見つめる日々

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2010年02月24日(水) 
ぱっちりと目が覚めて起き上がる。さて今日も、と思ったとき、時計を見た。午前三時。まだ早過ぎる時刻じゃぁないか。私は時計を見つめたまま唖然とした。どうしよう。このまま起きてしまうか。それとももう一度布団に潜り込んでみるか。一瞬悩み、そして起きていることを選んだ。せっかくぱっちり目が覚めたのだから、これは起きろということなんだろう、ということで。
顔を洗い、鏡を覗く。顔は疲れているというわけではなさそうだ。元気一杯、というわけでもないようだけれど。でもまぁこんなもんか、私は自分で納得する。化粧水を叩き込み、日焼け止めを塗る。そして口紅一本。
この口紅は、一体いつから使っているんだろう。いや、何度も使い終わって、そのたび買い足しているわけだけれども。何年くらいこの口紅だけを使っているんだろう。我ながら不思議になる。よく飽きもせずこの色ばかりを使うもんだ、と。正直言えば、もうちょっとだけ薄い色が好きなのだけれども、私の唇の色は暗い。だから薄い色をつけると下の唇の色が浮き出てきてしまう。それが綺麗な色ならいいのだけれど、暗い暗い色だと、何とも気分が落ち込む。ゆえにこの色に結局落ち着く、という具合。まぁ、新しい色を試す度胸がない、ともいえるのだけれど。
デパートの化粧品売り場は、試供品をもらえる点ではいいのだけれども、私にとって非常に疲れる場所だったりする。だから、私にとってそこは試供品を集めるためだけに行く場所だったりする。口紅も、新しいのが欲しいなぁと思わないわけではないのだけれども、夥しい数の口紅を見るだけでもう、くらくらする。外国製品の、匂いの結構強いものなどのそばに寄ったら、別の意味でくらくらする。匂いに酔ってばたんきゅぅ、だ。ゆえに、同じものを使い続ける、という羽目に陥る。まぁそれはそれで、いいのだけれども。
お湯を沸かし、お茶を入れていると、ゴロが足元でちょこちょこ動き回っている。おはようゴロ。私はいつものように声を掛ける。そういえば昨日、娘におはようと声を掛けたら、ただいま、と言われた。言った本人も吃驚したらしく、慌てて言い直し、げらげら笑い始めたっけ。ゴロは鼻をひくつかせながら、扉の近くに寄ってくる。私は手のひらに乗せて背中を撫でてやる。
テーブルの上のガーベラ。昨日、一輪がとうとう萎れた。ありがとうね、ありがとうね、と言いながら、ゴミ箱に棄てた。本当に、これほど長いこと咲いていてくれるとは。そしてまだ一輪残っている。この子はどこまで咲いていてくれるだろう。あと少しで、この花を貰ってから一ヶ月が経とうとしている。
何をしようかと考え、昨日届いたクリシュナムルティの「既知からの自由」の続きを読むことにする。せっかく早起きして生まれた時間。自分の中に潜り込むには、ちょうどいい時間。

娘の誕生日。もうケーキも食べ終えてしまったので、何をする、というわけでもないが。娘がぽつり言う。ママとじじばばからだけかぁ。何が? プレゼント。なんか寂しいなぁ。何言ってんの。それだけ貰えれば充分じゃないの! でもさぁ、誰も来てくれない誕生日ってなんか寂しくない? うーん、まぁそう言われればそうかもしれないけど。でもみんな、忙しいからね。それにあなたも忙しいでしょ? うん。誕生日に塾ってどうなの? まぁまぁ、そう言っても仕方ないじゃん。お弁当作ったよ。今日のおかず何? 竜田揚げと苺と…。じゃいいや! ん? なぐさまったよ。ははは、単純だな。
じゃね、行ってきます! 行ってらっしゃい。気をつけてね。うん!

私は乾いた洗濯物を取り込んで、畳み始める。昨日片付けた部屋はがらんとしていて、なんだか自分の部屋じゃないみたいな気がする。それだけこれまで散らかっていたということか。溜め込む癖のある二人が揃えば、部屋はいくらだって散らかるというもの。
そろそろ本棚が危ない。いっぱいになってきた。かといってこれ以上棄てられる本がない。もう散々これまで棄ててきた。古本屋に泣く泣く売ってきた。これ以上何を売れというんだろう。うーん、考え込んでしまう。
流れているのはJohn Doanのthe old church of kilronanという一曲。淡々と紡ぎ出されるメロディは繊細な響きをもって、空へ空へ響いてゆく。開け放した窓からは、微風が時折吹き込んで、カーテンを揺らしている。

