見つめる日々

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2010年05月21日(金) 
何度も目が覚めた。じめっとした空気が重苦しく、その重圧で目が覚めるのだ。そうやって気づけば朝を迎えた。起き上がり、窓を開けると、うっすらと靄がかかっている。でも、この明るさは。靄がきらきら輝いて見えるほどに明るい。あぁ雨は上がったのだ、今日は晴れるのだ、そのことを思い、私は大きく伸びをする。
街路樹の緑もアスファルトも屋根も何もかもが、まだ濡れている。雨はついさっき止んだばかりなのだなと思う。葉にくっついている雨粒に、陽光が降り注ぎ、まるで透明のキャンディーを転がしたかのような有り様。あちこちで、小さな笑い声が響いているかのよう。軽やかな軽やかな、笑い声が。
見上げる空には雲ひとつなく。美しい水色がそこには広がっていた。靄もじきに消えてしまうだろう。そうして街景はくっきりと、浮かび上がるのだ。
しゃがみこんで、ミミエデンを見やる。若葉がぴんと張っている。その葉を指で小さく弾く。ちゃんと弾き返されてくるその勢いに、私はほっとする。ちゃんと生きてる。そのことにほっとする。
ベビーロマンティカの残りの蕾たち。今二つ残っている。これらも、今日晴れたらきっと、開いてくるんだろう。もう先が綻んで、ぽっくりとした形を見せている。帰ってきて開いていたら、切り花にしてやろうと私は心にメモをする。
マリリン・モンローの足元、色の変わった葉を幾つも摘んでゆく。指で触れただけで、ぽろりと落ちるほどそれは脆く。私は落とさぬように手にそれらを握りながら、ひとつも取りこぼしがないように摘んでゆく。ステレオから流しっぱなしの音は、ちょうどSecret GardenのElanに変わり。私はその音に耳を澄ましながら、摘み続ける。
ホワイトクリスマスは変わらずしんしんと、そこに在る。微かな風を受けながらも、びくともしないその姿に、私は安堵を覚える。我が家のホワイトクリスマスは、そんな、立派な樹でも何でもない。はっきりいって貧相といった方が合ってる。それでも溢れてくるこの存在感。気品を伴ったその存在感に、私は励まされる。
パスカリたちは、新芽を出してくるわけでもなく。このところずっと沈黙している。今この樹の中では何が起こっているのだろう。私はあれこれ想像する。彼女らが吸い上げる水は足りているだろうか、肥料は足りているだろうか。他に何か、足りないものはないだろうか。そんなことを考える。そしてふと思う。野に咲く薔薇は、なんであんなに力強く、凛としているのだろう、と。誰が水を与えてくれるわけでもなく、誰が肥料を与えてくれるわけでもなく。それでも咲いて、それは、周りを圧倒するような気配を漂わせており。ああした野に咲く薔薇が、本当は私は一番好きだ。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹の蕾。ほんのりと桃色に色づいて、そこに在る。私は今朝もそれを指で拭う。拭って病が治るわけではないことなんて、百も承知で、それでも拭う。せめて無事に咲いてくれますよう、祈るように。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。ラヴェンダーはとりあえず今朝は元気そうだ。ちゃんと背筋を伸ばして立っている。その立ち姿を眺めながら、私は何となく微笑む。よかった、これなら大丈夫そうだ。一時はどうなることかと思った。このまま枯れてなくなってしまうかもしれないとも思った。それがこうして甦ってくれた。私はありがとうと心の中ラヴェンダーに声を掛ける。たくさんの花を咲かせてくれなんて、そんな贅沢は言わない。生きていてくれればいい、そう思う。こうして風を感じ、陽射しを感じながら、生きていてくれればいい、と。
