2010年02月10日(水) |
窓を開ける。昨日より冷えているとはいえ、まだまだぬるい。このぬるさが気持ちが悪い。冬なのだから、もっときぃんと音がなるほど冷えていてほしい。そのきぃんと鳴る空気の音が、たまらなく私は好きなのだ。どこか糸の緩んだようなこのぬくみはだから、どうしても心地が悪い。まるで闇の色までだれてきそうな、そんな気がする。空全体を雲が覆っているのが分かる。これでは今朝の朝焼けは見ることができないんだろう。空に手を伸ばしながら、雲の切れ間を探してはみるが、どこにも見当たらない。雨が降るんだろうか。そんな気配さえしてくる。 お湯を沸かし、お茶を入れる。今朝入れたのはライチ紅茶。といっても、私にはこのライチの匂いがあまりよく感じられない。もっと感じられたら、味までも違ってくるんだろうに。そう思うと残念でならない。 娘はまだ寝床で寝息を立てている。真夜中起きたとき、彼女はまた布団からでーんとはみ出していた。慌てて彼女の体を引き寄せ、うつ伏せになって冷え切ったその背中をごしごしとさすって暖めてはみたのだが。またおなかが痛くなったりしないだろうか。熱を出したりしないだろうか。それが心配だ。あの時、熱を出し具合が悪くなったことに、彼女が一番ショックを受けていた。あの時の顔が、また脳裏にありありと浮かんでくる。あんな悲しげな辛そうな顔、そうそう見たくはない。 テーブルの上には、昨日短く切り揃え、それまで大きな花瓶に飾っていたのを小さな花瓶に生けなおしたオールドローズたち。ガーベラはまだまだ元気だ。オールドローズが、もうそろそろ終わりかもしれない。少しずつ萎れてきた花びらを、私は指でなぞる。それでもまだ、こうして咲いていてくれる花。少しでも長く、少しでも長く、ここで咲いていてほしい。そう祈る。
疲れ果てた友人の顔は、もしここに布団があったならすぐにでも倒れこみそうなほどで。できるなら少しでも早く、そうさせてあげたい、私は思った。お礼状の宛名を分担して書きながら、私はしばしば彼女の顔を見やる。虚ろな目が、どこかを漂っている。そんな感じがする。 だからこそ、私はしゃんとしていないとと思う。私も疲れてはいるが、でも、彼女ほどではない。そう思うから。せめてほんのすこしでも背筋を伸ばして、しゃんとしていたいと思う。彼女が倒れたときいつでも抱き起こせるように。 せっかく書いたお礼状なのだから、記念切手を貼って出したいよね、と、駅前の郵便局まで歩く。思ったより種類がなくて、私たちはその中から、花の絵の切手を選ぶ。投函すれば、これで作業は終わり。私たちは手を振って別れる。
ぎりぎりで娘が出掛ける時刻までに帰宅する。今日から彼女は、塾で新五年生の授業を受けることになる。これまでより一時間も帰宅が遅くなる。お弁当、作らなくていいの? うん、今日はいい。せめておにぎりだけでも持っていったら? いらない。 そうして彼女を送り出すと、程なくメールが届く。行って来るね! だから私も返事を返す。行ってらっしゃい! 残された私は、さて、何をしようと考える。とりあえず、先日安売りで買ったサツマイモを、どうにかしなければならない、というわけで、さつまいもを薄切りにしてみる。それを鍋でことこと煮る。砂糖はごくごく少量。ほんの僅かで十分。とろけてきたところに、クリームチーズを足す。そしてさらに煮込む。そうして私流の金団のできあがり。 昨日作ったパンと一緒に食べよう、と思ったところに、猛烈な発作。あぁこれはいけない、そう思ったが、衝動は止まらない。 気づいたら、もう便器で吐いていた。これでもかというほど過食した食べ物を、次々吐いていた。胃がひっくり返るほど吐いて。 鏡の中に映る自分の顔は、どうしようもなく疲れ果てており。私はげんなりする。一体自分は何をしているんだろう。つくづくそう思う。思い切り顔を洗い、今度は鏡を見ないようにしてそのまま化粧水を叩く。忘れよう、忘れてしまおう、今あったことは、もう終わってしまったこと、悔やんだって始まらない。忘れてしまおう。私はそう繰り返し自分に言い聞かせる。
過食嘔吐をすると、どうしてこう虚しくなるんだろう。虚しくなることが分かっているのにどうして、それを為してしまうんだろう。 考えても仕方が無いことが、どうしようもなくぐるぐると脳裏を巡る。 もういい加減止めなくては。そう思うのに。 娘のいないところで、こうしてこんなことを繰り返している自分が、何よりいやだ。どうしようもなくいやだ。泣きたいくらい、いや、だ。
共依存症からの回復について、復習をする。ノートに書き出したり、線を引いたりすればするほど、心の中に重く圧し掛かってくる何か。自分のかつての体験が私の心の中ぐるぐる回る。この回復の過程の十六項目は行動療法であり、クライアント自らその順番を決めて為していくものだというが、その順番をつけたとき、私だったら何が一番最初になり、何が一番最後になるんだろう。自分をうんと好きになる、という項目が、一番最後になってしまいそうな気がする。もし私だったら、の話だが。 そして今週は家族療法について学ぶことになっている。これについても私は痛い記憶がある。私が被害に遭い、PTSDに陥ったその時、私の主治医は両親に治療の協力を求めた。しかし彼らは即座に拒否した。間髪いれずに拒絶した。その時のことがありありと思い出される。今ならそんな彼女たちのことを私は受け容れることができるが、あの時は。あの時は本当に、たまらない思いがしたのだ。どうしてここまで、と。 思い出すと、今でもまだ、痛い。
夜十時少し前、ようやく娘が帰宅する。迎えに出ることができなかったことを詫び、彼女に夕食を出す。いつも以上に疲れた顔をしている娘。そりゃあそうだろう。100分の授業を二回、受けて帰って来たのだ。これで疲れていないわけがない。私は何も言わず、ただ彼女がご飯を食べるのを見つめている。彼女も何も言わず、ただひたすら、ご飯を食べている。部屋には「一人で生まれてきたのだから」という歌が、淡々と流れている。
ママ、今日は帰って来たときいる? うん、いるつもりだよ。それまでには何とか帰ってくるようにするよ。分かった。それじゃぁね、じゃぁね、またね。 玄関を出ると、いつ雨が降り出してもおかしくないような雲行き。それでも私は自転車に乗って出掛ける。今日は人と会う以外にも、小さな用事を細々片付けなくてはならない。明日の予習も、ひととおり済ませなければ。自転車を走らせながら、私は頭の中、予定を組み立ててみる。 背中ががちがちに強張っているのが運転していても分かる。まるで大きな文鎮を背中に背負っているかのようだ。この文鎮の正体は何だろう。それは多分。 紐解いていくと、ずるずると芋づる式に出てきそうで、正直怖い。でもそれは遅かれ早かれ私が向き合わなければならない問題なのだろう。それがよく分かる。 高架下を潜り、埋立地へ。何処までも続く灰色の空。地平との境さえ定かでないほどの灰色。 それでも今日はまた始まってゆく。私はペダルを漕ぐ足に力を込める。 |
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