見つめる日々

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2010年03月03日(水) 
目を覚ますと、空気の動く気配がしている。あぁきっとこれはゴロの回し車だ。体を起こしながらそう思う。音もなく回る回し車。それはゴロしかいない。籠に近寄ると、やはりゴロが、回し車を回していた。滑るように回る回し車、そこを走り続けるゴロ。いつも思うのだが、回し車に飽きて降りるとき、そのタイミングというのはどうやって掴むのだろう。なんなく降りているように見えるが、この動作にタイミングやコツはないんだろうか。ドジをして、こてんと転ぶハムスターというのはいないのだろうか。
そして思い出すのは、ぶらんこ。小さい頃、ぶらんこから飛び降りる上級生たちの姿に憧れた。でも、どうやってやるのか尋ねることもできず、びくびくしながら、でも毎日その姿を見ていた。夕暮れ、一人残った公園で、私はぶらんこを漕いで、試しに思い切り漕いでみた。そして飛び降りてみた。うまくいった、そう思った瞬間、後ろからぶらんこががーんと私の後頭部を叩いた。
しばらく頭ががんがんして、起き上がれなかったのを思い出す。あれは本当に痛かった。以来私は、ぶらんこは好きで大きく漕いでも、飛び降りるという動作をしなくなった。たった一度きりの、あの行為。今思い返せば懐かしく、ちょっと笑える。
おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女がこちらをうかがいながら、あっちこっちを走り回る。いつもとちょっと違うなと思いながら私は彼女を見つめている。そうしてひとしきり籠の中を回った後、餌箱にこてんと入り、もぐもぐとひまわりの種を食べ出す。でも、本当に食べているんだろうか。ゴロのほっぺたがどんどん膨らんでゆくのを見ながら、私は思う。きっとほっぺたに溜め込んで、後で食べるんだろう。
テーブルの上の花は変わらず今日も咲いていてくれている。ドライフラワーにしてもきれいな形を残してくれるんだろうが、でも、ドライフラワーにするのは躊躇われる。からからに乾いて、何かの拍子にかさっと散り落ちてしまうくらいなら、今ここで散り落ちるまで萎れ枯れるまで咲いている方が本望なんじゃないか、そんなふうに思える。
ベランダのイフェイオンを見て驚く。花が咲いているじゃぁないか。たった一輪だが、咲いているのだ。去年より青さは薄く、菫色と水色の間くらいの色合い。あぁ、咲いてくれたんだ。私は花を眺めながらつくづく思う。花というのはなんて律儀な生き物なんだろう。黙って咲き、黙って散り落ちる。そうしてまた季節がくれば葉を茂らせ、そうしてまた花を咲かせる。誰に言われるまでもなく。そうした黙々とした営みが、私は好きだ。
ミミエデンの病葉を摘んで手のひらに乗せる。せっかく出てきてくれたのに、ごめんね。私は言ってみる。どこまで追いかけっこをすればどうにかなるのか、それさえ分からないけれど、でも、この追いかけっこをやめるわけにはいかず。私は舐めるように樹の葉を見つめる。他にはないか、それを辿る。
今朝の空には雲がほとんどない。晴れるのかもしれない。思いながら空を見上げている。久しぶりの晴れ間か。そんな気がする。気持ちよく晴れたらいい。
お湯を沸かし、久しぶりにコーディアルティーを入れてみる。ハーブの甘さが何とも体に優しく染み渡る。このハーブエキスももうじきなくなる。買い足そうか、それともしばらくやめておこうか。迷うところだ。コーディアルティーは大好きなお茶の一つだが、冬、という気がする。何故なんだろう、理由は分からないが、コーディアルティーの季節は冬、そんな雰囲気があるのだ。もう春はすぐそこ。

駅三つ分を自転車で走る。川を二つ渡り、その間に鴎とすれ違う。白い白いその体躯は、薄暗い空の下、鮮やかに浮かび上がっていた。そこだけまるで世界がくっきりしているかのような錯覚さえ覚えるものだった。
何人かの浮浪者とすれ違う。この辺りには昔から浮浪者が多く居る。川のそばでは寒いだろうにと思うのだが、それでもこの辺りに集まってくる。彼らとすれ違うたび、私の脳裏には鋭い言葉が浮かぶ。生活に行き詰まり、これからどうすると話し合ったときの、元夫の言葉だ。ホームレスになればいいじゃん。まだ二歳の子供をどうするのかと私が問うたら、一緒にホームレスになればいい、そう即答された。あの言葉は、私のその後を決定するものになった。今思い出しても、胸の辺りに痛みが走る。
久しぶりの美容院で、いつも担当してもらっている女性とおしゃべりをする。写真の話をしたり、子供の話をしたり、あっちこっちに話が飛ぶ。でも何だろう、彼女は本当に話を振るのがうまい。こちらの興味がありそうなところを、すっと掬ってくる。それが仕事の一つだとはいえ、私はいつもこの彼女の喋りに感心してしまう。かといって、ずっと喋り続けているわけではなく。私がほけっとしたいと思ったときには、すっと離れてゆく。そうしてまたタイミングを見計らって、近づいてきてくれる。その絶妙なタイミングが、たまらない。
それにしても。前髪の癖が強くなって、毎朝困るんですよ。あぁ、それ、私もそうですよ。出産した後なんて、なんだこれっていうほど癖が強くなって、最近ようやく少し収まってきたところなんです。えー、そうなんですか? だから私朝シャンプーするんですよ、でないと癖が酷くてとても人前に出れない。そっかぁ、私は毎朝前髪濡らして、何とか対処してるんですけど。年をとるほどにやっぱり強くなるんでしょうかねぇ、こういうのって。うーん、こればっかしはしょうがないですよねぇ。私たちはお互いの前髪を見せ合って引っ張り合いながら話をしている。やっぱり年をとるということは、こういう小さなところにまず現れ出てくるのだな、と、つくづく思う。
何だろう、私は歯も悪いし化粧ができるわけでもないし、だからかもしれないが、髪の毛に対する思い入れは強い。多分私の中で、自分の女の部分を表せるのが髪の毛だけしかないからかもしれない。ちょうど今腰のあたりまで伸びてきている。もう少し伸ばすかな、と思っている。そんなに伸ばしていられるのも、白髪が増える前だけだろうし。今のうち今のうち。
美容院を出る頃、空は薄暗く。いつ雨が落ちてきてもおかしくないくらいに薄暗く。空気は冷え込んでおり。私はその中をまた、自転車で走る。もう鴎の姿はない。代わりに三叉路のところにある公園に、これでもかというほど鳩が集っている。正直ここまで集まっていると私には怖い。ちょっと避けるようにして自転車を走らせる。

