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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年08月06日(水)
曇り硝子のステンドグラス。


最近取り沙汰されている新型鬱病を、仕事をしている時は鬱でプライベートは普通という代物らしいですが、詳しくはどっか探して下さい。
あからさまな怠惰だの世間が認識を始めたからの甘えだの言うけれど、正直自分もそう思わざるを得ないが、結局のところ痛み辛みは今その時本人だけのものであり経験者でも身近で世話しても正確には把握する事の叶わない、タイプにサイクルにと、同一なんて二度とない。
だから本人が本気で苦しんでいるのを(親しみを込めてではなく)(親しければなんでもいい訳でもないが)(そしたらもうなんも出来んくなるけぇね)笑うのはお門違いだし、なんやかや存在する理由を頼りにノイローゼを乗り越えられないままじゃ人生生きていけない。
ただ、鬱と鬱病とは厳密には違うのでは。くらいは思う。
つまり塞ぎ込む事を鬱ともいうし、余程の天職他プラスアルファでもなけりゃお仕事だひゃっほう! ってこたぁないじゃないですか。
他の何でもそうなよう、鬱病にも軽度重度あるけど、誰かの症状に比べ軽いからって軽んじられるべきでもないし、何も知らないくせにと病気である事を誇るのも違うと思う。
偉そうにしていいのは苦しみながらも奮闘したり、克服した人で、さりとてその努力を本人だけが過剰に認めるのも他人が過少評価するのもおかしかろう。
なんかもう面倒臭いからみんな自分も他人も評価するのやめっちまえよ。そうしたら、互いへの興味と博愛の精神と共に、理解出来ないされないという煩わしさもまた無くなるのだから。
余談だが、新型という看板は如何かと思う。これまでも時代の流れにより数多名前の変遷、移り変わりが訪れるのは万物に等しく、分類上鬱病と呼び出したその新型が嘗てはなんて呼ばれたかなんて知らないけれど、山羊とアハンでもしてなら兎も角、さもなくば対抗しようとして敵に無闇に塩を送るいたちごっことかならば兎も角、世に広まる時点で病気だってウイルスだって新型なんてないもんさ。本当に新型の時は異質にして異常とされ隠蔽と隠滅の憂き目に遭う、そうだろ?
自己判断で心身が訴える不調を蔑ろにするのも如何なものだが、例えば一部の花粉症患者がやたらとそうなのよなってしまったのよって妙に鼻に掛けるようにするのも、それはそれでどうなんだと。


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