見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2010年03月12日(金) 
起き上がり、窓を開ける。しんしんと空気が冷えてはいるが、これも春の前触れなんだろう。そんな気がする。冬の、こう、張り詰めた空気とはまた何処か違う。冷たい中にも、息吹が感じられる。空は覆われる雲もなくすっと広がっており。だから余計に、この空気の冷たさが気持ちがいい。
顔を洗い、鏡を覗く。昨日の夜仕事をしようと思っていたのにへばってしまった。娘に笑われ、めげると慰められた、そんなことを思い出す。その娘は、布団に潜って何をやっているかと思いきや、ゲームだった。私に見つかって、まずいと思ったらしい。あれやこれや言い訳をしていた。そういう言い訳は聞き流すことにしている。一言、目が悪くなるからそういうやり方はやめてね、と言ったきりでやめておいた。本当は、ごまんと小言を言いたかったのだが。言われることは、きっと娘もわかっているだろうと思った。
こうしてみると、私は、鏡を覗きながら、自分の顔を観察するというより、昨日のあれこれをちょこっと思い出して思い返している、といった方が当たっているかもしれない。そう思って、改めて自分の顔を見直す。眠ったのか眠らなかったのか、分からないくらい、すっと眠ってすっと起きたせいか、顔が何となく何処かよそを向いている。まだここに戻ってきていないらしい。これじゃあかん、と、頬を二度ほど叩いてみる。
ベランダではイフェイオンが咲いている。もう四つ、五つとその姿が増えてきた。六つの花弁がぴっと開いて、それは子供たちの行進を思わせるような、かわいらしい元気溢れる姿。そこから少し離れたプランターにはムスカリ。こちらは、本当に小さな花になってしまって、葉よりも下手すると丈が低く、こじんまりと遠慮がちに咲いている。
薔薇のうどん粉病、まだよくはならない。今日もまた新芽に粉が噴いているものを見つける。私は摘む。摘んで摘んで、粉を落とさぬよう部屋のゴミ箱に棄てる。せっかくここまで出てきたのに、申し訳ないような悲しいような、そんな気持ちになる。本当ならここからさらに葉を開かせ、陽光を燦々と受けるはずだったのに。それが悲しい。でも仕方がない。
お湯を沸かし、お茶を入れる。久しぶりにハーブティを入れてみた。レモングラスとペパーミントのハーブティ。ぴりっとしたペパーミントの味が、レモングラスの爽やかな味とあいまってなんともいい感じ。

脚本分析の著書を読みながら、かりたてるもの、についてあれこれ思いめぐらす。「完全であれ」「もっと努力しろ」「他人を喜ばせろ」「急げ」「強くあれ」。このどれも、私には常についてまわっている気がする。何をするにしても、それが小さなことであっても、たとえば、しっかりやれ、もっともっと、もっと完璧にやって親を喜ばせろ、というふうに。そして私はいつでも、強くあらなければならなかった、そんな気がする。どんな選択をするにしろ。
禁止令を読めば読むほど、正直胸に痛い。存在してはならない。子供のように楽しんではいけない。成功してはいけない。実行してはいけない。重要な人物になってはいけない。皆の仲間入りをしてはいけない。信用してはいけない。考えてはいけない。自然に感じてはいけない…。それらのどれもが思い当たる。
もちろん父母は、そんなつもりがあってそうしてきたわけじゃぁないことも、今なら分かっている。自分が信じるように、必死になって彼らだって子育てしてきたのだろう、と。分かっている。
でも、今の私はそれが分かっているけれども、当時の私にはそれは分からなかった。ただ無条件に、禁止令をつきつけられ、少ない選択肢の中から、必死に、生き延びることのできる方向へ進んできただけだ。
私も父母も、それぞれに、必死だっただけだ。
今私は、ここに立って、それらを眺めている。見つめている。さてここから、私はどうすることができるんだろうと、改めて、考えている。
また同時に、私は、今、自分が母親となってみて、を、考えてみる。今私は母親だ。しかも我が家に父親はいない。娘にとって親は私だけだ。
そんな私は、彼女にどんなふうに接しているんだろう。これからどんなふうに接すればいいんだろう。

