2010年03月23日(火) |
窓を開けると、冷気が一気に私を呑み込む。張り詰めてはいるけれど、どこか萌芽を感じさせる、そんな冷気。大きく伸びをして空を見上げる。薄い雲が広がる空はもうすでに明るくなり始めている。紺の水彩絵の具に少し灰色を足して水で伸ばしたら、こんな色になるのかもしれない。 足元でイフェイオンが花開かせている。一つ二つ、三つ四つ…もう十を越えるほどに咲いている。隣の鉢でも二つばかり花が咲いた。相変わらず葉は生い茂り、花芽は直前までその葉の下に隠れている。その向こう側、ムスカリが大きく花を咲かせており。そうしてくるり振り向けば、マリリン・モンローが新芽をこれでもかというほど生い茂らせており。なんだか緑がぐんと増えた。マリリン・モンローの葉が濃く暗い緑色だとしたら、ベビー・ロマンティカは明るい萌黄色だ。同じ薔薇でも、こんなに違う。ミミエデンは相変わらず粉を噴いている。私はひとつずつ摘んでゆく。 挿し木している小さな鉢。また新たに枯れ始めたものが二本。私はそっとそれだけを引き抜く。今新芽を出しているものが四つあるが、果たしてどうなるだろう。新芽を出したからとてそれで大丈夫なわけじゃない。新芽を出しながら立ち枯れるもののなんと多いことか。こうして挿し木してるとそのことを思い知らされる。それはどこか、人間の姿とよく似ている。大丈夫大丈夫と見えて、実はその中はもう痛んで枯れている、というような。本当に大丈夫かどうかなんて、すぐには分からないものだ。 お湯を沸かし、ハーブティを入れる。レモングラスとペパーミントのハーブティ。薄い檸檬色がお湯を注いだ途端ガラスのカップに広がる。今日はちょっとペパーミントの分量が多かったんだろうか、つんとする匂いがカップから立ち上っている。 足元でココアがかたかたと籠を鳴らしている。籠の入り口にがっしとかぶりついているのだ。おはようココア。私は声を掛ける。が、彼女はそんな私の声に関係なく、ただひたすら、籠に齧りついている。がしがしがし、がしがしがし。音が部屋中に響き渡るほど。試しに手のひらに乗せてみる。彼女は途端に静かになって、私の手のひらの上から徐々に腕の方へ、肩の方へとのぼってくる。私は、彼女を落とさないようにしながらお茶を啜る。 テーブルには、薔薇の花と水仙の花がそれぞれ花瓶に生けてある。薔薇は昨日会った友人から頂いたもの。恐らくこれはパスカリだろうと思う。真っ白な薔薇。真っ直ぐ天を向いて咲いている。うっすらと香るパスカリの香りは涼しげで、吸い込むと、背筋をすっと伸ばしたくなる。その隣、昨日母から貰った水仙の花が十本ほど。くっきりとしたその黄色は、灯りを点していない部屋の中、まるで発光しているかのような輝き。白薔薇よりずっと甘い香りがする。こういうとき、鼻が利かないことが悔やまれる。もしちゃんと匂いを嗅ぎ取れたなら、これらの花はずっとずっと強い香りを放ってそこに在るんだろうに。それが残念でならない。 しばらくそうしてテーブルの上の花を眺めた後、私はココアを肩から下ろす。ゴロが起きてきた。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロは最初ちょこまかと籠の中動き回っていたが、ぴたりと止まってこちらを見上げてくる。私はココアに手を差し出す。ココアは匂いを嗅いで、なんか違うと思ったらしい。娘の手の匂いと私の手の匂いとを嗅ぎ分けたのだろうか。乗ってはこない。私は苦笑しながら籠を閉じる。それでもまだ、彼女はこちらを見上げている。 再びテーブルの上を眺め、うっとりする。花があるってそれだけでいいものだ。こちらの心をほぐしてくれる。そんな気がする。