帰宅した娘にお弁当を渡す。彼女の言うとおりに作った、唐揚げ弁当。おにぎりは梅干し。それじゃぁね、じゃぁねと、マンションの前で別れる。娘はバス停へ、私はスーパーへ。すると、通りの向こう側、バス停に着いた娘が大声でこう言う。ママぁ、お弁当作ってくれてありがとうねー! 私は手を振って自転車を走らせる。照れるじゃないか、そんな大声で言われたら。そう思いながら、私は、スーパーに向かう。
ゴミ袋と卵。それだけ買って再び家に戻る。
二分の一成人式で、娘はこうスピーチしたそうだ。「十年間育ててくれてどうもありがとう。今まであんまりお手伝いとかしなくてごめんなさい。これからはちゃんとお手伝いしたいと思ってます。これからもどうぞよろしくお願いします」。彼女がそうスピーチするところを直に見たかったなと思う。他にはみんなで練習した歌を歌ったりリコーダーを吹いたりしてみせたのだそうだ。また、小さい頃の写真と今の写真とをスライドショーで見せたのだという。
あちゃ、と思った。私は正直、失くされても構わない、どうでもいい写真を手渡してしまった。確か保育園での写真だった。スライドショーで見せるなんてことになるなら、ちゃんと記念になりそうな写真を手渡してやるんだった。と、もう後の祭りである。あぁ。
また娘は、二分の一成人式に私が行けなかったことが引っかかっているらしい。その話になると、顔が曇る。
でも娘よ、見れなかったことは残念だけれども、でも、十歳おめでとう、ここからまた十年、よろしく。私は心の中、そう声を掛ける。

そういえば、今日というのは、娘の出産予定日だった。雛祭りが予定日なんて、これで男の子が産まれちゃったらどうなるんだろうと思ったものだった。また、年上の友人がわざわざ休みを取ってくれた日でもあった。私がもう産んじゃったよ、と言ったら、彼女は怒り狂ったのだった、だって三日が予定日って言ったじゃない! 大笑いした。それはあくまで予定日であって、ずれるのが当たり前なんだよぉ、と。
それにしても。七ヶ月目から、いつ生まれてもおかしくないという状況の中、よく保ったと思う。生命力が強かったんだろうか。そもそも切迫流産で入院したときから、彼女はしぶとかった。周囲がどれほど反対しようと、私のおなかにひっついて離れなかった。彼女の生命力がなかったら、私は途中で諦めてしまっていたかもしれない。そのくらい、彼女は強かった。
今、改めて思う。私には君がちょうど良かった。君じゃなきゃ、ここまでやってこれなかった。ありがとう、と。

じゃぁね、それじゃぁね、娘はミルクを連れて玄関に出てきた。ねぇミルク、また太ったんじゃないの? ほら、おなかがすんごいたるんでるよ。うーん、ご飯の量とか少なくしてるんだけど、ミルクって、あっちこっちに溜め込んでるんだよね、隠してるんだよ、ひまわりの種。あんまり太ると早死にしちゃうかもしれないよ、気をつけてあげないと。えー、やだよぉそんなの。ミルク、これからダイエットだ。分かったか?! そう言い聞かせる娘の声など、全く届いていないといったふうのミルクは、娘の手のひらの上、でーんと寝そべっている。本当に太った、間違いなく太ったよ、君。
そうして手を振って別れ、私は自転車に跨る。途中で公園に立ち寄ると、池にはくっきりと空と枝々とが映り込んでおり。あぁ今日はやっぱり晴れるんだ。私は空を見上げる。薄く雲のかかった空は、しんしんとそこに在り。
高架下を潜り埋立地へ。十本の銀杏の樹が出迎えてくれる。新芽を湛えた銀杏は、まっすぐに天へ伸び。私は走る。くっきりとした陽光の中。
さぁ今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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