見つめる日々

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2010年03月11日(木) 
目を覚ます午前五時。起きることは起きたのだが頭がすっきり働かない。とりあえずいつもの動作をやってみる。顔を洗い、化粧水を叩き、窓を開ける。髪を梳かしながら空をぼんやり見上げる。冷え込みは厳しいが、今日は晴れるのだろう。空に雲があまりかかっていない。そもそも空がすでに明るい。私は鳥肌になりながらも、じっと空を見つめる。そういえば昔、まだ学生だった頃、よく始発に乗ったものだった。始発に乗って家から逃げ出す。ただそれだけで、私は解放された気持ちになったものだった。まず海へ出、砂浜を歩き、灯台まで登った。そうして見下ろす海原は、朗々と広がっており、私の心にまでそれは寄せてくるようで。それが何よりも私には心地よかった。そこから学校まで上りの電車に乗る。窮屈な座席、小さくなりながら座った。本を広げ、ただそれを凝視していた。何も寄せつけず、何ものにも寄らず。そんなところがあの頃はありありと在った。今頃始発の電車が駅を出た頃だろうか。どんな人が乗っているのだろう。あの頃の私のような人も、中にはいるのだろうか。
お湯を沸かしていると、ミルクが起きてくる。おはようミルク。ミルクはでっぷりとした体をどしんと餌箱の中に入れて、おもむろにひまわりの種を食べ始める。おまえはいつ見ても何か食べているねぇ。私は苦笑する。このミルクの食べ方が何とも愛嬌があっていいのだ。一心不乱に食べる。種に齧りついている。その仕草がかわいい。それでも最近、娘に、餌を少なめにされているミルク。満足できているんだろうか。ちょっと心配。
生姜茶を入れ、机に座る。ようやく意識がはっきりしてきた。部屋の中が見えるようになってきた。電気をまだ点けていなかったことに気づく。
昨日は、夜になるともう疲れ果てており。ネガティブに働きそうになる思考回路を何とか納めて、早々に横になったのを思い出す。友人から受け取ったメールにも、明日返事をするからと返したのだった。それほど何も考える余裕がなかった。でもまぁそれも過ぎたこと。
気を取り直し、昨日の必要なメモを作成する。昨日会いエゴグラムを間に挟んであれこれ話した彼女とは、これからもまた会うことになりそうだ。そのためにもきちんとメモを作成しておかないと。覚えている限りのことをとにかく箇条書きにまず書き出してみる。読み直し、足りないところ、重複しているところを整理する。そして最後に、私から見えたものをそのまま書いておく。
瞬く間に朝の時間は過ぎてゆく。もう娘を起こす時間。私は娘に声を掛ける。おはよう! もう時間だよ!

友人から連絡が入る。病状が反転したとのこと。そのために今思うように自由がきかないとのこと。私はただ彼女の話を聴いている。
最近特に思う。自分にできることは何だろう、と。自分にできることなどたかが知れていて、ただこうして話を聴くことだけなのだということがありありと分かる。それ以上もそれ以下も、何もできない。
その間に日が傾いてゆく。朝の雨が嘘のように晴れ上がった夕暮れ。空は高く澄んで、やがて茜色に染まってゆく。

