2010年03月18日(木) |
目を覚まし窓を開ける。冷たい大気が私を一瞬にして呑み込む。薄いシャツ一枚しか着ていない私の肌は途端に粟立つ。でもそれが気持ちいい。私は大きく深呼吸してみる。ひゅううっと胸に入ってくる冷気。でもそれはもう、冬の終わり。 仕事に必要な代物の調子がおかしい。電源を入れて気づいた。何度試してもだめ。たまにこういうことが起こる。以前ならこの状態に陥ったというだけで半泣きになっていた自分だが、今更もう慌てることもない。根気強くトライし続けるしか術はない。とりあえず他の繋ぎの部分をチェックし、異常がないことを確かめ、もう一度トライ。どうも機嫌が悪いらしい。まだこれっぽっちの反応さえ示さない。仕方ない。五分放置してみるか。私はその間に顔を洗うことにする。 鏡の中顔を覗くと、昨日寝汗をぐっしょりかいたせいか、ちょっと疲れた顔をしている。まぁこんな日もあるさと思うことにして、私はさっさと化粧水を叩き込む。それにしても昨夜は妙に汗をかいた。途中で着替えようかと思うくらいだった。別に夢を見ていたわけでもない。ただ、体がそう反応したというだけなのだが。どこか疲れているんだろうか、体のどこか。今日またフォーカシングしてみようか。そんなことを思う。 窓を開け、ベランダに再び出てみる。イフェイオンは花盛り。しかし、二つある鉢のうち、一方だけ。残りの方はうんともすんとも言わない。花芽の気配さえない。同じ条件の下で育っているはずなのに、こんなにも違いが出るのかと不思議に思う。 ムスカリは日に日に元気になってゆく。一度首を伸ばしたら、もっともっとというふうに。やっぱり陽射しを浴びていたいのだろう。ぐいぐい伸びてくる。私はこのムスカリや、イフェイオンの花の色が大好きだ。空の色をぎゅっと濃縮させたような色。ちょっと緊張感のある、凛としていて、それでいて華やかな色。 さて、と。私はもう一度電源を入れてみる。すると、すんなり繋がった。なんだ、やっぱりちょっと機嫌が悪かっただけなんだ、と、納得する。 お湯を沸かし、お茶を入れる。もうほんのちょっとしか残っていないコーディアルのエキスを紅茶に垂らす。あと飲めても二、三杯か。また冬までしばらくさよならだな、と思う。別に夏に飲んでもおかしくない代物なのだが、何故だろう、私には、このコーディアルティーは冬の飲み物に思える。あたたかくてほんのり甘酸っぱい、そんな味。
三冊の本、同時に読み終える。フォーカシング関連の本と脚本分析の本、それからクリシュナムルティの本。 さぁ次何を読もうか、と思って、気づいた。なんだか今、めいいっぱいになっているな、と。私は車の運転ができないのだが、もし車に譬えるなら、常にエンジンをふかしている、そんな感じかもしれない。さて、どうしよう。 休もうか、と思って、さらに気づく。休み方がよく分からない。私はよくこれがある。休むということが分からなくなるのだ。常に何かをしていなければならない、というような強迫観念にも似た何かに追い立てられていて、これをし終えたら次これ、これが終わったらまた次これ、という具合に自分を次々追い込んでしまう。いざ休もうと思っても、休むそのやり方が全然わからない。 さて困った。でもなんだか自分があっぷあっぷしている感じがする。こう、心のタンクが満杯に近いような。息抜きが必要だ。でも、じゃぁどうやって息抜きすればいいんだろう。分からない。 その間にも私は目で本棚を探している。読みたいと思える本はないか、と。いやいや、これじゃいけないと思う。思うのだが、手が伸びている。これかもしれない、いや、こっちかもしれない。とりあえず手に取ってみる。何となく違和感を覚える。本当に読みたいのかというと、そうでもない気がする。読まなければいけない気がするという方が大きい。読みたいわけじゃぁないのだ、読まなければならないだろうと思って読むのだ、と思った。