2010年01月29日(金) |
目を覚ます午前五時。なんとなく頭がすっきりしなくて、いつもの倍の時間をかけて顔を洗う。化粧水をしつこく叩き込み、日焼け止めを塗って口紅をひく。ただそれだけのことなのだが、あぁ起きた、という気がする。軽やかな回し車の音に振り向けばゴロの姿。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女は遠慮がちながらも鼻をひくひくさせ、私を見上げる。ココアと体重が同じゴロ。後から産まれた子なのにココアと一緒ということは、ちゃんと育っているってことなのだろう。それを考えると、ココアの食の細さがちょっと心配になる。それを友人に話したら、豪快に、おまえの財布事情をよく分かってるんだろうと笑われた。それを言われるとやり返す言葉がないのだが。 お湯を沸かし、ハーブティを入れる。先日友人がプレゼントしてくれた、アメリカ先住民に伝わるハーブなのだという。一口飲んで、これは、と思った。私の口に非常に合う。そのせいか昨日から立て続けにこのハーブティを飲んでいる。何度飲んでもおいしいのだ。今度何処かの店で見つけたら必ず買おうと決めている。 ベランダに出、天空を仰ぐ。闇に覆われながらも、すかんと晴れた空。昨日の雨雲は何処へ消えたのか。地平の辺りに漂うのがその雲なのだろうか。 パスカリとミミエデンが新芽を出し始めた。パスカリは土替えをしないといけないのかもしれない。新芽が微妙に粉を噴いている。うどんこ病の兆しかもしれない。私なりに摘んでやってはいたけれども、どこかに摘み残しがあったのかもしれない。その粉が多分、土に落ちたのだ。だからようやく出た新芽も病に冒されている。近々土替えだ。私は心の中そう決める。ミミエデンはまだ固い固い芽だが、間違いなく出てきた。じき開いてくれるだろう。ずっと待っていたんだよ。私は話しかける。君が咲くところを見たくて、ずっと芽が出るのを待っていたんだよ。咲いておくれ、咲いておくれ。遅くなってもいいから。待っているから。 部屋に戻りPCのスイッチを入れると、友人から声がかかる。昨夜はよく眠れたらしい。よかった。私はほっとする。彼女も私と同じく睡眠が短い。起きる時間はたいてい私より早いくらいだ。そんな彼女が、久しぶりに眠れた。よかった。
海と対話した後、行きつけの喫茶店でしばし時間を過ごす。しばらく迷って、今神戸にいる友人に電話を掛ける。友は今妊娠しており、ようやくつわりがおさまったところだ。いくら親元とはいえ、その親との関係が微妙な彼女にとって、毎日はどんなに不安だろう。妊娠というだけで不安なのに。私は自分の妊娠時期を改めて思い出す。 こんな状況で産んで子供を心から愛せるかどうか。それは、私も常に思っていた。果たして自分が子供を愛し慈しんで育てることができるんだろうか、と。自分の置かれた状況を繰り返さないで済むだろうか、と。自分が望んでも届かなかった叶わなかった環境を自分はこの子に与えてやれるんだろうか、と。 ありとあらゆることが不安だった。不安に押し潰されるかと思いながら毎日を過ごした。彼女と話していると、あの頃のことがありありと思い出される。 彼女は阪神淡路大震災の被災者であり、同時に、性犯罪被害者でもある。それを経て、今、妊娠というものを抱えている。それがどれほど不安であるか、手に取るように分かる。似通った体験を経ているからなおさら、彼女の不安が伝わってくる。 生まれて来る子は男の子だと分かったのだという。でも、まだ何の準備もできていないのだと彼女が申し訳なさそうに言う。私が子供の下着やらなにやらを準備し始めたのは、彼女を産むことになる二、三週間前だった。二月に産んだが、つまり、準備を始めたのは一月も半ばになってからだった。それでも何とかなるもんだ、と私は笑う。大丈夫だよと彼女に笑う。そう、なんとかなる。大丈夫。 不安を数え出したらきりがない。どうやっても押し寄せてくる不安なのだ。何のハンディもない人にとってだって妊娠は不安を伴うものなんじゃなかろうか。それが、ハンディを幾つも背負っていれば、不安は倍増するにきまってる。だから。 今はできることをやっていけばいい。できないことは棚上げすればいい。まだ時間はあるんだ。六月上旬が予定日である彼女。大丈夫、まだまだ十分に時間は、在る。それに、産まれてしまったらもう、毎日があっという間に過ぎてゆくに違いない。迷っている暇はなくなる。だから今のうち、思う存分不安とつきあってしまうといい。 また電話するよ、と声を掛け、電話を切る。どうか少しでも彼女がゆっくり過ごせますよう、そう祈りながら。
