見つめる日々

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2010年05月25日(火) 
起き上がり窓を開ける。辺りはまだ薄暗く。雨はようやく止んだようで。私が大きく伸びをしようとしたその時、東から真っ直ぐに陽光が射して来た。それはくっきりとした陰影を街景に生み出して。瞬く間に辺りは光の洪水になった。一瞬の出来事だった。激変するという言葉はこういうときに使うものなんじゃないかと思った。それまで薄暗い闇の中にあった街が、くっきりと浮かび上がった。あぁ、これが、朝の光だ。
濡れた街路樹もトタン屋根もみんな、きらきらと輝き始める。それまでうっすら残っていた煙のような湿り気も、瞬く間に薄れていった。すべてが朝の陽光に取り込まれて、瑞々しく生まれ変わるのだった。
私はしゃがみこみ、ミミエデンを見やる。ミミエデンの新芽の在り処を確かめる。ちゃんとそこに在る新芽。その姿に私はほっとする。
微かな風が流れている。その風に、ホワイトクリスマスが小さく揺れている。しんしんとそこに在る姿は雄々しく、たとえそれが小さな樹であっても確かにそこに在り。私を勇気付ける。
マリリン・モンローは新しい芽を根元から噴き出させようとしているところ。方向によっては途中で切ってやらなければならなくなるかもしれないが、今はただ見守っていることにする。紅い縁をともなった、瑞々しい芽がそこに在る。
ベビーロマンティカは少し疲れてきたようだ。当然だ、あれだけ続けて花を咲かせていたのだから。昨日液肥を継ぎ足してやったが、これで足りるだろうか。粒肥も継ぎ足してやったのが一週間前、しばらく様子を見ていようと思う。
挿し木を集めている小さなプランターの中。枯れてゆくもの、新たに芽を出すもの、それぞれに在る。葉は枯れても、枝は瑞々しくまだ残っているものもある。もうどれがどの種類だか、忘れてしまった。大きくなって、葉の様子がくっきりわかるようになって、あ、これか、と思い出すんだろう。それまでちゃんと育ってくれることを、今はただ祈るばかり。
パスカリたちはふたりとも新芽を湛え始めており。紅い縁取りのある芽が、それぞれ顔を出している。葉の裏を指で撫でてみる。粉のようなものはもうつかなくなった。農薬を撒いたのがよかったんだろうか。本当ならそんなもの、撒きたくはない。多少虫がつこうと、そのくらい、自然な成り行きだと思うからだ。でも、酷いときは仕方なく撒く。今回がそうだった。でも、撒いて逆効果の時もあるから気をつけなければいけない。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹。蕾はもうはっきりと桃色の具合がわかるほどになってきており。まん丸の蕾は、全身桃色で。私は今朝もそれを指で拭う。指に僅かに粉がつき。私はそれを土の上に落とさぬよう、気をつけながら払う。
窓際の水槽の中。ふと見ると、金魚が二匹とも、こちらに集まってきている。おなかが空いているんだろうか。昨日ちゃんと娘が餌をやったはずなのだけれども。私は指でちょんちょんと水槽を叩いてみる。大きな尾鰭を揺らして、金魚たちが指の方に集まってくる。私は蓋を開け、餌をひとつまみ、入れておくことにする。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。ラヴェンダーは二人とも元気に背を伸ばしている。こうした姿を見ることができるとほっとする。ついこの前までのあの姿は、本当にいたたまれなかった。いつこのまま立ち枯れてしまうかと、胸が痛かった。何が原因だったのかいまだにわからないが、こうして元気になってくれたのだもの、もうそれで十分。
デージーたちは小さな芽を次々広げており。六枚目、八枚目の葉を広げているものも在る。土の色の上に広がる小さな緑の粒。少し離れた場所からでも、もうずいぶんはっきりと緑の在り処がわかるようになった。細めの、三日月のような細い形の葉。ちょっと力を入れて触ったら、簡単に折れてしまいそうな儚さ。でも間違いなくここで、こうして生きている。
