見つめる日々

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2010年05月26日(水) 
起き上がり、窓を開ける。蒸してる。何よりも先にそう感じた。いつ雨が落ちてきてもおかしくないくらいの雲が広がっている。天気予報は何と言っていたっけ。思い出せない。それよりも何よりも。気になることがある。私は再び部屋に戻り、玄関を開ける。ラヴェンダーのプランターを見やる。昨日、とうとう一本のラヴェンダーの枝が抜けた。ふとひっぱったら見事に抜け落ちた。根は一本もなく。つまり、このプランターの中にはあの幼虫がいるということで。根を食われたのだ、全部、見事に。ここまで伸びた枝をそのまま棄てるなんてできない。そう思って、三分割にしてそれぞれを再び挿してみることにした。その苗がどうなっているか、気になって気になって仕方がなかったのだ。
見れば、あれほど萎れていた葉が、ぴんと元に戻っている。水を吸い上げ始めたのかもしれない。一瞬ほっとする。でも。
このプランターの中の土は、もう駄目かもしれない。そもそも、この場所に置いておいたのがいけなかったのかもしれない。ここには虫たちがたくさん飛んでくる。去年アメリカンブルーの根を食われた時、全部を退治したつもりだった。でも、残っていたのだ。どこかに。
今、デージーが育ち始めたばかり。すべてをひっくり返してしらみつぶしに調べるわけにもいかない。でも、このままじゃ、全部が駄目になる。どうしよう。
いつになったら植え替えが可能になるだろう、デージーは。今はまだ無理だ、芽がでてようやく本葉を広げ始めたところ。もうちょっと、せめてもうちょっと伸びてこなければ、無理だ。
もう一本のラヴェンダーの苗をひっぱってみる。こちらはちゃんと根が張っているらしく、びくともしない。でも。それも時間の問題かもしれない。いずれは食べられてしまうに違いない。このままにしておけば、そういうことに、いずれ、なる。
どうしよう。でも、もう少しだけでも待たなければ。デージーを駄目にするわけにはいかない。せめて植え替えが可能になってからでないと。それまで、何とか耐えてくれないか。私は縋るように祈る。
ベランダから見た空は暗かったけれども、こちらの空はぐんと明るい。雲ってはいるが、朝の陽光の気配があちこちに見られる。私はその陽光を浴びながら、ただただ、ラヴェンダーのプランターを見つめている。
事件から十年、二十年が経とうとしても、その傷はやはり、突然に口を開けるもので。そう、それは唐突にやってくる。他人から見ればそれは、些細なきっかけに過ぎなくても。本人にとってそれは、とてつもない深遠に落下したかのような、そんな具合で。ようやく加害者たちのことを記憶の片隅に追いやることができたというのに、それを髣髴させるようなものが突如現れる。そうなると、もう駄目なんだ。それまで懸命にバランスをとって、綱渡りをしていた、その足が、綱を見事に踏み外す。それまで培ってきたものすべてが、ものの見事に崩れてしまう。
ここまで必死にやってきたのに。どれほど必死にここまでを積み上げてきたか知れないのに。なのにどうして、どうして今更。そう思っても、現実は容赦ない。容赦なくやって来る。
そしてまた、元の木阿弥。その、繰り返し。
だから絶望して、途方に暮れて、もうすべてを終わりにしたくなるのだ。
これほど頑張っても駄目なら、じゃぁ私にどうしろというのか。これほど踏ん張ってやってきてもそれでもまた駄目だというなら、じゃぁ一体何をすれば私は赦されるのか、解放されるのか。そんなこと誰に問うてみたって、答えは、ない。
それでも問わずにはいられなくなる。そういうときが、在る。いや、問うことにさえ疲れて、疲れ果てて、もう何も言うことも聴くこともなくなって、ただもう、自分を消去することしか見えなくなる、そういうときが、在る。
友よ。それでも。それでも、私はあなたに、生きてほしいと思う。それがどれほど残酷なことであるのかを承知の上で、それでも私は、あなたに生きていてほしいと、そう思う。
私たちの病気は厄介で、他人から見ればどうでもいいようなところで躓く。たとえば加害者と似た人が在た、加害者に関連する何かがそこに在った、加害者を彷彿とさせるものがそこに在った、もうそれだけで、私たちの日常は崩壊する。いとも簡単に、崩壊する。身動きひとつままならなくなって、声も出なくなって、食事なんてとてもとれなくなって、眠りなんてものだって遠のいていって。世界は一気に色を失い、バランスを崩し、まるで何千何万ピースのジグソーパズルを床にばらまいたみたいに、何もかもが木っ端微塵になる。
それを再び組み上げることが、どれほど大変な作業であることか。
一体それを何度繰り返せば、私たちは解放されるのか。
一体、死ぬまでに私たちは解放されることがあり得るのか。
きっとそれらに、答えなんか、ない。
答えなんかどこにもないから、だからこそ、私たちは生きて、生きていかなきゃならない。生きて、自ら答えを手にしなければならない。
答えをつかめるのは、自分自身、だけ、だから。
死んだら終わりだ。それで終わりだ。私たちが生きた証も何も、そこで失われる。いや、自らの手でそれを、葬り去ることになる。
それだけは多分、しちゃならないことなんだ。もうそれは、理屈なんて抜きに。
生きよう、生きていこう。これから先だって、何度こういうことが起こるか知れない。何度こういう目に遭うか知れない。それでも。
生きることを自らの手で葬っては、ならない。

