見つめる日々

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2010年03月26日(金) 
暗い、重たげな雲。空一面に広がっている。それでも雨は何とか止んだようで、アスファルトの所々が濡れているだけ。街灯の光の輪の中、雨粒の姿はない。ベランダの、柵に手を置いて立つ。まだ雨粒を残していたのか、手のひらが濡れる。今点る灯りは四つ。その点を結ぶとちょうど、平行四辺形を描くことができる。この描線の中、誰が一体どんなことをして今を過ごしているんだろう。
イフェイオンはたくさんの雨粒を茂った葉の間に残している。指で弾くとぱらぱらと雨粒が零れ落ちる。花にもついた雨粒をぱちん、指で弾く。ぱらり、ぱらり、雨粒が落ちてゆく。でも、このイフェイオンの青味がかった色に、雨粒はなんて似合うのだろう。それはムスカリも同じく。この青という色が、雨粒を恋しいものにしているのかもしれない。
ミミエデンにまた粉の噴いた新芽を見つける。私は粉を落とさぬよう指で摘む。新芽が出るたび摘んでいるようなものだから、ミミエデンの樹はまだまだほとんど裸の状態のまま。その隣で、ベビーロマンティカとマリリン・モンローは茂りに茂っているというのに。なんだかとてもかわいそう。枝をそっと撫でてみる。撫でたからとてうどんこ病が治るわけではないのだが、それでも撫でずにはいられない。早く回復してほしい。脱して欲しい。そう思う。
部屋に戻ると、ミルクとゴロが起きている。おはようミルク、おはようゴロ。私は声を掛ける。ミルクは一心に餌を食べているところで。彼女の、丸々と太った背中とお尻が、でーんと餌箱の中に入っていると、もうそれだけでいっぱいいっぱいという感じがする。それでもはぐはぐ食べ続けるミルク。もしかして、ミルクの中にも穴ぼこがあるんだろうか、なんて、私は首を傾げてしまう。そのくらい、彼女の食いつきはいつだっていい。一方ゴロも餌箱に入っているのだが、彼女の体は餌箱の半分くらいを占める程度。そしてとうもろこしを食べている。はぐはぐと両手で持って食べる姿は、なんともいえずかわいらしい。頭をこにょこにょと撫でてやりたい気持ちに駆られるが、食べるのを邪魔しては悪いと止めておく。
顔を洗い、鏡を覗く。今朝一番に感じたのは、腰の鈍い痛みだった。荷物を背負って歩きすぎた、というような、そんな鈍い痛み。伸ばそうとしてもうまく腰を伸ばせない。そんな具合。私はしばらく洗面台に手を置いて、体を支えてみる。支えながら目を閉じ、自分の内奥に潜ってみる。こんにちは穴ぼこさん。挨拶すると、ひゅるりと音がしたような気がする。風が啼くほどの穴があるということなのだろうか。現実にそんな深い穴を見たことがないから、良く分からない。分からないが、穴はそこに在る。私は手を伸ばそうとして、途中で止める。なんだか拒絶されたような気がしたからだ。手を伸ばさないで、私に触れないで、そう言われているような気がした。触れられただけで痛む傷もあるから、私はとりあえず止めて、そうしてそばに座っているだけにする。すると、穴の姿が黒い渦の中に消えてゆくのを感じた。穴が消えたというわけではないのだが、穴の姿が黒い渦の中に溶け込んでいった、そんな具合。そうして代わりに、黒い渦がそこに現れた。
こんにちは渦さん。こちらにも私は挨拶してみる。ゆっくりゆっくりと左回りに回ってゆく渦は、ただそこに在り。だから私もそこに寄り添うように座り。渦は回り続けていた。私はただそれを、眺めていた。
無言の時間がそうして過ぎる。過ぎてゆく。私はてこてこ体の中を歩き回り始め、あちこちに耳を澄まして回ったが、他には今日は現れるものはなく。ようやく私は目を開ける。蛍光灯の光が目に眩しい。
食堂のテーブルの上、水仙と白薔薇が今朝もきれいに咲いている。水仙は、少し色が薄らいだように見える。外側の花弁の黄色が、薄くなってきた、そんな気がする。気のせいだろうか。分からない。内側の黄身がかった濃い黄色が、くっきりはっきりと闇の中に浮かぶ。くっきりはっきりと浮かび上がりながらも、その色は何処か、闇に溶け出してしまいそうな気配を持っている。黄色というのは、もしかしたら闇と親しい色なのだろうか。一瞬そんな気がした。
その隣で、白い薔薇が凛々と咲いている。しんしん、凛々と、という言葉がこれほど似合う花も他にはあるまい。頂いたときの花の大きさからひとまわり大きくなって、香りを辺りに零しながら咲いている。その微妙な香りが、私にはほんの少ししか分からない、そのことが残念でならない。きっと、本当なら、闇の中でもその香りと色とで存在を主張しているのだろうなと思う。
お湯を沸かし、お茶を入れる。今朝も同じく生姜茶。この生姜茶はもう、私にとって、朝のパートナーとなっているかのような気がする。これを一杯飲まないと、朝が始まった気がしない。季節によってそれは変化するのかもしれないが、今のこの季節は間違いなく、この生姜茶だ。昨夜、眠る前に、最後のコーディアルティーを飲んでみたのだが、何処か違った。おいしいことはおいしいのだが、もう季節外れ、そんな気がした。コーディアルティーはまた冬がやってくるまで、さよならだな、と思った。
マグカップを両手に持って、机へ。とりあえず朝の仕事を始めないと。私は椅子に座り、準備を始める。