デージーはだいぶその姿がはっきり分かるようになり。目を凝らさずとも、今ならもう分かる。そこに在ることがちゃんと分かる。早いものはもう六つ目の葉を広げている。きれいに二つずつ葉を広げてゆくデージーたち。その規則正しいリズムは、一体何処から生まれてくるんだろう。不思議でならない。この子の親たちも、そうやって芽を出し、花を咲かせ、種をつけていったんだろう。だからここに今こうしてこの子たちが在る。螺旋状に描かれる遺伝子の図が、ふと脳裏に浮かぶ。そうやって受け継がれてゆくものたち。生命の不思議。
雨上がりの校庭を見やる。幾つも幾つも生まれている水溜り。子供らがつけたのだろう足跡に沿って水が溜まっていたりもする。昨日は授業参観だった。雨の中でかけると、掃除をしていた娘の友達が早速声を掛けてくれた。正直に言うと、私は親御さんだけでなく子供の顔と名前もはっきり覚えていない。覚えなくてはと思うのだが、覚え切れない。その子たちのうちで見分けられたのはたった一人。情けない母だといつも思う。どこかで会ってるよな、ということは分かるのだが、名前と顔がどうしても一致しないのだ。娘の話の中に幾つも名前が出てくる。その名前だけは覚えている。でも、顔が思い浮かばない。こんな子かな、あんな子なのかな、と想像はできても、それ以上ができない。そしてこの時期の子供の顔はどんどん変化する、その変化に私は、まったくついていっていない。
授業参観は、6月に行なわれる林間学校についての説明を子供たちがしてくれる、という内容のものだった。全員が必ず一度は発表できるように工夫されているのだろう、順番が回ってきた子供たちが、時に恥ずかしそうに、時に堂々と、発表を続けてゆく。この子たちの、一年生の頃を思えば、それはすごい成長なのだと思う。でも、残念ながら私には、この子たちが一年生、二年生だった頃の記憶がほとんど残っていない。
あの頃はまだ、病の具合が酷かった。授業参観も、十分そこに居られればいい方だった。娘はそのことを誰よりも先に察して、手で合図してくる。その手に押されるように、私は教室を出、家に逃げ戻るのだった。あの頃、もし娘が、ママが見てくれないと言って泣くような子供だったら、私はどうなっていただろう。きっと崩れていたに違いない。本当に、娘には感謝している。
私は子供の頃、子供は親を選べない、ということをよく嘆いた。もし選べていたのなら、こんな親の元に生まれてはこなかった、と、そう思っていた。親を選べないように仕組んだ神様を、心底憎んだ。でも。
娘を産んで、本当に親を選べないで生まれてくるのか、と時々疑問に思うことがある。娘は私を選んで生まれてきてくれたんじゃなかろうか、と。たとえばこの授業参観の話でも、もし娘が娘でなかったら、私はあの頃無事に過ごしてこれなかったろう、そう思うと、娘は私を選んで、仕方なくであっても選んで、私を生かすために生まれてきてくれたんじゃぁなかろうか、と。そう思えてしまうことが、ある。
娘の順番になり、娘が私の顔を見て、しまった、というように顔を歪めながら発表をしていく。そして、多分ど忘れしたのだろう。尻切れトンボになって発表は終わった。ばつが悪そうな顔をしてしゃがみこむ娘。私は、ばつが悪そうにしていることこそが気になった。そんなこと気にすることはない。失敗しようと何だろうと、やってみること、それがまずは大事。
授業が終わり、娘が駆け寄ってくる。ママ、帰らなかったの? うん、途中で何度か帰ろうと思ったんだけど、あなたが発表してからと思って。あぁ、私、後ろの方だったからね、順番。うん、だから結局最後まで居ることになっちゃった。もう帰る? うん、すぐ帰る。この後親が集まるんでしょ? それには出ない? うん、それには出ないで帰る。それがいいかもね、うん、分かった、じゃぁまた後でねー!
