見つめる日々

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2010年02月19日(金) 
ゴロがこちらを窺っている。そして前足を立て、後ろ足で立ちながら鼻をひくつかせている。おはようゴロ。私は彼女に声を掛ける。すると、その声に反応してミルクが巣から出てくる。まだ背中には木屑がくっついたまま。おはようミルク。私はこちらにも声を掛ける。私はまずゴロに手を伸ばし、手のひらに乗せてやる。この子は何故か、手のひらに乗せてしばらくすると糞をする。しかも三人の中で一番やわらかいうんち。私はそれを警戒しながら、彼女の背中を撫でてやる。次にミルク。彼女は小屋の扉を開けただけで、あとは自分で出てくる。出てきたところを手のひらで掬い上げてやると、手のひらの上、こちょこちょこちょこちょ、ひっきりなしに動き回る。この子のうんちが一番固い。だからころころしていて、うんちをされても、あまり害はない。しかし、おしっこをぴっとやるのがちょっと難点といえば難点かも。そんなことを思いながら、私は彼女の頭をこしこしと撫でてやる。
今朝もガーベラは変わらずに咲いており。紅色はますます濃い色に変わり。もう、暗い暗い紅色に。でも花は凛と咲いており。私はそっと指で花びらをなぞる。おまえはどこまで咲いていてくれるんだろう。そう問いかけながら。
窓を開けて外を見やる。ベランダの薔薇たちのプランターが少し乾き始めている。また水をやる頃かもしれない。今日帰ったら早速水をやろう。私はそう決める。イフェイオンは花芽を出す気配がない。けれどもうもうと茂っている。このまま花が咲かないで終わることもあり得るんだろうか、とふと思う。緑を茂らせるので精一杯で、花にまで気が回っていないのかもしれない、そんなことを思う。でもまぁ、それもそれ。肥料も何もほとんどやることなく、ここまで育ってくれているのだから。
顔を洗い鏡を覗くと、何となく顔が浮腫んでいるのに気づく。あちゃ、首の置き方が悪かったか。仕方なく、化粧水の後、丹念にマッサージをしてみる。それで浮腫みがすっきり解消されるわけではないが、それでもやらないよりはましだろう。
お湯を沸かし、お茶を入れる。今朝もまた生姜茶。湯気に息を吹きかけ、はふはふしながら口をつける。生姜の味に、まろやかな甜茶の味が絡み合って、私にはとてもおいしいものに感じられる。
さぁ今朝は、六時には娘を起こすんだったな、と、思い出しながら椅子に座る。とりあえずやるのは朝のいつもの仕事。

その駅は、今住む場所からさほど離れているわけではない。一時間もあれば余裕で着く。でも。ひとりで私がその場所を訪れることはまず、ない。
知人にとある店を教えてもらい、もしかしたら展覧会が為せる場所かもしれないと言われて、行くことにしてみた。でも、ひとりでいくのはちょっと、できそうになかった。だから友人を誘った。友人は快く受けてくれた。
喫茶店で友人を待つ間、本を読んだり明日の授業のための準備をしたりして過ごす。その昔、この店がまだ改装する以前の話だが、ここでアルバイトをしていたことがあったっけ。そんなことを思い出す。そういえば、私はひとりで食事をする店に入ることがほとんどない。ひとりで外食したいと思うことがほとんどないからだ。ひとりで外にいるときはおなかがあまり空かない。だから珈琲があればそれで十分、というようなところがある。
だからというのも何だが、料理店でバイトすることよりも、珈琲屋でアルバイトする数の方が多かった。そもそも喫茶店という場所が好きなのだ。
食事には、私はあまり恵まれていなかった。母の料理をおいしいと思って食べるよりも、食べなければいけないと思って食べることの方がほとんどだった。そしてまた、過食嘔吐に至っては、食べ物は恐ろしいものであり、そして同時にとてつもない罪悪感を抱かずにはいられないものだった。
だからかもしれない。余計に、飲み物に対しての思い入れがある。お茶ひとつとっても、正直言えば、私にはご飯より重要だったりする。かぱかぱ飲んでいるときでも、料理よりお茶の味の方が私には伝わりやすい。それで満腹感を味わえるわけでも何でもないのに、それでも、お茶の方に私は重みを感じてしまう。
カフェオレを飲み終えた後、何を飲もうと考え、今度はロイヤルミルクティーにしてみる。そして飲みながら、もう一度教科書を広げる。少し前から、自己一致と無条件の受容についてが妙に自分の中でひっかかっている。もうだいぶ前にやったことなのに、それを学ぼうとすれば学ぼうとするほど、ひっかかってくる。無条件の受容はまだしも、自己一致が今ひとつ掴めない。
そんな状態で、クリシュナムルティの本を読んでいると、どんどん穴に嵌っていく気がする。気のせいだろうか。でも、何だろう、蟻地獄のような何かに、はまっていく、そんな気がしている。

