2010年02月12日(金) |
夢に押されて飛び起きた。何を夢見ていたのか飛び起きた瞬間に忘れたのだが、それでも、久しぶりにどっきり驚かされた、その感触は今も背中に残っている。不快な夢ではなかった。素直に驚いた。ただそれだけだったのだが。 顔を洗って化粧水を叩いていると、かさこそと音がする。小屋に近づいてみると、ゴロが今朝もやっぱりこちらをうかがっているところで。私はふと思いついて、昨日焼いたクリームチーズ入りのパンの欠片を差し出してみる。すると彼女は、ぱっと飛びついて、私の指先から欠片を取り、はぐはぐと食べ始めた。よしよし。私は嬉しくなる。昨日焼き立てのものをあげたら、ミルクは食べてくれたのだがココアには無視された。実はひそかにショックを受けていたのだが、こうしてゴロが食べてくれるのを見ると、まずいわけではないらしい。ほっとする。 お湯を沸かし、コーディアルティーを入れる。仄かな酸味と甘みが私の口の中に広がる。ただそれだけのことといえばそうなのだが、なんだか毎朝のこうした行為が、私をほっとさせる。 窓を開け、外を見やる。気持ちが締まるほどの冷気が私を包み込む。気持ちがいい。素直にそう思う。しっとりと湿り気を帯びたその冷気は、深呼吸する私の喉にすっと入り込む。天気予報では雪になると言っていたが、どうなのだろう。今のところまだ、雪では、ない。 昨日娘と、机の置いてある部屋を片付けた、そのゴミ袋が部屋の片隅、置いてある。豪勢に捨てたものだな、と思うが、たまにこれをやらないと、うちでは紙が溜まる一方になってしまう。どうも紙を捨てるのが私たちは下手らしい。また、娘が今回、三年生の時に使っていた塾のノートもごそっと捨てたものだから、ゴミ袋はたんまり膨らんでいる。ゴミを出せる土曜日までの我慢。 テーブルの上、もうとうとう、オールドローズが終わりを迎えたらしい。はらはらほろほろと花びらが散り落ちている。花にそっと触れると、残りの花びらもはらはらりと落ちていった。私は花びらをかき集め、そっとゴミ箱に捨てる。この瞬間がもう、どうしようもなく切ない。ありがとうという気持ちを込めて、そっとそっと、捨てる。ガーベラはまだ花びらを凛と伸ばし、咲いていてくれている。私は、もう少しの間咲いていておくれよ、と、祈るように思う。 朝の仕事を始める前に娘を起こさねば、と、声を掛けようとした瞬間、娘が起きた。おはよう、と声を掛けると、好きな曲じゃないから起きちゃった、と言う。ステレオからは日本の女性歌手の歌声が流れている。朝からバラードというのもどうかというところなのだろうか。私は彼女の好みの曲に切り替え、そして仕事に取り掛かる。
川を渡り、とりあえず百円ショップのすぐ近くのファミリーレストランに入る。そこで娘は勉強、私は仕事を少し為すことにする。 朝のファミリーレストランは、こんなにも酔っ払いが多いのか、と驚くほど。私たちは辟易しながら、できるだけ自分の仕事に没頭する。それでも娘が時折、メモを書いてよこす。あそこの席の人、またお酒注文してるよ。あそこの席の人、また店員さんに文句言ってるよ。私はそのたび苦笑する。どうも勉強より、娘は人間観察に気が行っているらしい。まぁ仕方がない。それもまたひとつの勉強。 すると、すぐ後ろの席のカップルが、喧嘩を始めた。罵倒の嵐である。こちらが首を竦めたくなるほどの甲高い声があちこちに響き渡る。娘は目を丸くしてそちらを凝視している。それが終わり、二人がそっぽを向き合いながら店を出て行くと、今度は外国人の集団が隣の席へ。もうこれでもかというほどの大きな笑い声を響かせる。本当にもう、落ち着く暇がない。 もう少しだ、もう少しで店が開く、と呪文のように娘に言い聞かせ、時間ぎりぎりまでそこで過ごす。そして時計を見、さぁ開店だ!と、店を飛び出す私たち。娘は三階分の階段を一気に駆け上がる。その時期を反映して、店内には、バレンタイングッズがこれでもかというほど並んでいる。 昨日ママがチョコ買ってくれたから、必要なのは包装紙とかだよね? うん、そうだね。どれがいいかなぁ、ハートの模様のにしようかなぁ、それともこっちの水色のにしようかなぁ。ピンクもあるよ? ピンクはキライなの。え? そうなの? うん。なんで? なんかぴらぴらしていて好きじゃない。ふーん、そうなんだ。 結局、お花の模様の包装紙と、それから黄色い包装紙を選んだ娘は、その他に筆記用具を籠に入れ、レジへ。貯めておいたお金を一気にここで使うつもりなんだろうか、と私は首を傾げる。でもまぁここは百円ショップ。彼女は自分で計算できるし、自分で何とかするだろう。私はただ後ろで見守っている。
