2009年12月29日(火) |
体が凍えてなかなか寝付けなかった。何度も寝返りを打ち、そのたび布団を掛け直した。それでも体はあたたまらず。やっぱり人間湯たんぽの娘がいないと、こういう時困るんだなぁと実感する真夜中過ぎ。そうして眼を覚ませば、午前三時になっていた。 もう眠ることを諦めて起き出す。まだまだ真夜中なんだろうこの時間帯、何をして過ごそう。とりあえず私はお湯を沸かす。ハーブティを入れて一口一口ゆっくりと啜る。ようやく体の奥がぬくんでゆく気配。私は心底ほっとする。 丹念に顔を洗う。水道水の冷たさが気持ちいい。さっぱりした顔に化粧水を叩き込み、日焼け止めを塗る。そうして口紅を引く。ただそれだけの作業なのだが、毎日毎日それは新しくて。一度として同じ顔はなく。私は今朝も鏡を覗き込む。少し浮腫んだ瞼が気になるが、まぁそれは寝不足なのだ、仕方がない。諦めることにする。それなりに年を取って、皺もシミも現れ始めた。それをどうこうする気はあまりなく。あるがままにさせておく。それが私の顔なのだと思う。 早々に朝の仕事の準備は終わってしまった。それなら何をしようかと考える。そうして写真をスキャニングすることにする。一枚、一枚、仕上げたプリントは、モノクロの街景。港町を中心に撮った代物。一番お気に入りなのは、白茶けた壁に映った雑草の影を撮った写真だ。本当はもっと影を濃いものにしたかったのだが、それは叶わなかった。それでも、この二十数枚の中では一番気に入っている。私にとっての余計なものが何も無く。だから余白がたっぷりあって、そこに何が込められるのかは見る人次第で。私とってそういう写真が今は心地よい。 作業をしているとあっという間に時間は過ぎ。気づけば五時半。私はもう一杯お茶を入れようと立ち上がるが、少し迷い、珍しく珈琲にする。私は珈琲の酸味が苦手だ。何処までも苦味の強いものが好きだ。今手元にある粉はちょうどそれに叶っており。私はそれをゆっくりゆっくり入れる。そうしてその珈琲をお気に入りのカップに入れ、それと共に朝の仕事を始める。
病院の日だった。カウンセリングの日。しかし、予約についての押し問答でその大半が過ぎてしまう。何のためのカウンセリングだったのだろう、そう思いながら席を立つ。結局殆ど何も話さず、今日もこの部屋を出る。 そうしてその後短い診察を受ける。薬が足りない為に急遽診察を入れてもらったのだ。昼間の薬を三日分、足してもらう。 でもそれ以上のことを、あまり思い出せない。受付は混み合っており。私にとっては人があまりに多く居すぎて。それを見るだけでしんどかった。それだけは覚えている。出入り口の扉がやけに重たくて。開けるのに難儀した。そのくらいしか、記憶に残っていない。 友人が、私が探していたアルバムを見つけ出してくれており、それをプレゼントされる。こそばゆいような恥ずかしいような妙な気分。でも嬉しかった。その中の一曲をどうしてもどうしても聴き直したかったからだ。昔、まだ制服を着ていた頃、よく混み合う電車の中で聴いた曲。小さい声で、周りに聴こえないように歌いながら、その混雑をやり過ごしたものだった。 友人が言う。子供は産まれたその瞬間から親を超えている、と。その言葉が妙に引っかかる。超えている、というのは、どういうことなんだろう。人を超える、超えないって、どういうことなんだろう。それを改めて思った。 子供がもう、産まれた瞬間から自分とは別物だという感覚は、私にもあった。でも、超えている、というのがよく分からない。そもそも人は人を超えてゆくようなものなのか? それが引っかかって、妙に頭の中にその言葉が残る。 あれこれと話しながら、ふとした拍子に、子供に侵入はしたくないという話になる。子供の世界を侵したくはない、侵入したくはない。それは、私も友人も、散々侵入されすぎて、自分の世界が壊れかかって育ってきたという記憶があるから、尚更に思うことなのだろう。あんなことを自分の子供にはしたくはない、そういう思いがあるからなんだろう。 でも、侵入はしたくはないが、参加はできるよね、というような話になる。その話をしながら、私は娘と自分の関係を改めて思い浮かべる。娘は今頃何をしているだろう。どうしているだろう。
夕方、埋立地の喫茶店へ。ちょうど日が堕ちるところで。西から伸びる陽光が、乱立するビルに反射する。そしてそれはそのまま私の眼を射る。燃えるような橙色がやがて沈んだ紅色に変わり。日は最後、ひとつのビルの窓を煌々と照らして、堕ちた。 堕ちてからの空の変容がまた美しく。私はしばしその色合いに見入ってしまう。紅色が膨らんで濃紺を生み出してゆくその様。次々に生まれ出ずる新たな色。空はまさに水彩絵の具のパレットのようで。それは決してひとところにとどまることなく何処までも伸びやかに広がってゆき。 そうして空のざわめきはやがて静かになる。濃紺色が辺りを包み込み。雑音はその色の中に溶け込んでゆき。街はしんと静まり返る。
朝の仕事を早々に切り上げ、私はバスに乗る。がらがらに空いたバスの中、私は珍しく座席に座り、駅へ向かう。電車に乗ってしばらくすると、幅の広い広い川へ。その瞬間、私は広げかけた本を思わず閉じた。 空には一面厚い雲が垂れ込めており。しかしその雲の割れ目から零れ出ずる陽光のなんという眩しさ。神々しさ。そして地平線の辺りに溜まる雲が橙色に燃え上がっているのがありありと見てとれる。 川はそんな轟々とざわめく空の下、浪々と流れており。それはまさに、一枚の画だった。これを人の手で再現することは決して不可能だろうと思える、そんな光景だった。 川を過ぎ、乱立するビル群で地平線も見えなくなり。それでも車窓から見える空の表情はなんと豊かで凄まじいことだろう。私は一心にそれを見つめた。一瞬も逃したくなかった。それほどに見事だった。
長い電車の中、娘にメールを打つ。おはよう。今朝ミルクはいつものようにがしがし籠を齧っていました。ココアは眠っていましたが、ゴロは回し車の辺りをちょこちょこ歩いていました。みんなあなたの帰りを待っています。 しばらくすると一言だけ娘から返事が届く。ありがとう。ただ一言。 そうして私は再び空を見上げる。何処までも何処までも空に垂れ込める雲。しかしその割れ目から漏れ出ずる陽光はやはり輝いており。 今日は一日この雲は晴れることはないのかもしれない。けれど、この雲の向こうでは燃える日が輝いており。燦々と輝いており。私はそれを思うだけで、体に力が漲るのを感じるのだ。 降り立った駅前。灰色の世界。葉をもう一枚も残してはいない桜の樹の枝先には、小さな小さな芽の粒がすでに宿っており。 横断歩道が今青に変わる。そして私は今日もまた歩き出す。 |
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