見つめる日々

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2010年03月16日(火) 
夜通し雨が降っていた。さらさらとした雨が。強い風に煽られて窓ガラスをぱたぱたと叩く音が響いていた。午前三時目を覚ました折にも、まだ降っていたのを覚えている。
そうして午前五時。目を覚ますと、雨はすっかり止んでおり。窓を開けると、なんとあたたかいことだろう。驚いた。シャツ一枚でも、我慢すれば過ごしていられそうなほどあたたかい。
ベランダではイフェイオンが雨粒をつけて咲いている。雨粒のところだけきらきらと輝き、それは万華鏡のよう、小さな世界を映している。窓際のプランター、薔薇たちも、すっかり濡れて、葉の至るところに雫を乗せている。うどん粉病が心配だけれど、今は、その美しさに息を呑む。つやつやと輝く葉、特にマリリン・モンローとベビーロマンティカの美しさといったら。二度とないその姿を、私はしかと目に焼き付ける。
私は窓を開けたまま、顔を洗いにゆく。水までもがずいぶんとぬるく感じられる。あまりにぬるくて、まるでぬるま湯で洗っているかのような錯覚を覚える。朝一番顔を洗う水は、やっぱりこれでもかというほど冷たい水がいい、なんて、贅沢なことを思う。
お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶を自然に入れてしまっていたけれども、こんな日はハーブティーの方がよかったかもしれないと、ちょっと思う。まぁもう入れてしまったのだからこれを飲むとしよう。足元ではゴロがちょこちょこ籠の中を動いて回っている。おはようゴロ。私はいつものように声を掛ける。彼女のこちらを見上げる目がたまらなくかわいい。まん丸な黒い瞳は潤んでおり、ぽっと開いた口がなんとも愛らしい。私は人差し指でこにょこにょと彼女の頭を撫でてやる。とぼけたような顔をするゴロ。満足したのか、しばらくすると小屋の中に入っていった。
私は窓際に立ち、街景を眺める。しっとりと濡れた街は、これからやってくる朝に向けてしんと静まり返っている。そんな中、僅かな光を受けて濡れたトタン屋根が光っている。街灯の光の中、アスファルトも黒々と輝き。私は深呼吸してみる。吐く息は白く染まることなく、空にのぼってゆく。

病院の日。いつものように川を渡り最寄の駅へ。学生が少ないせいか、降りる人も少なく、駅はいつもよりずっと空いている。私は薄着になった人たちの姿をぼんやりと眺める。季節の変わり目はいつも何処か忙しない。
二番目に呼ばれ、診察室に入る。何も変わることなく、いつものようにいつもの会話を交わす。ただ最近ちょっと憂鬱だという話をする。この季節になるとクラス替えという行事がある。それがしんどいのだ。いくら学校側も事情を知っているとはいえ、娘の学年は二クラスしかない。配慮してくれるだろうとは思うけれども、それでも、もしかつての加害者と同じクラスになったら、と。それが気がかりで。それを考えると、正直夜も眠れなくなる。娘が何か言っているわけではない。むしろ何も言わない。だからこそ逆に考えてしまうのだ、もしも、と。考えても詮無い事と分かっている。分かっているけれど、でも。
そのことを先生にちらっと話す。話したからとて何か変わるわけではないことも分かっているから、あくまでちらりと話すだけに留める。それ以上この話題を話しても、何にもならない。
処方箋を貰い、薬局へ。長いこと分包してもらっていたのを、しばらく前からシートのままにしてもらうことにした。そのことを、薬剤師さんはずいぶん気にしていた。大丈夫か、と。どうなんだろう、でも、もう分包にしてもらわなくても、自分なりに管理できるようになっている気がする。何をどれだけ飲んでいるのか、自分で意識した方がいいような気がする。分からないままじゃ、減らそうにも減らせない。
薬局を出ると、ちょうど信号が青に変わったのか、勢い良く行き交う車の列。私はその間を抜けてぼんやりと歩く。

やってきた友人と連れ立って埋立地まで電車で出掛ける。彼女は最近、前頭部にしこりを感じているらしい。外からの刺激が多くて、それがストレスになっているのかもしれないという。
長いこと自ら引きこもりを選んで為してきた彼女にとって、この環境の変化はなかなか大変なものがあるんだろうなと思う。それはもしかしたら、自然界で言うところの大地震に近いかもしれない、そのくらいの振動だろうと思う。出会った当初の彼女なら、もうこれだけで、ふらりと倒れていたかもしれない。それを思うと、よく踏ん張っていると思う。
あなたはどうやって、バランスを取っているの、というようなことを問われ、改めて考えてみる。私もやはり、自分なりの自分の時間というものを取ることで、バランスを取っているんだろうなと思う。外側へ開いたままでは私は生きていけない。自分に立ち返る時間がないと、外へ開くこともできない。だから必ずそういう時間を持つ。たとえば今こうして日記を記すというような時間のように。
自分と向き合うことについて、あれこれ話す。何か言葉を発せられたとき、その言葉が何処から来たのか、どういうものを背景に投げかけられたものなのか、どんな意味を込めて投げかけられたものなのか、そういったことを瞬時に考える。それは彼女や私にとって、当たり前のことであり。何ら特別なことではなく。
別れる頃、空は曇天で。一面雲に覆われた空は重たげにしなっており。私たちは手を振り合って別れる。