友人の言葉から、ふと、昔のことを思い出す。私と主治医とはどういう関係にあったのだろう、と。
私はまるで、生まれたての雛だった。あの診察室で、倒れ意識を失ってゆく中で、先生の言葉だけが響いていた。あなたの話が聴きたいのよ、と。
私は自分がもう狂ってしまったのだと思って、病院に連れて行ってくれと友人に頼んだ。そうして行った病院だったが、もうここが最後の場所だ、というような意識もあった。だから薬を飲んだ。ここに居ることしかできないくせに、ここに居ることさえできないとも思っていた。だからすべてを終わらせようと、薬を飲んだ。
意識が戻ったとき、最初に思い出したのは、薄れゆく中で響いた主治医の言葉だった。あなたの話が聴きたいのよ。ただそれだけだった。
それから主治医との関係は始まった。先生は私の話をとにかく聴いた。そして、たいてい、先生は言うのだった。次回まで生き延びてちょうだいね、と。
私はただその言葉を頼りに、支えに、次まで生き延びればもうそれで十分だ、と、それだけで必死に生き延びた。
主治医から逃げ出したこともあった。いや、今思えばそれは、主治医から、ではない。病気から私が逃げ出そうとしたのだった。もう嫌だ、こんな状態もういやだ、と。
でも、逃げられるものなんかではなかった。病気は病気として、そこに在った。私のすべてではなかったけれど、私の一部として、それは明らかにそこに在った。逃げる術など、何処にもなかった。
最終的に、主治医は自ら去っていった。病院を去るという形で、私の目の前から去っていった。
当時は、裏切られたような、そんな気持ちがしたものだった。どうしようもなく、取り残されてしまったという、そんな気持ちに苛まれた。
でも。
今はそれでよかったんだと思う。確かに、主治医を慕っていた。主治医にだからこそ話せることがあった。主治医の言葉だからこそ、聴けることがあった。
でも今はそうじゃない。私と今の医者との距離は、とてつもなく離れている。必要最小限のことを診察室で話し、薬をもらう、ただそれだけの関係だ。
でも。
何だろう、私にはそれで、よかったのかもしれない、とも、最近は思うようになった。
うまくいえないが、自分で向き合うしかない、という構えができたとでもいおうか。ここからは自分が自分をケアしていくのだ、というような、構えができたとでもいおうか。そんな気がする。
今私にとって病院は、救いの場でも癒しの場でも逃げの場でも何でもない。ただ、通院する場、だ。今生活するのに必要な、診断と薬とをもらう場。
これまでに私が培ったものを、これからは私が私自身にしていくのだな、と。そう思う。SOSを出すことも、休むことも、進むことも、当たり前だが、私が決める。私が私と相談して決める。医者は医者であり、私のパートナーではない。私が生きるうえでの私のパートナーは、私、だ。
そのことを、主治医と別れることで、私は改めて知った。気づいた。
今主治医が営んでいる病院が、そう遠くない場所にあるが、通うには私には遠い。だからもう二度と、主治医と会うこともないだろう。
ありがとう、と言いたい。今までありがとう、と。そして、さようなら、と。

ママ、どうしたの?! 忘れ物したっ。戻ってきたの? うん、忘れ物したんじゃどうしようもない。戻ってきた。急がないと、遅れるよ! 分かってるってばー。私は思う。朝、娘と一緒にDVDなんて見ていたのがいけなかった、あれにいつの間にか夢中になってしまって、朝の支度がなってなかった。後悔してももう遅い。
それは、一組の夫婦が離婚するかしないかの物語で。娘はどうもその間にいる子供の立場になって見ているらしく。いたるところで「そうじゃないじゃん! だめじゃん、お父さん」とか「違うよ、もっと話聴いてやんなよ、お母さん!」と言いながら見ている。私は正直、そういう娘を、見つめている。彼女がどういうところでそう思うのか、どういうところで何を感じるのか、そっちの方が気になっている。
ママ、しっかり勉強してきなよ! あなたもね、しっかりやんなよ。じゃぁね、それじゃぁね! 手を振って別れる。私は階段を駆け下り、バス停へ。息を切らしてバスに乗り、教科書を開く。そしてそこには、禁止令がだだだっと書いてあるのだった。あぁ、痛い。読むのが痛い。でも今読まなくてどうする、という気もする。今勉強するせっかくの機会なのだから、しかと目を見開いて見ておかなければ。後悔する。
川を渡るところではたと立ち止まる。川の真ん中に妙な船が。工事をしているらしい。その船に沿って波紋が広がってゆく。きらきらと陽光を受けて輝く川面だけれど、どこか歪。
さぁ、気持ちを切り替えて、次に進まねば。今日もまた一日が始まってゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加