校庭には幾つもの水溜りが広がっており。大きなもの、小さなもの、混ぜこぜに、あちこちに散らばっている。あれらを飛び跳ねて回ったら楽しいだろうにな、と思う。昔、食パンを抱いた買い物の帰り道、そうやって水溜りにぼちゃん、ぼちゃんと入って飛び跳ねていたら、転んで食パンを泥水だらけにしてしまったことがあった。あれは怒られた。とんでもなく怒鳴られ、もう一度買いに行かされたっけ。あれ以来、私は、水溜りでそうやって遊ぶことができなくなった。とてもじゃないが怖くてできない。笑ってしまう思い出だ。
でも。土の上、砂の上の水溜りは、どうしてこんなに魅力的なんだろう。アスファルトにできる水溜りとは全然違う。生きた感じがする。その水溜りに足を乗せたなら、向こう側に行けそうな、そんな予感さえする。今日きっと、この校庭には大勢の子供らが集う。そうして、私が想像しているように、水溜りに入って遊ぶ子らもいるんだろう。ちょっと羨ましい。
ねぇママ、私ね、目標作った。何? 一万ページ、読むことにしたっ。何、一万ページって? 本だよ、本。へぇ、一万ページも読むの? 今ね、千七百と少し、読んでるんだよね。へぇ、そんなに読んだっけ? 今まで読んだ本で今数えられる本、全部数えた。ははは、そうなんだ。ねぇねぇ、ママの本棚で、私が読める本、ある? あるよ。いわむらかずおの「トリガ山のぼうけん」とか、あと森絵都の「カラフル」とか、それから、そうだな、湯本香樹実の「夏の庭」、「春のオルガン」、「ポプラの秋」、あと、梨木香歩もいいよ、ほら、「りかさん」とか読んだでしょう? あぁ、あれかぁ、読んだ読んだ。「裏庭」とか読んでみれば? え、文庫本でこんなにあるの? いいじゃん、読んでごらんよ。面白いよ。まぁ、ページ数は増えるなぁ。ははは、まぁどういう動機で読んでもいいけどさ。他には? 絵本とかもあるよ。酒井 駒子の絵本とか、ママ好きだから、いっぱい持ってる。あ、絵本じゃないけど、あさのあつこの「バッテリー」とかもあったと思うよ。出して来ようか? うーん、迷う。どれにしよう。ねぇ、ママ、「ぼくらの七日間戦争」って面白いの? 前に読んでごらんって言ったじゃない。忘れた? え、そうだっけ? そしたらあなた、今読みたくないって言ったんだよ。えー、そうだっけぇ、面白いの? そうだね、面白いよ、面白いから読んでごらんって言ったんだもん。そっかー。それうちにある? 今ない。でも、必ず図書館にもある本だよ。じゃ、そこで借りればいっか。そうだね、借りればいいね。でもさぁ。何? 私、文庫本って嫌いなんだよね。何で? なんか字が小さいし、絵もないから、つまんない。ははは、まぁ、そうかもしれないけど。でも、文庫本は持ち歩きに便利だよ。まぁねぇ、そうなんだけどねぇ。ねぇねぇ、他に何がある? あぁ、童話集ならいろいろある。何? 小川未明とか浜田広介とかアンデルセンとか。なんかよくわかんない。まぁ、言ってみれば昔話だね。そういうの、興味ある? うーん、あんまりない。恋愛小説がいい。恋愛小説っていっても、あなたの場合、少年少女の恋愛小説でしょ? 他に何があるの? 大人の恋愛小説ってのもあるよ。まぁ、ママはあんまり恋愛小説って読まないんだけどね。なんで読まないの? なんでだろ、一回読んだだけで十分ですってなっちゃうから、読みはしても、本は買わない、みたいな。そんなところがあるなぁ。へぇ、本なら何でも買うのかと思ってた。いやいや、一度読んだだけで終わりの本は、あんまり買わない。じゃ、ママの本棚は、みんな、繰り返し読んでるの? そうだね、たいてい繰り返し読んでる。一度だけで終わるっていうのは、基本的に、ない。へぇぇぇぇ。変なの。本って一回読めばそれで終わりじゃないの? えー、そんなことないよぉ、何度だって繰り返し、その時その時読みたくなる本っていうのがあるんだよ。