霧雨の中、自転車で出掛けた。朝の霧雨というのはどうしてこう気持ちがいいのだろう。粉のようなシャワーを浴びている気持ちになる。乾いていた心が潤ってゆく、そんな気さえする。
脚本分析の著書を読みながら、私には、再決断ができるだろうか、と自問自答してみる。私の中に沈んでいる、どっしりと沈んでいるこの呪縛のようなものから、自由になることはできるんだろうか、と。
そうして自問自答しながら、ふと気づく。あの時どうして私はあの場所をあの時間を生き延びることができたのだろう、と。あの転換は、どこからやってきたのだろう、と。
あの時期、私はもう自分には死ぬことしか残されていないと思っていた。ただそれに向かっていくしかないのだ、と思い込んでいた。誰もいない部屋で、だから何度も自分を切り刻み、嬲り倒していた。もう誰の手もここには要らない、私は死んでゆくだけなのだから、と。そう思っていた。いろんな縁を切り刻んでいったのも、あの時期だった。
そんな中でとことんんところまで落ち込んで思ったのはこのことだった。生きたい、でももうこれ以上どうやって生きたらいいのか分からない。そう、もうこれ以上どうやって生きたらいいのか、それが分からない。
私はそういえば、死んでゆく物語を多数読んできた。その多くは自ら命を捨てるものだったように思う。今振り返ればそれは、私が自分の中に、「存在してはならない」という命題を持っていたからなのではないかと思える。まぁそれは今こうして振り返っているから思うことなのかもしれないが。
そうやって命を棄ててゆく姿に、惹かれていたのかもしれない。生きたい、でももう私など生きていてはいけない。生きる資格はない、生きている価値もない、私はそもそも存在してはならなかったのだ、と。その狭間で、私は揺れ動いていたのかもしれない。
父と母、どちらだったかもう忘れてしまった。父か母かが、或る日、私たちはおまえのことを理解できないと言った。その時、何かが弾けた。
あぁ、この人たちは、私を理解できないということを理解しているのだ、と。
おかしなことかもしれないが、それが私を解き放った。
この人たちと私は血が繋がっている。血が繋がっている者同士、理解し合わなければならないと思っていた。理解しなければいけないと思っていた。理解できるものと思っていた。しかし。理解などできるわけがないのだ。一個の、別個の人間同士。そんな丸ごと理解できるわけがない。それはたとえ血が繋がっていようとも。
自由に自分で感じることを抑えられて過ごしたことが、私をずっと抑えつけていた。私は理解されなければならない者なんだ、理解の範疇を超えてはいけないものなんだ、というような。そんな呪縛にも私は取り付かれていた。私に自由などないのだ、と。自由に感じてはいけないし、自由に考えてもいけないのだ、と。
でも。父母が言った。私たちはおまえを理解することはできない。そう、理解することなんてできなくていいんだ。私は別に、父母に理解されなくても、されないからといって、存在していてはいけないなんて術はないのだ。理解されないというところで生きていてもいいのだ、と。
そんなことが、一気に頭を駆け巡った瞬間だった。
私がもしあの時、自分に、生きていてもいいのだと声を掛けてやれなかったら、私は今ここにもういなかったかもしれない。
そしてそれは、父母の言葉によって、生まれたものだったんだと思う。
今こうして思い返せば、なんだかおかしな思考回路だ。笑えてしまう。理解できないと言われて、理解することができないと言われて、それが嬉しかった、解放のきっかけだったなど、ちょっと笑える。でも。
でもそうだったのだ。
私はもう、死んで復讐する必要もなければ、存在を誇示する必要もない。ただ、生きていればいい。そう思えた。
私は或る意味、あの時、自分を赦すことができたのかもしれない。
とは言っても、私は多分まだまだ、いろいろな呪縛にとりつかれている。そんな気はする。見えない蜘蛛の糸のようなものだ。見えていないから知らずに手を伸ばし、知らぬうちに絡め取られている。そんな感じだ。
でも。
父も母もやがて、死ぬ。私に呪縛をかけた相手はやがて死ぬ。そこで途方に暮れるよりは、今足掻いてみる方がいい。
私はどんな呪縛にとりつかれているのか。そしてそれはどうやったら抜けられるのか、いや、どうやったら私はそれを緩め赦すことができるのか。
注意深く見よ。私を取り囲むこの世界全体を。

