2010年03月02日(火) |
ぱっと目が覚める。午前五時。布団をぱんと上げて起き上がる。ゴロがちょうど砂浴びをしているところ。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロが動作を止めてこちらを見上げる。砂浴び場から出てきた彼女は、早速扉のところに立って、出して出してとやっている。私はちょっと笑いながら、彼女を手のひらに乗せる。ちょっとだけだよ、と断って。首筋の辺りを撫でてやると、気持ちがいいのか、じっと目を閉じている。じゃ、また後でね、と、鼻をちょんちょんと触ってから小屋に下ろしてやる。 顔を洗い、鏡を覗く。顔色はいたって普通。特にいいわけでもないが悪いわけでもない。化粧水を叩き込み、日焼け止めを塗る。口紅をさっと引いて終わり。それだけ。 お湯を沸かし、生姜茶を入れる。コーディアルティーにすればよかったかな、と一瞬思ったが、でも生姜茶はおいしい。おいしい、と感じられることがまた、嬉しい。 窓を開けると、ついさっきまで雨が降っていたらしい。アスファルトがすっかり濡れている。そういえば昨日の夜洗濯物を出しっぱなしだったと気づき、慌てて洗濯物に触れてみる。軒下に干していたおかげなのか、濡れずに済んだようで。ほっとする。柵側に置いてあるプランターの、イフェイオンやムスカリがしっとり葉を濡らしている。生き生きとした明るい緑色が美しい。イフェイオンはすっかり葉が茂っており。花芽は全く見られないのだが、その緑は鮮やかで、目を射るかのよう。薔薇やムスカリの緑とは異なる、柔らかさを伴った緑だ。これで花芽が出てくれたらなおさらに嬉しいのだが。それは無理だろうか。 目を凝らして薔薇の葉を見つめる。新芽の幾つかがやっぱり、白い粉を噴いている。私はそれをひとつずつ指で摘み、手のひらに乗せる。ひとつも落とさぬよう、粉さえ落とさぬよう、気をつけながら摘んでゆく。これ以上病気を拡がらせるわけにはいかない。気をつけなければいけない。そういえば肥料をやることをすっかり忘れていた。液肥はやっているものの、薔薇の肥料を怠っていた。今日帰ってきたら早速やろう。私はそう心に決める。 少しぬるくなったマグカップを手に、部屋に戻り、椅子に座る。さぁ気持ちを切り替えて朝の仕事に取り掛かろうか。
病院の日。とりたててどうということもない、というか、何もない。変わらぬ診療。胃薬が効いていない気がする旨を話すと、漢方薬が新たに処方される。さて、どのくらいしたら効果が現れるんだろう。私は漢方薬を飲むのが正直苦手だ。あの独特な味が何とも。でもまぁ仕方がない。飲んでいくしかないんだろう。諦めることにする。 薬局から出ると、空はやっぱり曇天。少しは明るくなったかな、という程度。晴れるという噂もあるようだが、本当なんだろうか。少しでも晴れたらいい。そうしたら洗濯物ができる。
友人と喫茶店で待ち合わせる。慌しくいろんなことが削ぎ落とされたり決まったりしている友人は、少し疲れ気味のようだ。それでも、一年前より確実にタフになってきているんだろう。彼女はしゃんと立っている。 今の彼女を見ていると、私は時々、思い出すものがある。リストカットに狂っていた時期があった。これでもかというほど自分の腕を切り刻んで切り刻んで、もうこれ以上場所さえなくなって、私はさらに傷跡の上から切り刻んで、という具合だった。傷が絶えることがなかった。それにはたと気づいたときがあった。気づいて、立ち止まったあの時期。その時期を、思い出すのだ。 あのときほど、途方に暮れたことはなかった。私は一体どうしたらいいんだろうと途方に暮れたことはなかった。途方に暮れて途方に暮れて、そうして、私はとぼとぼと歩き出したんだった。そして、リストカットは徐々に、止んでいった。 あの、私にとっての分岐点のような時期を、思い出すのだ。いや、決して似通ってなどいない。何処も似ているものなどない。しかし、何故か私はその時期の自分を思い出す。 あの時期がなかったら、あの時がなかったら、今私たちはどうなっていただろう。私はまだリストカットの嵐の中にいたんだろうか。娘はそれをどう見ていたろう。そもそも私はこんなふうに生活してゆくことができただろうか。あの状態じゃぁできなかったろう。それが続いていたら、私はここにさえいなかったかもしれない。 途方に暮れた時は、私は一体どうなるんだろうと思った。どうしたらいいんだろう、に辿りつくまでにも時間がかかった。ただ、ひとつだけはっきりしていたのは、もうこれ以上切ることはできない、ってことだった。 切る場所などもうないのだ。