今はむしろ、何もしたくないという方が近い気がする。 でもそれでは不安なのだ。何もしていないというのが不安なのだ。置いてきぼりにされてしまうような、そんな気がするから。それは誰に、と問うても答なんてない。だって、私を置いてきぼりにするような対象はいないのだから。私が勝手に私の中に作り上げているのだ、そういう対象を。 結局部屋を何周したんだろう。ぐるぐる回っていることに気がついてとりあえず座り込んでみる。床にぺたり。足元に、一度読んだ本がころり、置いてある。気づけば目が探している。こちらの机の上の棚にも読もうと思って読んでいない本を見つけてしまう。仕方ない、とりあえず手に取ってみよう。もしかしたら今本当に読みたいわけじゃぁないかもしれないが。 でもせめて、今開くのはやめよう。そうして私はそれらの本を鞄にしまい込んでみる。そうして自分にもう一度尋ねてみる。あなたのそうしたところって、一体どこから来ているのかしら、と。
考えてみれば。我が家で止まっている人はいなかった。父は常に働いて働いて、これでもかというほど仕事漬けになっていたし、母は母で、具合が悪いとき以外は何だかんだと動き回っていた。母が具合が悪く横になっているときだけだった。止まっている人がいたのは。私はそれをいつも、恐る恐る見つめていた。母が具合が悪いとき、それは心配なときでもあったが、同時に怖かった。何が怖かったんだろう。私のせいで母が具合が悪くなっているようで、それは母を失うことにも繋がっていて、それがとてつもなく怖かった。何故私のせいなのだろうと思うが、その頃の私はそう思っている節があった。何か具合の悪いことが家に起こると、それはすべて自分のせいなのだと、私は思っていた。 だから、私は必死だった。心も体もフル回転させていた。そうしなければいけない気がした。自分は望まれて生まれたわけじゃない、ここにいさせてもらっているのだから、だから私は必死にならなければいけない、と。そんなふうに思っていた。休むなんて冗談じゃぁなかった。そんなこと決して赦されることじゃぁなかった。私は疑うことなく、一寸の隙もなく、ただそう思っていた。 寝ることさえ惜しかった。寝ている暇があったら何かしろ、という具合に私の心が喚いていた。私はその喚きに負けて、しょっちゅう寝床から這い出し、出窓に座ってひたすら何か考えていた。することがあるならそれをしていた。そうでもしなければ、私はここに居られない、そんな気がした。 今私は別に実家にいるわけじゃぁない。娘と二人で暮らしている。その暮らしの中で、別に私を急き立てる人など存在しない。むしろ娘にさっさと寝ろだとかたまには休めと言われる。それなのに、やっぱり、休めない。 幼い頃にインプットされたものから、私はいまだに脱け出せずにいるのだ、と、改めてそのことを思う。 せめて五分くらい、いいじゃないか、十分くらいどうってことない、そう思うのだが。心と体が喚くのだ。嫌だ、嫌だ嫌だ、と。私はここに存在していたいのだ、と。別に休んだからとて私がいなくなるわけじゃぁあるまいし、と頭では思う。頭では思うのだが、心と体は喚き散らす。果てには泣き出す。いなくなりたくない、と。 あぁもうあかん、私、果てた、と、床にぱたんと倒れ込んでみることにする。眠れるか分からないが、目を閉じてみる。娘が帰って来る時間まであと二十分。私はただ、じっとしていることにする。ぐわんぐわんと耳の内奥で、心と体の叫ぶ声が響いている。