待ち合わせより早めに着いて、私はノートの整理をする。繰り返し繰り返し、来談者中心療法について記しているのが今なら分かる。最初書いていたときは、夢中でとにかく記していたが、これらは全部、来談者中心療法についての記述だ。技法のない療法だと言われるが、その分、人格が求められていることが、ありありと分かる。ノートを整理しながら、私は何処までそれを高めてゆけるんだろうと、途方に暮れた。 一息つこうと珈琲を飲みながら、ふと気づく。今日会う友人と、ゆっくりふたりきりで話すというのは、これが実は初めてなんじゃぁなかろうか。友人と知り合ったのはもうずいぶん前になるけれど、その後疎遠になった時期もあった。そうした時期を経て、今、在る。 やってきた彼女は、明るいコートに春らしいスカートをはいており、ちょっと緊張したような、疲れたような顔をしていた。それでも彼女は、いつもの彼女らしく、明るくはきはきと喋り始めるのだった。きっとそれは、彼女の習慣なのだろう。人前では決して自分の疲れたところや暗いところを見せない、というような、彼女の習慣なのだろう。私にはそう感じられた。 ぽつりぽつり、彼女が語ってくれる彼女の過去は、とても辛いものだった。両親による肉体的虐待、精神的虐待は、どれほど彼女を追い詰めただろう。どれほど幼い彼女を傷つけ痛めつけただろう。それでも、幼い彼女は、負けるものかと決意する。その決意がどれほどのものだったか、痛いほど伝わってくる。 その虐待は、或る日突然終わりを告げる。それは両親の都合によって、突如として訪れる。それがきっかけになって彼女は発病する。幼い頃と思春期の頃と、それぞれ性犯罪被害に巻き込まれながら、それでも彼女は生き延びてきた。幸せになろう、幸せになろうと、彼女がその時その時、必死になって手を伸ばし、現実に立ち向かってきた姿がありありと浮かぶ。 そうして彼女は、結婚や離婚を経ながら、今、また一つの岐路に立っている。
眠っている間に夢を見て、魘されて、泣きながら目が覚めることがある、という。彼女は残念ながら信頼関係を築ける医者やカウンセラーとの出会いがなかった。それもあって、彼女は、吐露する作業をずっとしないできた。自分の中の膿を、抑えに抑え、そうしてここまで生き延びてきた。だからこそ意識の境界が薄れた夢の中で、うわっと湧き出てしまうのだろう。 またそれは、多分に、彼女の性格が影響しているように感じられる。人前では自分の弱音を見せないという、彼女の必死の覚悟が、彼女を余計に追い詰めているように思えた。 自分より他人を優先する。自分の本当の気持ちは差し置いても、他人にとってどうであるかを優先する彼女の性質が、彼女をさらに追い詰めている、というような。 私にとって性犯罪被害に巻き込まれたことよりも、親との関係が何より重い、と、彼女がぽつり、呟く。私はただ耳を傾ける。 彼女が描いてくれた絵があった。こんな樹があって、この樹の作る根の洞穴で、愛犬と一緒に暮らす、というものだった。この絵がさらにここからどんなふうになったらいいなと思う?と尋ねると、辺りに花が咲いて、鳥がやってきたり、日が燦々と降り注いでいたりしたら、いいなぁって思う、と彼女は応えてくれた。 自分の思いにもっと正直になっていいと思うよ、と伝える。私に今伝えられることは、そのくらいしかなかった。そんな自分が歯がゆくて仕方なかった。たまらなかった。でも。それ以上の何が言えるだろう。私はただ、彼女の語ってくれることに、耳を傾けていることしか、できない。 彼女がぽつり、尋ねてくる。両親に愛されたいと思ったことはない? ある、それは、ある、私はそう応える。でも、自分が思うようには、彼らは決して愛してくれることはないことも、もう分かっている。そんな今の自分にできることは、まず、これまでずっとおざなりにしてきた自分自身を愛すること、大切にすることなんじゃぁなかろうか、と、私はそう応える。これは私だけかもしれないが、それがほんのちょっとでもできると、抱えている荷物がぐんと軽くなったよ、と、そう伝える。 日が傾き出すまで、私たちはそうして、ずっと語り合っていた。また会おうと約束し、別れる。彼女が別れ際にくれた花が、私の腕の中で、さやさやと揺れていた。