いや、そもそも、切ることで多くの人を私は傷つけてきた。私は自分の腕を切っていたが、同時に多くの人の、周囲にいる多くの人の心も切ってきた。そのことにはたと、気づいたのだ。 愕然とした。 取り返しのつかないことを、したのだと悟った。自分がしてきたことは、自分を傷つけることだけじゃなかった、取り返しのつかないことだったんだ、と、気づいた。 娘はただ黙って、私を見つめていた。 大事な友人たちをその最中に、何人か失った。それは全部、私のせいだった。今考えてもそうだ。私のせいだったと思う。自分の衝動や絶望にしか目をやることができなかった、私のせいだったと思う。 あれから一体何年の時間が経ったろう。まだまだそんなに時間は経っていない。が、少なくとも私は今、また、リストカットに陥ることはないんだろう。そこまでは、歩いてきた。でも、失ったものはもう、戻らない。 そう、戻りはしないのだ。自分があの時散々傷つけてしまった誰かの心を、元に戻すことは、できないのだ。 そのことをしっかり背負っていかなければならないんだ、と思う。私はそれを背負う責任があるんだと、思う。
二分の一成人式が六時間目にあるから、必ず来てね。娘は数日前から繰り返しそう言っていた。だから時間通りに行った。が。 どうも様子がおかしい。これはもう終わりなんじゃないか? 私は状況がうまく飲み込めず、体育館に入っていった。が。 やはり終わりだった。近くにお母さんに話しかけ、事情をうかがう。どうも、先生が伝え間違えたらしい。六時間目じゃなくて五時間目だったのだ。午前中に急遽連絡網が回ったのだという。私は病院に行っていて、それを全く知らなかった。愕然とする。娘と目が合った。娘がその途端、大粒の涙をこぼし、泣き出した。 私に抱きついて、泣き続ける彼女の背中を、私はとんとんと叩き続けた。どれほど辛かったろう、お母さんが来ない、来ない、と、ずっと待っていたに違いない。私はごめんね、と謝った。謝ってももう取り返しはつかないのだけれども。事情を飲み込めていないらしい担任が、どうしたんですか、とやって来るので、連絡網回したそうですが、私は留守で、留守電にも入っていませんでした、と告げると、顔を赤くしてすみませんと応える。もう何も聴きたくなかった。どうせ言い訳だ。それより、まだ泣いている娘のことが私は気がかりだった。 夕方、校長先生から電話が入る。申し訳ありませんでしたと繰り返す声。私ははい、はい、とただ応える。娘は私のそばで、謝ってくれたってもう遅いよ、と一言呟いている。
夜、寝る間際になって、娘が私にノートを差し出す。何? 見て、ここ。何々? ここにほら、書いてある。何が? 読めば分かるよ。 それは、昔、娘としていた交換日記の、私が書いた部分だった。そこにはこう書いてあった。「本当に自分がこうしたいと思うなら、それをつらぬいてごらん。とことんまでやってごらん。後悔しないぐらいやってごらん。それでだめならその時また考えればいい。起こってしまった出来事や人のことは変えようがないんだよ。だから、自分が見方を変えたり考え方を変えてみたりするしかないよね。それはしんどいことかもしれないけど、やってみる価値はあると思うよ。ファイト!」 これがどうしたの? ママさ、朝話したこと覚えてる? あぁ、あれかぁ、うん、覚えてるよ。あのときさ、嫌なら放っちゃえばいいって私言ったけど、やっぱりそうじゃないかも。そうなの? ママが思うところまで、後悔しないところまでやってみればいいんだよ。ママがそう言ってる。ははは。そうかぁ。私もそのとき、そうすることにしようと思って、好きな人のこと諦めるのやめたんだよね。へぇ、そうだったんだぁ。だからさ、ママも、その子のことが大事と思うなら、とことんつきあってみればいいよ、でも、危ないと思ったらやめるんだよ。了解っ。 なんだか、娘にすっかり慰められてしまった。でも、何だろう、いい気分だ。
じゃぁね、それじゃぁね。あ、ママ、今日お弁当お願いね。分かってる、帰ってきたら急いで作るから。うん。 そうして私は家を飛び出す。自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。坂を上り坂を下り。川を二つ渡って駅三つ分を一気に走る。 今にも雨粒が落ちてきそうな、そんな暗い空だけれども。そんな空の下でも川は浪々と流れ。鴎が三羽、飛び交っている。私はしばし立ち止まり、それを見つめる。 さぁ、今日がまた始まる。私はペダルを漕ぐ足に、勢い良く力を込める。 |
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