母に電話をする。ふたりとも新型インフルエンザの予防接種を受けたらしい。とりあえず二人とも何なく過ごしていると聴いて私は安心する。来月は母の大きな検査がある。正直今、そのせいで気が抜けない。もし再発していたらと考えると、たまらない思いがする。そんなこと考えても仕方ないこと、と分かっているのだが、それでも、もし母にこれ以上何かあったらと思うと。 インターフェロンの治療ですっかり年をとった母。それまでは、同い年の女性と比べると十や十五は若く見える人だった。それが一気に老けた。髪は抜け落ち、色が変わり、頬の肉は削げ、顔色が悪くなった。いつも青白くなってしまった。あれほど健康的な、ぷりんとした母の顔はもう、何処にもなくなってしまった。年齢相応になったといえばそうなのかもしれないが、それはあまりに一気にやってきたから、きっと彼女の心に大きな影を落としたに違いない。 薔薇の挿し木の話になると、母は生き生きと話し出す。うちの、マリリン・モンローの挿し木がうまくいっているかもしれないと話すと、薔薇は三ヶ月くらいは枯れないし、そもそも根がなかなか出てこないから油断は禁物だと言う。それは分かっているのだが、でも、マリリン・モンローは母の為に挿したのだ。枯れてもらっては困るのだ。私は母の話を聴きながら苦笑する。 この、微かな毒を含んだような、母の語りが、何処までも続きますよう。私は祈る。あと半月で、母はまたひとつ、年をとる。
安売りしていた白菜と豚肉、久しぶりにきくらげも買って、夕飯は丼にする。そういえば娘にとってきくらげはどうなんだろう、嫌いだろうか。私は器によそう折、ちょっとどきどきする。果たして、彼女はきくらげばかりを先に食らい、私の分にまで箸を伸ばす始末。ねぇママ、おなべにまだこれ残ってる? ん? 食べたい。ちょっと食べすぎだよ。ひととおり全部食べてからにして。娘は勢い込んで丼を平らげる。おかわり! 夕飯の後、残ったごはんは梅干を入れたおにぎりにして冷凍庫へ。それから娘に注文を受けてサンドウィッチ作りにとりかかる。卵は茹でておいて、その間に玉葱と胡瓜をみじん切り。そこにツナを入れて塩胡椒で軽く味付けして、マヨネーズをさらに。茹で終わった卵を娘に剥いてもらうことにする。薄皮がなかなかうまく剥けなかったらしい娘の卵は、微妙にでこぼこな形をしており。それを大きなフォークの背で、粉々に崩してゆく。これでもかというほど細かくしたら、そこにも胡瓜一本分のみじん切りをいれ、マヨネーズで味付け。ちょっとだけ娘に見つからないようにマスタードを入れて。 そんなこんなであっという間に夜は更けてゆく。
じゃぁママ、そろそろ行くよ。あぁ今日授業なんだ。うん、そう。頑張ってね。うん、そっちも頑張ってね。何時頃帰ってくる? ちょっとまだ分からない。わかった、じゃぁ電話ちょうだい。うん、そうする。 娘の掌の上ぺたんと乗るココアの背中を、こにょこにょと撫でてやる。ママ、ココアはお腹のあたりを撫でてもらうのが好きなんだよ。そう云って娘が見本を見せてくれる。確かにココアは、気持ちよさそうな顔をしている。こういう観察力は何処からくるんだろう。私は少し嬉しくなる。 階段を駆け下りるとちょうどバスがやって来たところで。私は飛び乗る。陽光が燦々と降り注ぐバス内はひどく暖かく、私は顔が上気するのを感じる。ようやく駅に着き、私は一番にバスを降り、深呼吸。やっぱり冬は、寒いこの冷気がいい。一気に体が引き締まる思いがする。 駅の向こう側まで歩き、川へ。川にはちょうど陽光が降り注いでいるところで。高速道路が上に建てられてしまったせいで、この川が煌くのはこの時間帯のみ。私は立ち止まってその川面を見つめる。中学の頃、この川はどぶ川だった。その頃に比べたら水はずいぶん綺麗になったんだと思う。でも。 コンクリートで固められた川筋。どこか寂しい。煌いても煌いてもそれは、なんとなく、泣いているかのように見える。 今日授業でやるのは、共依存症だったはず。私は川に埋もれそうになる意識を切り替えてみる。二、三回に分けてそれは行われる。ひとつも洩らさずこの耳に入れておきたい。そう思う。 空を仰げば。青く青く澄んだ色が広がっており。鳩がすぐそこに舞い降りる。私はそれを避けて先へ進む。 今日がまた、始まってゆく。 |
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