私は本当に、恵まれていたんだと思う。自分はもう狂ってしまったと思って飛び込んだ病院で、あの医者と出会った。医者は言った、あなたの話が聴きたいのよ、と。その言葉が、私を支えた。私が病にどっぷり呑み込まれ、ふらふらになっている時期には、次会うときまで生き延びてくれればいいから、と、私に言った。私はその言葉を支えに、必死に生き延びた。 彼女とのやりとりの中で、私はこれでもかというほど自分の中の膿を吐き出した。これでもか、これでもか、というほどに。それは医者にとって、どれほどしんどい作業だったろう、と、今なら思う。でもそれに、彼女は付き合ってくれた。 今その彼女はもう、私のそばにはいない。私も彼女と再び会うことはないだろうと思う。それでも。 あの時期、彼女がいてくれたことは、本当に大きかった。彼女という器がなければ、私は安全に吐露することもできず、膿は膿のまま、いや、さらに膿んで膿んで、私を呑み込んでしまっていたかもしれない。私は今ここに、いなかったかもしれない。 吐き出す、或いは掻き出す作業は、とてもとても、大切なことなんだなと思う。そうすることでようやく、傷と向き合えるようになることができるのかもしれない。痛いばかりの傷とひとり向き合うなんて、そうそうできるもんじゃぁない。安全な場で膿を吐き出し、掻き出して、炎症の治まった傷とようやく、向き合うことができるようになる、のかもしれない。
娘が帰ってくると共に、父と母とがやって来た。父は相変わらず、人の家に上がることが苦手ならしい。自分でやって来ておきながら、娘の荷物を置くとさっさと車に去ってゆく。残った母は、コンピューターの電源の入れ方、切り方が分からないから教えてくれと言い出す。 慌しくやって来て、そして去っていった父母の残り香が部屋に充満している。私はそれを思い切り深呼吸した後、めいいっぱい窓を開ける。やわらかい残照が、西の空を照らし出している。
録画したアニメ番組を見ながら、娘が突然踊り出す。ママ、見てて! え、見てるの? うん、見てて! 音にあわせて踊るから! もう腰を振り、腕を振り、彼女は激しく踊る。よくもまぁこんなに表現できるものだと感心する。 思うんだけどさぁ。何? ママもじじもばばも、嬉しいとか楽しいっていうのを表現するのが下手だよね。え?! 私はどきっとする。確かに、我が家でそういったものを表現することは、禁止のようなところがあった。 そういうのこそ表現しなくちゃいけないんじゃないの? う、うん、そうだよね。悲しいとか寂しいより、嬉しいとか楽しいの方が、いいじゃん。うん、そりゃそうだ。そういうのこそこれでもかってほど表現できる方がいいんじゃないの? …。 父母の血を継いだ私の元で、彼女はそんなことを考え、そして今、そうして踊っていたのかと思うと、なんだか不思議な気がした。 虐待の連鎖に怯えた時期が、どれほどあったろう。自分も父母と同じことをしてしまうのではないかと、そのことに怯え慄いたことがどれほどあったろう。そうして私は彼女を産んだ。 新しく流れ始めた曲にあわせ、再び彼女が踊り出す。右に左に、前に後ろに、自由自在に体を動かす彼女を眺めながら、私は思う。虐待の連鎖って、何だろう。
それじゃぁね、じゃぁね、あ、もう給食ないからね、昼で帰ってくるよ! あ、了解。 娘に送り出されて玄関を出る。自転車に跨り、思い切りペダルを踏み込む。 ぐいと流れ始める風景。次々流れ去ってゆく。通りを曲がろうとして、向かってきた自動車を慌てて避ける。危ない危ない。 大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。陽射しが急に翳る。自転車を止めて空を見やれば、一面薄曇。太陽のある箇所だけ、雲の向こう、燃えているのが分かるのだけれども。そうして美術館の横を通り抜け、海の方へ。飛び交う鴎の、劈くような啼き声が一声響く。その声を聴きながら、私は昨日の友人の、別れ際の顔を思い出している。 さぁ、今日もまた一日が始まる。私はくるりと海に背を向け、再び走り出す。 |
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