れる白い飛沫は、いっそうその色を際立たせ。この海は何処へ続いてゆくのだろう。地図を見ればそれは分かる。が、そうじゃない、地図なんかには描かれない場所、その場所を、私は、知りたい。

今鴎が啼いた。何処かで啼いた。その声が、まるで木霊するように海の上、響いてゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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