「私たちが生活の中で何かと直接触れ合うことができるのは、私たちがどんな先入観、イメージももたないでそれを見るときだけです」「私があなたを知っているというとき、それは昨日のあなたを知っているということです。私は今の実際のあなたは知らないのです。私が知っていることはすべて、あなたについてのイメージに他なりません」「私たちはすでに問題は時間の中に存在するということを見てきました。つまり、不完全に出会うから問題になるのです。だから私たちは、その問題の性質と構造に気づいてそれを完全に見るだけでなく、それが生起するのに応じて出会い、それをその場で解決しなければならないのです。そうしてそれが精神に根づかないようにするのです。もし人が一ヶ月、一日、あるいは数分間でさえ問題が持続するのを赦せば、それは精神を歪めます。ですから、どんな歪曲もなしに問題とその場で向き合い、即座かつ完全に、それから自由になり、精神に記憶の痕跡すら残さないようにすることは可能でしょうか? こうした記憶は私たちが引きずっているイメージであり、生と呼ばれるこの途方もないものに出会っているのはこれらのイメージなのです。だからこそ矛盾があり、そこに葛藤が生じることになるのです。生は非常にリアルです。それは抽象的なものではありません。あなたがイメージと共にそれに出会うとき、そこに問題が生まれるのです」
「中心も周辺もないとき、そこに愛があります。そしてあなたが愛するとき、あなたがすなわち美なのです」「もしもたえず自分のしていることに気づいているなら、あなたは気づきを空手手、その気づきの中から、快楽と欲望、悲しみの本質を、人間のひどい寂しさと砂を噛むような味気なさを理解し始めるでしょう。そのときあなたは、「空the space」と呼ばれるあのものに出会い始めるのです」

娘が、塾のテストの点数があまりに悪く、ショックを受けている。涙をぽろぽろ流し始める。正直驚いた。勉強を特に一生懸命やっているわけではなかった。だから私から見ると、この点数もいたしかたがないと思えた。どうも勉強の仕方が分からないらしい。
私は試しに、ノートの取り方を教えてやる。授業の後、こうやってまとめるといいよ、と教えてみる。彼女は泣きながら、言われた通りにノートを作り始める。いや、こういうところは、自分なりに自分の言葉でまとめてみるといいんだよ、と私は合わせて教えてやる。どうも彼女はそれが分からないらしい。自分なりの言葉でまとめるという作業ができないらしい。
じゃぁとにかく、自分が思うようにまずはやってごらん、と私は言ってみる。彼女はこくんと頷き作業を続ける。
その後姿を眺めながら、私は自分を省みて見る。私には、こんなふうに泣いたことがあっただろうか、と。なかったように思う。別に勉強が好きな子供だったわけではない。でも、何だろう、幼い頃体が弱かったせいもあるのかもしれないが、独りで部屋でしこしこ作業するというそのことが、楽しかった。黙々と作業する、それが楽しかったのだった。それは多分、今もあまり変わらない。
でもそういう楽しさは、人に教えられたからとて分かるものではない。自分で掴んでゆくしかないこと。今多分娘は、仕方なくやっているだろう。やらなければならないと思ってやっているんだろう。それが、自らやりたいという気持ちに変わるかどうか、それが、多分分かれ道の一つなんだと思う。
でもこればかりは助けようがない。私は見守るしか術がない。だから黙っている。黙って彼女を見守っている。とにかくやってごらん。やってみて、だめならまたそのとき考えよう。私は心の中、そう言ってみる。

開け放した窓にそよ風がさやさやとやって来る。私はそのたび、窓の外を見やる。窓の向こう広がる街景が、きらきらと輝いている。雨上がりの朝。
それじゃぁね、じゃぁね、手を振って別れる。今日は薄い上着一枚で出掛けてみることにする。少し肌寒いけれど、このくらいがちょうどいいのかもしれない。
公園の木々は昨日の雨でぐんと芽を伸ばしたらしい。茶褐色の枝々に膨らみ始めた芽が茫々と萌えている。それはこれでもかというほどの勢いで。私は思わず目を細める。あぁ春だ、春がもうここに在る。
大通りを渡って高架下を潜り埋立地へ。先日掘っていた躑躅の脇には、すでに標識が立てられており。今コンクリートを固めている最中なのだろう。支え木で囲われている。想像する。今土の中ではどんなことが起きているんだろう。躑躅の根は結局どうなったのだろう。想像しても仕方ないことと知りつつ、それでも。枯れたりすることなく、どうか躑躅がそのまま生き延びてくれますよう。私は祈るように思う。
信号が青に変わった。私は勢い良く飛び出す。眩しい空、その上空には鳶が大きく羽を広げ。
さぁまた一日が始まる。今日という日が。


遠藤みちる HOMEMAIL

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