「人が愛するとき、そこには自由が、相手からの自由だけでなく、自分自身からの自由もなければならないのです」「愛は過去である思考の産物ではありません。思考はどうやっても愛を培うことはできません。愛はその周りを囲ったり、嫉妬に捕らえられてしまうことはありません。嫉妬は過去から生まれるものだからです。愛はつねに生きた今の中にあります。それは「私は愛するだろう」とか「私は愛した」ではないのです。愛を知るなら、あなたは誰にも従うことはないでしょう。愛は服従しません。あなたが愛するとき、そこには尊敬も侮蔑もないのです」「愛があるところに、比較はあるでしょうか? あなたが全身全霊を傾けて、あなたの全存在をもって誰かを愛するとき、そこに比較があるでしょうか? あなたがその愛のために完全に自分自身を捨て去るとき、他者は存在しません」「愛があるとき、そこには何の義務も責任もありません」「真に配慮するとは、あなたが木や植物のために配慮し、水をやり、それが必要としているものは何かを考え、それに最良の土壌を与え、優しさと思いやりをもって世話をするときのように、心を配ることです」「自分自身のために泣くとき―――自分が一人ぼっちになってしまった、取り残されてしまった、もはや強力ではなくなってしまったというので泣くとき―――それは愛でしょうか? あなたは自分の運命を、境遇をこぼします。泣くのはいつもあなたのためなのではありませんか? もしもあなたがこのことを理解するなら、それは木や柱に触れるのと同じように直接それに触れることを意味しますが、そのときあなたは悲しみが自己がつくり出したものであることを、悲しみが思考によってつくり出される、時間の産物であることを理解するでしょう」「あなたはそれを余すところなく完全に、分析するのに時間をかけることなく、一目で見ることができます。あなたは一瞬のうちに、「私」と呼ばれる、私の涙、私の家族、私の国、私の新年、私の宗教と呼ばれる、この見掛け倒しのちっぽけなものの構造と性質全体を見ることができるのです。この醜悪さのすべて―――それはあなた自身の中にあるのです。あなたがそれを精神ではなくハートをもって見るとき、それを文字通り心底から見るとき、あなたは悲しみを終わらせる鍵を手にすることになるでしょう」
「だから、愛とは何かをたずねるとき、あなたは恐ろしがるあまり、その答を見出すことができないかも知れません。それは〔地殻変動のような〕全面的な激変を意味するかもしれません」「しかしそれでもなお見出したいと思うなら、あなたは恐怖は愛ではないことを、依存は愛ではないこと、嫉妬は愛ではないこと、所有や支配は愛ではないこと、責任と義務は愛ではないこと、自己憐憫は愛ではないこと、愛されていないという苦悩は愛ではないこと、謙遜が虚栄の反対物でないのと同様、愛は憎しみの反対物ではないこと、を理解するでしょう。ですから、無理強いによってではなく、雨が木の葉から何日も降り積もった土埃を洗い流してしまうようにそれらを洗い流すことによって、こうしたすべてを消し去ってしまうことができるなら、そのときあなたはたぶん、人がつねに恋焦がれてきたこの不思議な花に出会うでしょう」

今日は緑のおばさんの日。私と娘はぎりぎりまでミルクを囲んで遊んでいる。ミルクの顔を両方から挟んで、ぶしゅっとした顔にしたときが一番かわいいと娘は言う。この肉感がたまらないんだよねぇ! と形相を崩して笑っている。そして突然、娘が私の頬を両側から挟んで潰した。な、何すんの?! あー、こうやるとママもかわいい! どこがっ! ミルクだけじゃないんだぁ、ほっぺた潰すとみんなかわいいんだぁ! かわいくないよ、もうっ。っていうか、そこに吹き出物できてるから、押されると痛いんだよね。え、あ、ごめん。うん。ってか、もう一回! いやー、やめて。かわいい、ママ! かわいくない! そして突然娘が私にキスをする。ねぇママ。何? 多分ね、ママの生涯で、一番ママとキスしてるのは私だよ。は? 男じゃないね、ママのキスは、私とが一番多いよ。何それ。私は大笑いしてしまう。
まぁ確かにそうかもしれない。合計したら、男とのキスの数より、確実に娘とのキスの数が多いだろう。そんなものだ。多分。
ママ、そろそろ男と恋愛した方がいいね。へ? でないと男とのキス、忘れるよ! なによー、人にキスしといてっ! はっはっはー。
笑いながら私たちは階段を駆け下りる。朝日の燦々と降り注ぐ中、私たちは通りを駆けてゆく。
じゃぁね、それじゃぁね。また後でね! 手を振り合って別れる。みんな学校へ向かっていく。私は大通りを逸れて裏道へ入る。自転車をぐいぐい漕いで、信号を渡ろうとしてふと止まる。今まで躑躅の並木だったところを、掘り返している人がいる。その隣に看板が。通りの名称を記した看板をここに立てるために掘り返しているらしい。躑躅の、太い根をざくざくとシャベルで切り刻んでいる。痛い、と思った。見ていると痛い。躑躅の悲鳴が聴こえてきそうな気がする。私は目をそらし、信号を渡る。
ただ看板を立てるためだけに、せっかく伸びた躑躅の根っこをああやって切り刻んでゆくのかと思ったら、たまらない気がした。それで私たちの世界は多少便利になるのかもしれないが、躑躅たちはどうなるのだろう。
空は高く高く、澄み渡り。強い風が吹き抜けてゆく。冷たい風だ。でも陽光は間違いなく、もう春のそれだ。
冬と春との交叉する場所なのだな、と思う。そしてやがて、春がどおっと押し寄せてくるのだ。
さぁまた一日が始まる。私は、思い切りペダルを踏む足に力を込める。


遠藤みちる HOMEMAIL

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