「探し求めないこと―――それが学ぶべき最初のことです」「あなた自身以外の誰も、何も、その問いに答えることはできません。そして、だからこそあなたは自分自身を知らなければならないのです。未熟さは自己の全的な無知の中にだけ存在するのです。あなた自身を理解することが英知の始まりです」
「外部的には牛車からジェット機への進歩がありました。が、心理的には個人は全く変わっていません。そして世界中の社会の構造は個々人によって生み出されたものです。外部的な社会の構造は、私たちの人間関係がもつ内的な心理構造の結果です。というのも、個人は人の経験と知識、行為全体の結果だからです。私たちめいめいはあらゆる過去の貯蔵庫です。個人は全人類であるところの人間です。人の全歴史は私たち自身の中に書かれているのです」「どうか観察して下さい―――あなたが権力、地位、特権、名声、成功その他諸々のもののために野心をたぎらせながら生きている、その競争的な文化の中で、あなた自身の内と外部にどんなことが実際に起きているかを。あなたがたいそう誇りに思っている業績を、あらゆる種類の関係の中に対立があり、憎悪と敵対、残忍さ、果てしない戦争を生み出す、あなたが生と四d寝入るこの全領野を観察するのです。このフィールド、この生が、私たちの知っているすべてであり、その巨大な生存闘争〔の全体〕を理解することができないので、私たちは自然にそれを恐れ、あらゆる種類の巧みなやり方でそれから逃避法を見つけ出すのです。そして私たちはまた、未知のものにおびえています―――死におびえ、明日の向こうにあるものにおびえているのです。だから私たちは既知のものと未知のものの両方を恐れているのです。それが私たちの日々の生活であり、そこには何の規模ぬもないので、あらゆる種類の哲学、理論的なコンセプトは現実にあるものからのたんなる逃避になってしまうのです」
「この社会、競争と残酷さと恐怖に根ざしたこの社会を終わらせることはできるだろうか」「現実問題として、精神が生き生きとして新たな、無垢なものになり、全く違った世界をもたらすことはできるのでしょうか? 私が思うに、それは私たち一人ひとりが、個人として、人間として、世界のどこに住んでいようと、どの文化に属していようと、世界の全体状況に責任があるのだという事実を認識するときにのみ可能になります」「私たちが、知的にではなくて実際に、空腹や痛みを感じるときと同じようにリアルなものとして、あなたと私が共にこれら混乱のすべてに、世界中の悲惨さすべてに責任がある、それは私たちが日々の生活を通じてそれに影響を及ぼしていて、自分は戦争、分離、醜悪さ、野蛮さ、貪欲をまといつかせたその社会の一部であるからなのだ、ということを理解するときのみ、そのときにだけ、行動が生まれるのです」

きゅんときゅんきゅん、ママにきゅん。娘が突如、体をくねらせてそう言う。な、何なの、それ? 流行ってるんだよ、最近。だから、何それ? もう一回やろうか? い、いや、いいけど。きゅんときゅんきゅん、ママにキュン! …。わはははは! いいでしょー、これ。あのさー、男の子にきゅんとなるのはいいけど、ママにきゅんとなったって意味ないじゃん。なんでぇ! いいじゃんいいじゃん。いや、よくない。ママ、照れてるの? いや、そういうわけじゃないけど。照れてるんだー! だから、そういうわけじゃないけど、なんか変だよ、それ。変じゃないもん! 立派な文句だもん! じゃ、せめて、こう、お尻くねらせてそれ言うの、やめない? やだー! これがあるから面白いんじゃん! …。
ねぇママ、全然これ、惜しくないじゃんね。何が? メダルに惜しくも手が届きませんでしたって言ってるけど、これ、全然惜しくないじゃん。負けは負けじゃん。ん、まぁ、そうだねぇ。メダルとればいいわけ? いや、そういうわけじゃない。メダル取れなくたって、オリンピックに出たってだけで、すごいじゃんね。メダル別に惜しくないよ。ごもっともだね、それは。うん。負けは負けで、それ認めるだけでいいじゃん、惜しくないのに惜しいとか言うからわけわかんなくなるんじゃないの? それもごもっともだぁね。音楽とかって分かりやすいよね。何が分かりやすいの? だって、音楽って、音を楽しむって書くんでしょ、音を楽しめばいいんでしょ? そりゃそうだ。競技とか言うからいけないんじゃないの? なるほど、技を競う、だもんね。技楽とかにすればいいんじゃないの? なるほどぉ、それは考えてもみなかった。いや、そもそもメダルなんてあるからいけないのか? うーん、どうなんだろうねぇ。
娘の頭の中は、今一体どんなふうになっているんだろう。朝からとっても忙しげに動いている。

じゃぁね、それじゃぁね。今日のお弁当は? 生姜焼き。なんだぁ、竜田揚げじゃないのかぁ。え? 同じおかずが続いていいの? いいよぉ、私、好きだもん。そっか、了解。今度お肉多めに揚げたときには、そうするよ。じゃぁね!
私は階段を駆け下り、自転車に跨る。公園に立ち寄ると、桜の新芽は昨日あたたかったせいかぐんと大きくなっている。どくん、どくん、と、脈打つ音が聴こえてきそうだ。そして高架下を潜り、埋立地へ。銀杏並木で立ち止まる。銀杏の新芽にじっと目を凝らす。大丈夫、ここも新芽がちゃんと出てる。じきに膨らんで、そうして割れて、かわいい赤子の手のような新芽が飛び出してくるのだ。
信号が青に変わった。私は飛び出すようにして自転車を漕ぎ出す。明るい日差しが辺りを照らし出している。空気中の塵がその陽光を照り返し、きらきらきらきら、輝いている。
さぁ、今日もまた一日が、始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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