ねぇママ、MYちゃん、大丈夫かな。大丈夫だよ、きっと。どうしてそう思うの? 大丈夫じゃなければ、ママは困るから。なんで困るの? MYちゃんに関する記憶、ママにははっきり残ってるから。だからMYが死んでも、MYはママの中に生き残ってしまう。生き残っちゃうと困るの? 重いよ、とても。人の生を抱えるのは、とても重いんだよ。そのことを、MYはきっとちゃんと分かってる。だから、そんな無責任なことは、彼女は、しない。ママはそう信じてる。そっか。ねぇこういうときって、友達って何ができるの? そうだね、信じて待つことくらいかな。それしかできないの? じゃぁあなたは他に何ができると思う? たとえば駆けつけて止めるとか、慰めるとか? こんなとき、誰に慰められても嬉しくないとママは思うけど。あなたはどう? うーん、ちょっとうざったいかもしれない。駆けつけて止めようと思っても間に合わないときもあるでしょう? そういうときはどうする? …そっか。そうだよね、間に合わないときの方が、きっと多いよね。じゃぁやっぱり、何もできないんだ。いや、何もできないんじゃない、信じて待つんだよ。待つのか、待つって、いやじゃない? どうして? ただ待つって、しんどくない? そうだね、それはしんどいかもしれない。でも、自分に唯一できることがそれなら、ママはそうしたいと思うんだよ。ママ、もしもだよ、私が死のうとしたらどうする? ん? あなたが死のうとしたら? うん、どうする? びんたして、抱きしめて、一緒に居るよ。えー、さっき言ったのと違うじゃん! それはね、あなたは私の娘だからだよ。ふーん…。私、MYちゃんのこと、待ってることにする。元気になるの、信じて待ってる。そうだね、また遊べるときが来るよ。きっとね。

お湯を沸かしに台所に立つ。するとゴロが、家から出てきて、後ろ足で立ち、こちらを見上げている。その目がうるうるしていて、あまりにかわいくて、私は思わず手を差し伸べる。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロはいつでも、手に乗せるとそこから全然動こうとしない。手のひらの上、ぴくぴく動いてじっとしている。動いたとしても、私の指先にちょっと鼻をつけるくらいだ。走り回るミルクや、よじ登ってくるココアとは全く違う動きをする。ひとしきり背中を撫でてやって、私は彼女を籠に戻す。
体温がある、小さかろうと何だろうとそばに体温がある、というのは、それだけで人を慰める。やわらかい気持ちにさせる。あぁ生きているのだなぁと実感できる。
今彼女のそばに、そういった体温はあるだろうか。あるといい。あってほしい。

朝練のために早起きした娘のそばで、私は弁当を作り始める。茹でておいたブロッコリーに、シュウマイ、プチトマト、それから玉子焼きを入れ、あとはしそ昆布を混ぜたおにぎりを添えてできあがり。あぁ簡単すぎるお弁当だ。ちょっと申し訳なくなるが、まぁいいとしよう。
ママ、この花、もう少しで咲くの? ベランダに出ていた娘の声が響く。行ってみると、娘は桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹の前に座り込んでいる。そうだね、もう少しで咲くといいんだけれども。病気なの? うん、病気なの、だから無事に咲くかどうかは、ちょっと分からない。そっかぁ、咲くといいなぁ。そうだねぇ。
ホワイトクリスマスからも、新芽が出てきた。マリリン・モンローやパスカリからもそれぞれ新芽が顔を出し始めている。みんな無事に芽吹いてくれればいい。そうして陽射しをいっぱいに浴びて、精一杯生きてほしい。

じゃぁね、それじゃぁね、手を振って別れる。娘は学校へ、私はバス停へ。
徐々に徐々に空の雲が濃くなってきている。そういえば、持って出ようと思っていて、傘を忘れていた。でも今更遅い。バスがちょうどやって来た。
バスに乗りながら、生きること、死ぬこと、それぞれに思いを馳せる。答えなんてどこにもない、そんな事柄をあれこれ思いめぐらしていると、あっという間に駅に着く。
海と川とが繋がる場所で私は立ち止まる。灰色の空の色を映しているかのように、水の色は暗く沈んでいる。誰もいない。鳥たちの姿はどこへ行ったのだろう。
その時、海の方から鴎が一羽、飛来する。ゆっくりゆっくりと風に体を乗せ、旋回している。そうして再び、海の方へと、姿を消してゆく。
さぁ、今日も一日が始まる。私は、続く道を、さらに歩き始める。


遠藤みちる HOMEMAIL

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