友人と共に目的の店へ。そこは本当に小さな小さな空間で。ちょっとすると見落としてしまいそうなほど小さな空間で。静謐な空気が流れていた。椅子に座るとちょっと緊張して、お尻のあたりがむずむずする。私たちはランチのスープセットを注文する。手作りのパン二種類と、スープ二種類が運ばれて来る。私たちは小さな声でおしゃべりを続けながら、もぐもぐ食べる。
食べながらも、私は意識が、どこかに飛びそうな感覚を覚える。この地帯、この場所が、私に影響を与えている。怖いのだ。無性に怖いのだ。この場所にいるということが。この店が怖いのではない。この店の建つ、この辺りの場所が、私は怖いのだ。私のトラウマのひとつ。それはもうどうしようもなく、私の体を勝手にそうさせてゆく。
だから私は深呼吸してみる。もうあれは終わったこと、過去のこと、今ではない。今ここに在るものではない。自分にそう言い聞かせてみる。
あれからもう何年が経つのだろう。約二十五年? そんなにも時が経っているんだ。私は改めて呆然とする。なのにこのいがいがした感じは何だろう。落ち着かない感じは何だろう。そこまであの一連の出来事は、私に影響を及ぼしているのか。そのことに、愕然とする。
でも。もう終わったことなのだ。過去のことなのだ。今ではないのだ。そのことは、ありありと分かった。当たり前だ、今私の目の前にいるのは、今の私の友人であり、あの出来事に関連した人たちでは一切ないのだから。
その後、友人が自宅へ案内してくれる。彼女の家はとても整理整頓されていて、それはとても彼女らしくて居心地がいい。猫たちがそれぞれの形で出迎えてくれる。私はその中の、とても人懐っこい猫に手を差し出し、ぐるぐると頭を撫でてやる。
傾聴というものが、どれほど大変な作業であるかを、改めて彼女と話す。聞くというのが、耳と十四の心、と書くのは、偶然なのだろうか。心をそれほどに尽くして耳を傾けるのが、そもそも聴くということなのか。そのことを思う。
友人から、娘へのお土産をいただいて私はバスに乗る。バスに揺られながら、私は彼女と話し足りなかったことについてあれこれ思いを巡らす。バスはそうしている間に橋を渡りいくつかの町を越え、終点へ。日がだいぶ傾き始めている。朝雪が降っていたことが嘘のような陽射し。やさしい陽射し。傘を持って歩くのがちょっと、恥ずかしい。

