見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2010年01月03日(日) 
夢も何もなく、眠ったと思ったらぱっちりと目が覚める。午前四時。部屋はからんと静まり、ミルクたちの音も何も聴こえない。しんと、しんしんと静まり返っている。
私は起き上がり、顔を洗う。こんなにぱっちりと目が覚めたのだからと、丹念に洗う。久しぶりに眠った、そんな気さえしてきそうな、そんな目覚め方だった。背中と首の辺りに凝りは残るものの、酷く痛むわけでもない。体がすっきりしているというのはとても気持ちがいい。
お湯を沸かしながら、何を入れようか考える。ジンジャーミルクティをいれようか、それともいつものハーブティにしようか。迷った挙句、ジンジャーミルクティを選ぶ。朝から甘いものはどうかと思ったが、ジンジャーを多めに入れれば、ぴりりとした味が効いてなかなかおいしい。
昨日やり残した、頂いた年賀状への返事を書く。転居して住所を知らなかった方や、久しぶりの方へ。この人との間にはこんな思い出があったっけ、この人との間にはあんな思い出が…。そんなことを思いながら書いていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。
玄関を出て南東の空を見やる。僅かにぬるみ始めた空の色。地平線の辺りがほのかに。そうして私はアメリカン・ブルーとラヴェンダーのプランターの脇に座り込む。ラヴェンダーは元気だ。ちゃんと生きている。しかし、アメリカン・ブルーが微妙におかしい。葉が茶色がかってきている。ちゃんと緑色を保っている葉もあることはあるのだが、それでも私は心配になる。大丈夫だろうか。母に分けてあげるつもりのこの株たち。何とか無事に育ってほしい。

実家へゆく。娘と二人手を繋いでバスに乗る。私が小学四年生の頃なんて、母と手を繋ぐことなどもうなかった。自分から手を差し出すなんてことは、もはや在り得なかった。でも娘はまだこうして手を伸ばしてきてくれる。あとどのくらいだろう。こんなふうにしていられるのは。本を読み耽る娘の横顔をちらりと見やる。あと一年、いや半年、あるだろうか。月のものでも来た日には、もう手など繋いでくれなくなるかもしれない。今年はもしかしたら、そういう年になるのかもしれない。そんなことを、思う。
そのとき娘が嬌声を上げる。ママ、ママ、見て、すごい人だよ。それはちょうど、駅伝の選手の走りを見ようと集まってきた人たちで。みな、今か今かと待っている。私たちはバスの中から、その様子を呆気に取られながら見つめている。
駅に着けば着くで、こちらは駅ビルや地下街がすごい人手。行列だ。ママ、これは何なの?! 娘が吃驚している。私も吃驚はしたが、あぁ、そうか、セールだよ、セール、と娘に言ってみる。セールって何? お店が安売りするの。福袋とかもあって、それでみんな並んでるんだよ。すごい人だね、それにしても。そうだねぇ、みんなすごいねぇ。ママって福袋とか買ったことあるの? うーん、昔々、一、二度あるけど。行列に並ぶことはしなかったなぁ。どんなものが入ってるの? いろいろ。だから、要らないものも入ってたりする。だからママはもう買わない。ふぅん。
娘と少し早めに駅に出てきたのは、本屋に寄るためだった。クリスマスプレゼントの図書カードと、お年玉を合わせて、買いたいのだという。私たちは人ごみを避け、早々に珈琲屋に入ることにする。娘はぶどうジュース、私は珍しくココアを注文し、それぞれに本を読みながら時間を潰す。
時間になって本屋に行くと、娘は、散々迷った挙句、若草物語とゲド戦記を買うことに決める。本当はもっと欲しい本があったらしいのだが、本屋には見当たらず。でも買いたい、といったところか。私は、ゲド戦記っていう本はとてもおもしろいんだよ、と頁をぱらぱらめくってみせる。ママも読んだの? うん。昔さんざん読んだ。へぇ。でも文庫が出てるとは知らなかった。じゃぁママは大きい本で読んだの? そうだよ。ふぅぅん。

実家へゆくと、じじもばばも待ってましたとばかりに孫を出迎えてくれる。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。いつもより一回りは小さい声で娘が挨拶する。私は挨拶を終えると、母の庭を見にゆく。
母の庭では今、ラヴェンダーが花盛りで。四種類ほどのラヴェンダーすべてが、それぞれに菫色の花をつけて風に揺れている。これらはみな、母が旅先で取ってきた種から育てた代物だ。よくまぁここまで育つものだと思うほど、それらはみな茂り。私はその茂みの間に座り込んで、しばし目を閉じる。陽光がさんさんと降り注ぐこの庭。土地を選ぶ時、母と父は意見が分かれたらしい。そして最後、母の意見が通って、この場所になった。母は最初からこの陽光の在り処を知っていたのだろうか。そう思えるほど、庭は光に溢れ。庭に植えられているありとあらゆる植物がみな、ゆったりとしていた。母の病気のせいで世話が行き届かなかった去年だというのに、それでも庭はこうして在る。母を励ますかのように。もちろん枯れたものもあるだろう。それでも。
この庭はあとどのくらい生きてくれるのだろう。ふと私は不安になり、慌ててそれを打ち消す。不安になっても仕方が無い。今そんなもの抱いても何にもならない。私は母の無事を祈るだけだ。来月はもう二月、それは母の誕生月であると同時に、検査結果が出る月でも、ある。
今は信じるだけ、だ。

