2010年02月23日(火) |
午前四時半。ぱちりと目が覚める。腰の辺りに鈍い痛みを感じながら起き上がる。また寝返りも何もうつことなく眠っていたのかもしれない。いつからこうなったんだろう。不思議でならない。一時期などは、寝返りを打ってうんうん唸ってしか夜を越せなかったというのに。この微動だにしないという具合は何なんだろう。私の体は何を訴えたいんだろう。考えても、そんなこと、わかるはずもない。 顔を洗い終えて鏡を見ると、いつもより少し白い顔をしていることに気づく。青白い、というべきなんだろうか。でも体調が悪いというわけではなさそうだ。化粧水を叩き込みながら、自分の体にしばし耳を傾けてみる。胃が微妙にしこっているくらいで、他は大丈夫そうだ。これなら平気。 お湯を沸かしている間に、ガーベラの花瓶の水を替えてやる。相変わらずお元気そうで。私は花に挨拶する。そうして窓を開けると、ぐっとぬるい空気。今日はあたたかいらしい。私は窓をしばらく半分開けておくことにする。 お湯をカップに注ぐ。今日もやっぱり生姜茶。なんだかこのところこのお茶ばかり飲んでいる気がするのだが。それだけ自分に合っているということか。少なくともこのお茶の味は、私に合っている。入れたてがもちろん一番おいしいけれども、冷めてもごくごく飲めるところが、結構気に入っている。 部屋の明かりを点けると、ゴロがぴたりと止まる。何かしていたらしい。おはようゴロ。私は声を掛ける。その声に反応したのか、ミルクが小屋の煙突のところから顔を出す。おはようミルク。私はこちらにも声を掛ける。 今点っている街の明かりは五つ。じきに空は明るくなる。灯りもそれに沿うようにして消えてゆくんだろう。私はしばし窓際に立ち、その灯りの醸す色合いを楽しんでみる。
学校が休みの娘に留守番をさせ、私は家を出る。いつものように電車に乗ってはみたが、なんというか、気分が乗らない。朝起きたときからそれはそうだった。どうも気分がすっきりしない。というより、むしろ、時間が経つほどもやもやしてくる。 病院に到着する直前、はたと気づく。私にとってこの行為が今負担なのかもしれない。 医者に勧められて始めたカウンセリングだった。しかし。私は今のカウンセラーを全くといっていいほど信頼できていない。そんな中で話せることなど、ほとんど無いに等しく。このままでいいんだろうか? 果たしてこのままで、本当にいいんだろうか? そうして決めた。私はしばらくカウンセリングを中断しよう。今このままの状態で続けても、何にもならない。そんな気がする。 そうして決心したら、自分の中のもやもやがすっと消えた。あぁ、それだけ私には、負担だったのかもしれないと、改めて思う。普通、カウンセリングといったら、必要があって、その人にとってそれが必要で、だから行くことも苦じゃないというのも変かもしれないが、必死の思いでその場に行くものなんじゃないだろうか。私にとってかつて診察がそうであった。生き延びて、次また先生に会う、それが、私にとって支えだった。でも。 今は違うんだなと痛感する。 病院は、変わってしまった。先生もいなくなった。そして私はその先生を追いかけることはもう、ない。 私はここでやっていく。ここでやっていくならやっていくで、その新しい形があってもいい。私なりに考えて、私にとって負担のないように、やっていけば、いい。今は、そう思う。
病院の帰り道、娘に電話を掛ける。埋立地にあるホームセンターには小動物が揃っている。それを見に行く約束だった。 明日からのお弁当のおかずをあれこれ買い込んでから、小動物のコーナーへ。ママ、布団買おうかな。へ? 布団? あるじゃん。違うよ、ハムスターの布団だよ。え、そんなのあるの? 必要かなぁと思って。いやぁ、もう必要ないよ、これからあったかくなるんだよ。でも、ゴロは寒がりだよ。うーん、まぁ買いたいなら買ってもいいけど、ママはもう必要ないと思うけれど。そうかなぁ、そうかなぁ。 話しながら、私たちは、家にはいない種類のハムスターたちに見入る。その中に、とてもでぶっちょな一匹がおり。無事売約済のシールが貼ってあり、私たちは顔を見合わせほっとする。よかったね、おまえ、もらわれる先がちゃんと決まって。ほんと、よかったねぇ。おでぶだからって食べ過ぎちゃだめだよ。元気でいるんだよ。娘はしきりにその子に話しかけている。私はその間に、紙を買い足す。 そういえば、このところ金魚たちをちゃんと見てやっていなかった。そのことを思い出す。娘に、金魚、きっと落ち込んでると思うよ、と声を掛ける。そうかなぁ、金魚って感情あるのかなぁ。いや、わかんないけど。わかんないけど、でも、自分が金魚だったらどうなの? それはやだけど。なら、ちゃんと世話してあげないと。分かった、うん、そうする。自分がされて嫌なことは、人にはするなよ。分かってるよー。それから、人をあんまり当てにするなよ。あ、それはごめん、気をつける。うん、当てにして馬鹿をみるのは自分だからね。うんうん、分かってる。