降り続く雨の中歩いていて思う。娘がもし私を選んで産まれてきてくれたのなら。私もあの親を選んで産まれて来たということだ。あの父、あの母を自ら選んで。以前の私なら、冗談じゃないと思っていたところなんだろうが、今はそうは思わない。選んで産まれてきたともまだ思い切れないが、でも、あの親だったから今の私が在る、とは、思う。そうでなければ、今の私はなかった。ありえなかった。
ふと思う。私はもう知っていたんだろうか、こうした人生を歩むことを。あの親を選んだ、その頃の私から見て今の私は、どんなふうに見えるだろう。ちゃんと納得できているんだろうか。
そうだと、いい。

「混乱や対立、恥ずかしさや憤慨を生み出すものはこの、げんにあるものや、あるがままの自分の回避です。あなたは私や誰かに、自分が何であるかを話す必要はありません。しかし、それがどういうものであれ、愉快なものであろうと不愉快なものであろうと、あるがままの自分に気づいていることは必要です。それと共に生き、それを正当化したり拒絶したりしないことが必要です。それと共に生きなさい、それに名前をつける〔=レッテルを貼る〕ことなく。というのも、その名前は非難か正当化だからです。それと共に生きなさい、恐怖を持つことなく。というのも、恐怖は交わりを妨げるからです」
「人生を比較することなく、あなた自身を他の人と心理的に比較することなく生きることは可能でしょうか?」「全く比較しない精神は、並外れて機能的になり、並外れて生き生きとします。なぜならそのときそれは、あるがままのものを見ているからです」

ねぇママ、何やってんの? 本のカバー、取ってるの。せっかく本屋さんがつけてくれたカバーなのに、なんで取るの? 読み終わったら取ることにしてるんだ。へぇ、そうなんだ、あ、それいいかも、私もそうしよう。でもさぁ、ママ、こんなに読んだの? そうだねぇ、もう古本屋さんに売っちゃった本もたくさんあるよ。それでもまだこんなにあるの?! まぁ、そういうことだね。私の趣味とは全然違うね、ママの本、私には全然わかんない。ははは、そりゃ、まだあなたの年頃でこんな本ばっかり読んでたら気持ち悪いよ。ばぁばも言ってたよ。何を? ママの読む本はよくわかんない、って。はっはっは、そうそう、ばぁばもじぃじも、そう言うね。ママの本って何が書いてあるの? うーん、心のこととか、美術のこととか、いろいろだなぁ。あなたは今、恋愛小説ばっかりでしょ? なんで知ってるの? だって、図書館から借りてくる本見れば分かるよ。ったくもー、人の本勝手に見ないでよ! いいじゃんいいじゃん、読めばいいよ。ママもそういう時期はあったさ。今はもう恋愛モノって読まないの? うーん、そういえば、全然読まないな。ママ! だからだよ! 何? ママが恋愛できないの、だからだよ! 何、何、突然。ママ、恋愛モノ、ちゃんと読みなさいっ、それで勉強しなさいっ! 何勉強するの、いまさら。今さらとか言わないでっ。そんなんだから恋できないんだよなー、ママの今度の誕生日の目標は、恋愛することだねっ! やだよ、そんなの! だめー、それに決まりー! やだやだやだっ!

娘と一緒に家を出る。娘は朝練で学校へ、私はバス停へ。じゃぁね、それじゃぁね、手を振って別れる。
娘の小さくなっていく姿を見送りながら、思う。もう大丈夫だな、と。昨日のあの虚しさは、小さく消えてなくなった。いや、あの砂地の端に埋めてしまった。自然、私の体からもその感覚は消えていった。
ふと携帯電話を握って、私は住所録を操る。消去してしまおう、と思った。すべての連絡先を消去してしまおう。もう、私にもあの子にも関わりのない人だ。私は、登録されていたすべての連絡先を、そうして消去した。
私たちは私たちの道を歩いていけばいい。過去に縛られることなく、しがみつくこともなく、歩いていけばいい。
埋立地の高層ビル群の後方から伸びてくる陽光は、まっすぐに辺りに降り注ぎ。雨上がりの街をきらきらと輝かせる。
やって来たバスに乗り、駅へ。美しく晴れ渡る空が、窓の外に広がっている。そうして駅に着き、私は歩き出す。
さぁ今日も一日が始まってゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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