娘の学校が終了式を迎えた。とうとう四年生が終わったか。慌しい一年だった。骨折で一学期間をふいにし、その後は悔しい思いを何度か呑み込み、そうして向かえた終了式。さてどんな顔をして帰ってくるだろうと出迎えれば、さっぱりした顔。
どうだった? さっぱりしたよ、やっと終わった。そかそか。もうあの先生には当たりたくない。どうして? だって生徒との約束、平気で反故にするから、もういやだ。そうかそうか。来年はどんな先生がいいの? うーん、わかんないけど、やさしい先生がいい。やさしい先生かぁ、漠然としてるなぁ。遊ぶときは遊ぶ、勉強するときは勉強するってさ、ちゃんと切り替えができる先生がいい。そうなんだ、そかそか。それよりさ、クラス替えだよね。うん、そうだね。クラス替え、どうなるかなぁ。そうだねぇ。
久しぶりに外食をしようということになって、ファミリーレストランへ行く。ご飯を食べ終わる直前、別の団体客が入ってきたのだが、それに娘が顔をしかめた。
どうしたの? うん、うるさいと思って。あぁ、子供いっぱいだからねぇ。ってかさ、なんで子供にちゃんと親が教えないの? あ… ここは走り回っていいところじゃないでしょ、そういうの、なんで親が怒らないの? うん、そうだね。私、思うんだけどね、子供できたって、あのくらいの小さいときにこういう店絶対連れてこない。ははは、そうか。ちゃんと座ってられるくらいにならなきゃ、絶対連れてこないんだ。そうかそうか、あなたはそう思うんだね、じゃぁそうするのがいいよ。ママはどうしてた? そうだね、ママも連れてこなかったな、あんまり。連れて来ると、私、どうしてた? 静かにしてたよ。ふぅん、そうなんだ。私が悪いことするとちゃんと怒ってた? 怒ってたと思うよ。ならいいや。ははは。私、絶対しないんだ。うんうん、わかった。
結局私たちは、お茶も早々に、店を出た。娘は最後まで、騒がしい母子たちの群れを見つめていた。