「恐怖を理解するには、まず言葉に関してとても明晰でなければなりません。言葉が恐怖の実体ではないということを認識するのです。けれども、言葉が恐怖を引き起こします。それと知らぬうちに、物事の全構造が言葉で成り立っているのです」「私たちの中の無意識は、数々の思い出、経験、伝統、プロパガンダ、言葉などで形成されています。人は経験し、それに反応します。その反応は言葉に変えられます」「そしてこれらの言葉が残ります。こうした言葉をとおして日々の経験は自覚され、強められていくのです」「言葉は記憶と連想をはぐくみ、それらはすべて無意識の一部となりますが、言葉はさらに恐怖をも、もたらします」「言葉は私たちにとってとほうもなく重要です。そんな言葉や文が体系化されると、一定の方式にもとづき、ひとつの概念になります。そしてそれが私たちを縛るのです」「言葉は事実ではありません」「ところがひとつの言葉が、記憶や連想によって、人に恐怖や快楽をもたらすのです。私たちは言葉の奴隷なのです。ですから何かを完全に調べたり見たりするには、言葉から自由にならなければなりません」…。
「恐怖はつねに何かとのかかわりにおいて存在します。抽象的には存在しないのです」「恐怖は何かと関連して存在するのです」「相手をイメージする根拠はいくらでもあります。しかしそこには現実的な関係などまったくありません。関係があるということは、接触しているという意味です。イメージ同士がどうやって関係をもてるでしょう。イメージとは観念や記憶、回想や思い出なのです」「恐怖がやむのは、直接的な接触のあるときだけです」「もし私がどんな逃避もしないのなら事実を見ることができます」「とほうもない観察と探究と作業とを要します。死ぬという意味はいまから二十年後に死ぬことだけではなく、毎日死ななければいけないということです。技術的なこととはべつに、日々自分の知っているすべてに対してあなたは死ぬ―――無頓着になるのです」「もしあなたがそういうことにすっかり無頓着になるなら、恐怖は終わりを告げ、あらゆることが再生されるでしょう」。

ママ、Sちゃんにまたやられた。ん? 何やられたの? 私の上着の色が変だって。教室でいろんな子集めて、言うんだよ。あぁまたかぁ。なんかすごく嫌だった。上着、変な色じゃないよ、全然。ばぁばが買ってくれたんじゃない。うん。あなたはこの色嫌いなの? キライじゃない、好き。なら堂々としていればいいよ。気にすることはない。あのね、もしはっきり私の前で言うなら、私言い返すんだ。でもSちゃんてそうしないの、人の前でははっきり言わないの、そのくせ、裏でこそこそがつがつ言うの。うんうん、でもそれもいつものことじゃない? うん、分かってるけど。でもあなたはSちゃんと遊んだりもするんでしょう? うん、遊んだりする。仲がいいときはいいよ。Sちゃんのこと好き? わかんない。いいところも悪いところもあるもん。誰でもいいところも悪いところもあるもんだよ。ママだってそうでしょう? まあねぇ。ははは。そんなもんだよ、いいところだけの人間なんていない。ましてや、自分にとって都合のいいことばかりしてくれるっていう人もいない。わかってはいるんだけどねぇ、なんかねぇ、嫌だよ、こういうのって。そうだね、嫌だね。ママもそう思うよ。
娘にあれこれ返事をしながら、私も頭の中あれこれ考える。Sちゃんにあれやこれや小突かれながら、それでも遊ぶときは一緒に遊んでいたりする娘。どんな友達を作り、どんな友達との縁を育んでいくかは、もう君が決めることだ。自分で選び取ってゆけよ。そしてまた、自分にとって都合のいいことばかり言ってくれる人間ばかりがそばにいたら、それはそれで恐ろしいことだよ、娘よ。ああそういう人もいるのか、そういうこともあるのか、と、しなやかに生きてゆけよ、娘よ。葦のようにしなやかに。

じゃぁね、それじゃぁね、行ってきます、行ってらっしゃい。私は娘の声に押されながら玄関を出る。校庭はまだ濡れているけれども、今日の陽射しできっと乾くんだろう。そう思わせるような明るい日差しが辺りに溢れている。
バスに乗って駅へ。そして川を渡るとき、私はやっぱり立ち止まる。明るい日差しを受けて輝く川。街中の川だから、それは大きいわけでも何でもない。岸もコンクリートで固められている。それでも川は流れてゆく。止まることなく流れ続ける。
さぁ今日もまた一日が始まる。私は勢い良く次の一歩を踏み出す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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