弟家族もやって来る。が。私は弟の変貌に胸を鷲掴みにされる。外見がどうこう、ではない。彼の醸し出す空気、張り詰めていつ切れておかしくないほどの空気。その空気にあてられて、窒息しそうになる。母はそんな私を見、転職してからこうなのよ、と呟く。義妹は黙って、弟に従っている。
この暴君ぶりはどうだろう。弟の、反抗期絶頂の頃よりも殺気立っている。私はなんだか見てはいけないものを見てしまった気がした。
それでも、子供の相手をする弟。何とかしようとしている弟。しかしそれも空回りしており。私はどうしていいか分からなくなる。
大丈夫なの、と声をかけることさえ憚られた。とてもできそうになかった。何を言っても、ずばんと撥ね付けられてしまいそうだった。
弟は。どこまで持つだろう。

夕方、友人と会う。その友人はこの春には何処かへ転勤していってしまうかもしれない友人で。多分無理に時間を割いてくれたのだろう。私は心の内で感謝する。
彼とのつきあいはずいぶん古い。高校時代、そう、私が映画制作に参加した辺りからのつきあいだ。だから私が散々な時間を過ごしてきた、そのときの姿も知っている。彼に何度助けられたことか。薬を飲みすぎてぶっ倒れているところを助け上げてもらったこともあった。多分私の血まみれの腕も、彼は見たことがあったに違いない。
それでも、つかず離れず、見守ってくれる。そんな彼が言う。一時期は、吹けば飛ぶような様相だったけれども、もうだいぶ頑丈になってきたな、と。これなら何かあっても跳ね飛ばせるか、と私に問う。だから私は笑って返す。もうこれ以上何かあってはほしくないなぁ、と。二人で笑う。
彼はこれまで何度、娘の相手をしてくれただろう。私がしんどいとき、何気なくやってきては、娘の遊び相手になってくれた。娘にとっても大事な友人の一人だ。そんな友人が、もしかしたらもうすぐ、遠くへ行ってしまうかもしれない。
私は、なかなか言葉が継げなかった。それでも。
これが別れというわけじゃぁない。また会える。そう信じる。

夜、友人と話しをする。一年の中で彼女にとって一番しんどい月を乗り越えたせいか、彼女の言葉ははきはきとしており。私は安心する。よかった。これなら大丈夫。
また今年も撮影しようと思うけれど、今年は大丈夫? 私は彼女に問いかける。うん、もちろん、そのつもりだよ。勢いよく返事が返ってくる。あぁよかった。本当によかった。そこまで彼女は戻ってきたのだ。それが分かって、私は心底ほっとする。

朝の一仕事に区切りをつけて、私はベランダに出る。なんという冷気。私はぶるりと体を震わせる。風も吹いているせいか、余計に体温が奪われる。そんな中、ホワイトクリスマスとベビーロマンティカはそれぞれ、蕾を湛え、風に揺れている。イフェイオンやムスカリも、今日はちょっと寒そうだ。そうして私がベランダを見つめていると、後ろでからから音がする。近づいてみると、ミルクもココアもゴロもみな、籠の入り口に顔をくっつけて、こちらを見ている。私はその全員揃った姿に思わず噴き出してしまう。ひとりずつ順番に掌に乗せて、撫でてやる。三人三様。まさにその言葉通り。それぞれの反応に、私はまた笑ってしまう。
それじゃぁね、行ってくるね。私は、娘のいない部屋に向かってそう挨拶する。そして玄関を出、自転車に跨る。なんと冷たい風。私の手は瞬く間に冷たくなって、痺れてゆく。私は時折指に息を吹きかけながら自転車を漕ぎ、池の方へ。池にはやはり氷が張っており。私はそれをまた足先でしゃかしゃかと割る。晴れ渡る空を映し出すその氷は美しく。裸の黒褐色の枝が影絵のようで。私はじっと見入ってしまう。
鳩が三羽、公園の中ほどに集っている。ちょうどそこは陽光の溜まる場所で。私は彼らを驚かせないように、少し大回りして公園を抜ける。高架下を潜り、埋立地へ。途端にぱあっと開ける視界。世界が一段明るくなったような、そんな気配。
空は何処までも澄み渡り。私は冷風に首を竦めながら走り続ける。さぁ今日もまた、一日が、始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加