「幸福は、追い求められるべきものではないのです。それはやってきます。しかしあなたがそれを追い求めるなら、それはあなたの手から逃れ去るのです」「私たちは喜びと呼ぶセンセーション〔感覚の刺激〕をもちます。しかし、喜びはもっと深いもので、理解され、〔その内部に〕入り込まなければなりません」「精神がその〈私〉から自由でいるとき、そこに幸福があります。それはあなたの探究なしに、瞬間毎にやってきます。その中には幸福の収集や蓄積などはありません。それはあなたがしがみつけるようなものではないのです」「他者に関する心理的な安全はありません。なぜなら彼は人間だからであり、あなたもそうだからです。彼は自由だし、あなたもそうです」「安全は存在しないという事実を悟ること…は、途方もなくシンプル、明晰な、調和のとれた生活を必要とします」「だから〔なすべき〕最初のことは、探さないことです」
「指向は一つのレベル、日常生活のレベルで―――物理的、技術的に―――知識とともに―――自然に、正常に機能しなければなりません。しかし、思考がリアリティを全くもたない他の領域にまであふれ出してはなりません。もしも思考をもたないなら、私は話すことができないでしょう。しかし、人間としての私内部の根底的な変化は思考を通じてはもたらされないのです。なぜなら、思考は対立〔葛藤〕に関してだけ機能しうるからです。思考は対立を生み出すだけなのです」「あなたはそれを見るのです。そして見ることはその観察に干渉する〔それを妨害する〕〈私〉という感覚が存在しないときにのみ可能なのです」「あるがままのものとは事実です」「人がなすべきことは何なのでしょう? なすべきことは事実の観察―――いかなる翻訳、解釈、非難、評価もなく観察すること―――ただ観察することだけです」「正しく考えることは瞬間から瞬間への自己理解の運動です」「だから私たちは、私たちの思考が記憶の応答であり、その記憶は機械的なものであることをはっきりと理解しなければなりません」「従って、思考の自由というものはありません。しかし私たちは、思考のプロセスではない自由、その中で精神がそれがもつ葛藤のすべて、それに衝突するすべての影響力に明確に気づいているような自由を発見し始めることができるのです」

ある手続きをするために赴く。しかし、それが思った以上にかかり。気づけば二時間近くが経過している。手続きを取る、というだけで負担なのに、新たにその場で決めなければならないことも出てきて、頭の中はてんやわんや。途中でもう、ふらふらして来る。それに気づいたらいし娘が、私の背中を撫でに来る。撫でられて、気づく。これじゃぁいけない、しっかり気をもっていかないと。
娘は私のパニックに気づいていたのだろう。だから背中を撫でたのだろうと、その事が全部済んだ帰り道、思う。娘にそういう気遣いをさせてしまうところ、まだまだだなと思う。同時に、そういうことが分かっている娘がそばにいてくれること、本当に感謝する。
雨の中、ただひたすら歩く。粉のような雨とはいえ、徐々にGパンが濡れてゆく。ただ歩くのに飽きて、私は娘に提案する。公園に寄って行こうか。
公園はもちろん砂地だから、もう水溜りどころの騒ぎじゃなく。でもそれを見た途端、娘はきゃぁきゃぁはしゃぎ始める。ブーツを履いていた彼女は、遠慮なく水溜りにどぼんどぼんとはまってゆく。私もそれがしたいと思いつつ、穴の開いた靴を履いていることを思い出し、残念ながらやめておく。それができたらどんなに楽しいだろうにと思う。
公園の遊具はすべて、当然のことながら濡れており。砂場の中にあるライオンの置物も、パンダの置物も、みんな、しんと眠っているかのよう。考えてみれば、ライオンとパンダが並んで置いてあるという不思議。何ともいえない感じ。ブランコが、大きな雫を垂らしながらそこに佇んでいる。少し揺らすと、ばらばらと雨粒が落ちてきた。
そろそろ帰ろうか。もうブーツを泥だらけにした娘に声を掛ける。うん! 大きな返事が返ってきた。私たちは並んで、坂道をのぼり始める。

じゃぁね、それじゃぁね、ママ、勉強中に寝ちゃだめだよ! わかってるよぉ。
階段を駆け下り、やってきたバスに乗る。まだ暗い空の下、バスががたごとと走ってゆく。明日明後日の撮影の天候が気になる。晴れてくれないと、困る。
ただひたすら晴れてくれることを祈りながら歩く私の上で、空がぱっくり割れた。瞬く間に降りてくる光の洪水。あぁ雲の向こうはこんなにも光が溢れているのか。そのことを改めて思う。一瞬割れた雲は、またくっつき、流れてゆく。よし、今日一日は曇っていても、明日晴れてくれればそれでいい。私は空を見上げながら思う。
川を渡るところで立ち止まる。暗緑色の水を湛えて、朗々と流れる川。すべてを洗い流し、止まることなく、流れ続ける川。その姿に、憧れる。
さぁ今日も一日が始まる。私は重たい鞄を肩にかけ直し、再び歩き出す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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