家に帰り、いきなり大掃除を始める二人。友人から私が留守の間に小包が届いたのだ。友人の娘さんのお洋服などがいろいろ。だから、これまで着ていた服の幾つかを整理することにした。 ママ、こんな小さい服、出てきたよ。ははは、それはあなたが四歳くらいの時に着ていたシャツだね。これ、もったいないけど、もう着れないよね。うん、無理だぁね。じゃ、棄てちゃおう。うん、そうしな。 私は私で、今年一度も袖を通さなかった服を、片っ端から棄てていく。こういうときでもなければ、私はしまい込む一方の性格だから、ここぞとばかりに廃棄していく。 ついでに本棚も一部整理。ねぇ、この漫画、もう読まない? あ、それはもういいや。じゃぁ古本屋に行こう! でもさぁ、全然お金にならないんじゃん? まぁねぇ、そうなんだよねぇ。それは言えるけど。でも本屋さんには行きたい。じゃぁ行こう! 結局、古い漫画本は千円ちょっとにしかならなかった。迷った挙句、そのお金で娘が髪の毛を切ることになった。以前から切りたい切りたいと言っていたのだが、私がその勇気が出なかった。せっかく伸ばした髪を切っちゃうの?という具合に。 美容室に行くと、いつもの人が声を上げる。えぇぇぇ、切っちゃうの?! やっぱり言われた。いやぁ切っちゃうんだそうで。ねぇねぇ、本当にいいの? うん! って、漫画読んでないでさぁ、鏡見てよ。どのくらい切るの? このくらい。えぇぇぇ、そんなに切るの? うん! 母、いいの? うーん、どうなんだろう? 二人とも面倒くさがりだから、適度にまとめられる髪ではあった方がいい気がするんだけど。だよねぇだよねぇ。 結局、娘は肩より少し長いくらいで切り揃えた。彼女がこんなに髪の毛が短くなるのは、どのくらいぶりだろう。生まれて初めてかもしれない。
ねぇママ、誕生日ってどういう気分だった? ママ? うん。ママはそうだなぁ、わくわくどきどきしたときもあったし、逆の気分のときもあった。逆の気分って? あぁまだ何もこの年齢らしいことしていないのに、また年をとっちゃう、こんなんで年をとっちゃうなんて、みたいな気分。へぇぇ! そんなふうにお誕生日過ごしたりするんだ。あなたはどうなの? やっと年取れるって感じ。へぇぇ、そうなんだ。みんなもう十歳なのに、私だけ十歳じゃなくて、すごく嫌だった。あぁ、なるほどなぁ、そういう考え方があったか。ママはほら、六月だから、そういうこと思ったことなかったよ。いいなぁ、六月で。でも二月はばぁばとも一緒じゃん。うん、そうだ。 そう話しながら、私たちは布団の取り合いをしている。二つ布団がちゃんとあるのに、私たちは一つの布団で寝ている。だからこう、取り合いになるのだ。ねぇ、向こうの布団で寝ればいいじゃん! なんで? そうすれば広くなるよ。やだよ。なんで? やだからやだ。なんでよぉっ。 そうしてまた私たちは、布団の中くっついて、窮屈だというのにくっついて眠るのだ。
朝、ばばから電話が入る。お誕生日おめでとう。その言葉に娘の顔が崩れる。ありがとう! 今日ね、お友達からもらった服着て学校行くの。よかったじゃない。うん! 娘はばぁばと話している。私はその間に空をもう一度見上げる。雲ってはいるけれど。でも今日は本当にあたたかい。 登校班の集合場所まで、娘を自転車の後ろに乗せて走る。短い距離だけれども、それでも私たちはきゃぁきゃぁ言いながら走る。 じゃぁね、それじゃぁね、また後でね! 今朝は池の水までぬるい。しゃがみこんで、池の水と戯れる。池の水面には、薄い雲と新芽を湛えた枝々が映っている。イヤホンからはAdiemusの魂の歌が流れている。 なだらかな風が私の項に触れ、消えてゆく。私はまた自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。 さぁ今日もまた一日が始まる。 |
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