家に戻ると、早速チョコレートを割る作業。一生懸命割りすぎたのか、彼女が持っていた袋が破けてチョコレートが部屋に飛び散る。呆気に取られる娘。まず最初の失敗。 その間に私はお湯を沸かし、鍋とボールを組み合わせて彼女に差し出す。ミルクチョコレートとホワイトチョコレート、それぞれボールに入れて、ゆっくりかき混ぜながら溶かしてゆく。最初、私に、手を出すなと言っていた娘だったが、ママ、やっぱり手伝って!と声がかかる。 買ってきたハート型の銀紙、星型の銀紙に、それぞれチョコレートを流し込んでゆく。少し固まり始めたところに、銀色の玉やスプレーのチョコレートなどを施してゆく。娘はもう、口もきかず、ひたすら作業に集中している。私はそんな娘の横顔を眺めながら、時折手を貸す。 娘が一段落したところで、私は私でパン作りを始める。何となく、クリームチーズ入りのパンを作りたいと思ったのだ。 分量を確かめながら、ドライイーストや砂糖、塩、バターなどを混ぜてゆく。今日はクリームチーズを混ぜるからバターは少なめに。はっきりいって教科書になるレシピはどこにもない。全部私の気分次第。というわけで、クリームチーズはたっぷりと使うことにする。そして、娘のチョコレート作りで余ったナッツ類を細かく砕いて、それもパンの生地に練り込む。 一体どんなふうに焼けるんだろう。一度もこんなレシピで作ったことはないし、全部目分量だから、二度と同じものは焼けないんだろう。そんなことを思いながら、私はパンが焼けるのを待っている。娘はその傍ら、一人ゲームに興じている。
夕飯の、久しぶりのカレーを食べながら、私たちはあれこれおしゃべりする。ねぇママ、ママは男の子にチョコレートあげたことある? あるよ。誰にあげたの? うーん、一番最初はね、近所に住んでた男の子。どうやってあげたの? 家がすぐ近くだったからね、家のポストに入れておいた。手紙とかつけて? うん、好きですって書いた手紙を添えてチョコあげたよ。何年生の時? うーん、あれは二年生の時だったかな? えー、二年生の時?! うん、そうだったと思うよ。それからそれから? うーん、ママはね、あんまりチョコってあげなかった。チョコあげるより、もらう方が多かったよ。え? どういうこと? 後輩の女の子とかからチョコレートもらうの。えーーー。変なのぉ! え、だって、あなただって友チョコっていうのあげるんでしょ、そういうのと一緒なんじゃない? えー、そうなの? ふーん。それにねぇ、チョコレートあげた男の子とはみんな、別れた。え、そうなの??? はははははは。そうだよ。みんな別れちゃった。ふられたの? ふられた、というか何というか。まぁ恋人にはなっても、結局しばらくして別れちゃったとかね、そういうふうだったよ。チョコレートあげると、だめってこと? うーん、どうなんだろう、わかんないけどさ、まぁママの場合、あんまりうまくいったためしが無いってことだよね。そうなんだぁ。うんうん。
眠る前、娘がぽつり、言う。ねぇママ、約束破るってどんな気持ちなんだろう。ん? だからさ、友達との約束破るって、よくないよね? うーん、まぁよくないなぁ。約束破られたら、友達やめていいの? え? 友達やめるの? うん。違うの? うーん、何で友達やめるの? だって約束破るんだもん、向こうが破ったら、友達やめていいんじゃないの? そんなことやってたら、何人友達いても足りなくなっちゃわない? うーん、そうなの? ママはそう思うけど。まぁでも、その約束の程度によるなぁ。自分から約束してきて、こうしようね、なんて言ってきてたのに、約束破られたら、嫌じゃないの、ママは? 嫌だけど。でもなぁ、それ一度きりで友達やめるっていうのは、ママはしないと思うよ。そもそも、その子はなんで約束破ったの? 知らない。そっかぁ、じゃぁ、ちょっとの間、様子見てればいいんじゃない? そうなの? だってさぁ、なんか事情があったのかもしれないよ、やむを得ない事情があって約束破らなくちゃならなかったのかもしれない。そうなのかなぁ? あなたにとってその約束はとても大切なものだったの? うん。そっかぁ、それじゃぁたまんないよなぁ。でも、だからってすぐ友達をやめるっていうのも、ママはどうなのかなぁって思うけど。分かった。じゃぁちょっと様子見てみることにする。うん、それがいいよ。しばらく様子見て、それでも駄目だったら、その時友達やめればいいじゃない。ね? うん、そうする。
玄関を出ると、雨が霙に変わっていた。念のために傘を持って出ることにする。 バスに乗り、駅へ。まず明日の仕事で使う切符を買う。これでよし。駅を横断し、そして私は川を渡る。 暗い暗い、重たげな色合いでもって、それでもとうとうと流れる川。あらゆるものを押し流して、それでも押し流せないものは脇に押しやって。流れ続ける。自ら止まろうとすることは決して、ない。 雲は裂け目ひとつ持たず、空を覆い隠している。それでも空は空で在り。霙が、見上げる私の頬を叩く。 さぁ今日も一日が始まる。しっかり歩いてゆかねば。私はそうして川を渡ってゆく。 |
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