あなただって、あばれはっちゃくとか若草物語とか何度も読んでたじゃない。そういえばそうか。ふーん、そういうもんかぁ。そういうもんだよぉ。読む時読む時で、感じるところが違ったりするしね。本は長生きするんだよ。長生き? あなたの本棚には、ママが小さい頃読んだ本とかが残っていたりするでしょう? それをあなたも読んでいたりするでしょう? だからね、本は、大切にさえすれば、いつまでも残っていくものなんだよ。ふーん。ママは、それがたまらなく魅力的に思えて、だから、本の仕事に関わろうと思ったんだ。そうなの? うん。私さぁ、最近先生になろうかと思ったんだけど、やめたの。なんで? 男じゃないから。え、男じゃないと先生だめなの? だって、女でいい先生っていないんだもん。「ヤンキー母校に帰る」みたいな、ああいう先生にはなりたいと思うけど。わはははは、そうなんだ。ねぇ、なんで私のこと女に産んだの? それは、あなたが女に産まれてきたからだよ。ママはあなたが産まれてくるそのまんまに産んだんだよ。ちぇっちぇっちぇっ。まぁいいやっ。ははははは。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。この季節になっても、私は基本、あたたかい飲み物を飲む。冷たいものは正直苦手だ。よほど暑くてたまらないという具合でない限り、あたたかいものを飲みたい。
開け放した窓の外には明るい空が広がっており。とりあえず朝の仕事に取り掛かろう。私は椅子に掛け直し、煙草の火を消して、机に向かう。

ママ、よく見るとさ、ミルクもココアも、ふたりとも足の指の数が足りないんだよね。あら、ココアだけじゃなくてミルクもなの? うん、ほら。あらまぁ、ほんとだ。ゴロはちゃんとあるんだけどね。ふーん、ま、いいじゃない。大丈夫だよ。ってか、うちにもらわれてきてよかったよね、この子たち。どうして? だって、もしかしたらいじめられてたかもしれないじゃん、足がないって言って。えー、そんなことでいじめるの? 普通いじめない? いじめるのかなぁ、うーん、そうなのかなぁ。普通はいじめるんだよ、うん。そうなんだ。でもさ、うちにいれば、一本足の指がなくても、どうってことないじゃん。うん、別にどうってことない。そうなんだーって感じ。だからね、うちにもらわれてきてよかったんだよ。ふーん。よかったねぇ、ミルク、ココア、よしよし。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。荷物を背負って私は階段を駆け下りる。自転車に乗るのは久しぶりだ。よかった、今日晴れて。
勢いよく漕ぎ出して坂道を駆け下りる。目の前を車が走っているのだが、どうにもこうにもゆっくり過ぎて、私は追い抜かして走り出す。
公園の緑はどんどんその茂みを濃くしており。今、茂みの向こうで朝陽が弾けているのだろう、緑の向こう、燦々と降り注ぐ陽光の気配がしている。池の縁に立って、池を見やる。千鳥が二羽、向こう岸を歩いている。何かを探しているんだろうか。時折土を突付きながら、ぴょこぴょこと歩く。
私は彼らを驚かさぬよう、静かに歩いて再び自転車に跨る。大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。一番に出迎えてくれる銀杏並木も、朝の陽光の陰になって、黒々とそそり立っている。緑がひしめき合っているのが、ここからでも分かる。
そのまま真っ直ぐ走り、美術館の脇、モミジフウの樹のところで止まる。見上げるほど高いモミジフウの樹。高く高く伸びて、若葉を湛えた彼の姿は堂々とした威風を放っており。私は小さく挨拶して、また走り出す。

さぁ今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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