「私たちはつねに重荷を持ち運んでいます。私たちは決してそれに対して死なない、それらを背後に置き去りにすることがないのです。孤独があるのは、私たちが問題に完全な注意を払い、それをその場で解決し、それを決して翌日に、次の瞬間に持ち越すことがなくなったときだけです」「そしてその孤独が新鮮な精神、無垢な精神を示しているのです」 「内的な孤独と空間をもつことは非常に重要です。なぜならそれは在る、行く、機能する自由、飛ぶ自由を含意するからです。結局、善性は徳が自由の中でのみ花開くのとちょうど同じように、空間の中でだけかかすることができるのです」「内部のこの広大な空間なしには、価値のあるどんな美徳、どんな性質も働いたり成長したりすることはできません。そして精神が何か全く新しいものに出会えるのは、それが独りで、何の影響も受けず、訓練されておらず、無数の様々な経験に縛られていないときだけなので、空間と沈黙は必要なのです」「人生における最も大きな躓きの石のひとつは、この到達しよう、成し遂げよう、獲得しようという絶え間ない苦闘であるように、私には思われます」「自由は終わりにではなく、まさにその始めにあるのです。この自由が、それは規律への順応からの自由ですが、規律それ自体なのです。学びのまさにその行為が規律です(結局、規律という言葉の元の意味が「学ぶこと」なのです)。学びの行為そのものが明澄さになります。コントロール、抑圧、放縦の性質と構造を全体として理解するには、注意が要求されます。あなたはそれを学ぶために規律を押しつける必要はありません。しかし学びの行為そのものが、その中にどんな抑圧もない、それ自身の規律をもたらすのです」
朝だというのに娘がノリノリで踊っている。ねぇ何がそんなに楽しいの? 試しに私は訊いてみる。ママ、楽しくないの? え、あぁ、うーん、別に今楽しいわけじゃぁない。えー、朝だよ、朝、朝って楽しくない? うーん、なんで楽しいの? 別に、朝っていうだけで楽しいじゃん。そういうもんかぁ、そういうもんだよ、ママも踊んなよ。い、いや、それは遠慮する。そういうところがだめなんだなぁ、ママは。え? こうさぁ、遊ぶっていうこともしないと、楽しいなら楽しいで、思いっきり踊ったり笑ったりすればいいじゃん。まぁ、そうともいう、うん。表現しないと、逃げちゃうよ。逃げちゃう? うん、そう思ったときやらないと、それって逃げていっちゃうと思う。…。 逃げてっちゃう、それは確かにそうかもしれない。いや、本当にそうだと思う。娘の言った言葉が妙に胸にぐさりときた。
私の自転車の、傷つけられた様を見て、娘が言う。気にすることないよ、このくらい、どうってことないよ。そうかなぁ。いや、破られちゃったけどさ、だから何だっていうの、自転車乗れるし。ママ、大事にしてたんだよ。うん、知ってる。でもさ、これで自転車との絆が切れたわけじゃないじゃん。まぁ、それはそうだけど。自転車だって分かってるさ、ママがやったんじゃないんだから。ママはさぁ、守ってあげられなかったのが嫌なのかもしれない。それは無理じゃん。いや、分かってるんだけど。 あれこれ話しながら登校班の集合場所へ。集まっている子供らにおはようと声を掛ける。声を出して返事をしてくれる子、頭だけぴょこんと下げる子、後ろを向いている子、みんなそれぞれ。 じゃぁね、それじゃぁね。私たちは手を振って別れる。子供らを見送り、私は自転車に跨る。今日は公園には立ち寄らず、一気に埋立地へ。 陽光がきらきら弾けている。午後から雨が降るかもしれないと天気予報は言っていたが、本当なんだろうか。こんなことなら洗濯物を外に出してくるんだったと少し後悔。信号が青に変わったのを合図に、思い切りペダルを踏み込む。 鴎の飛び交う海と川との繋がる場所で立ち止まる。海が青々としている。紺碧だ。何処にも澱みがない。コンクリートに囲まれた港、砂浜など何処にもないこの場所。それでもこの季節、多くの鳥たちの、帰る場所になっている。 鴎の劈くような啼き声が響いた。一瞬空を切り裂いたかのような声だった。私は再び自転車に跨る。 さぁ今日もまた、一日が始まる。 |
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