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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年10月07日(火)
ほらまだ君が、そこにいる。


人が何かをすると言うのは、それは凄く、大変な事なのだと思う。
……なんだか最近こんなノリばっかですが。生きている限り常に刺激という名の新発見を求め、そして大抵の新事実は日常から生まれ出づるものと捉えると、こうして周囲を見直すのが一番充実させる方法のような、いやそういう話をしたいんじゃなかった。

至極甘えた話で申し訳ないのだけれど、自分が何かをした時、それがやって当然だと、当たり前だと、されるのは、すこぶるいやだ。褒めて欲しいとまで素直ではないけれど、何かをしたのだと気がついて欲しい。
飛躍すれば、エヴァに乗る気持ちとも同調出来る。シンジは父さんに褒められたいから乗っているのだから。アスカは自分を褒めてあげたくて乗っているのだから。
周囲も、チルドレンしかやれる人がいないからという状況からチルドレンがやって然るべきとなってくる、その意味合いは今自分が言っている事とは違うやも知れないが所謂慣性としてはそういうものだ。
なんだ、微妙な例え過ぎましたね。そもそも例えのコーナーが多過ぎですね。大して面白くも似通ってもいないくせに。そうした予防線を張らないと軽薄なお喋りすらままならないのか? いやいやその辺の談義は措いといて。

もう少し現実的にすると、家事とか。炊事洗濯掃除他、やっている人はやって当然と思われたら、何故自分だけがと腹が立ってこないだろうか。そしてやって貰っている人は、そういう仕事だろ、みたいに思っていないだろうか。
それこそほら、専業主婦ならやって当たり前と言われてみたり(ちょっと前時代的過ぎる気もしますが)、働いていない乃至稼ぎが悪い方が共同生活をしているならばもう一方の為に尽くす、或いは届かない分を家事で埋めろ、というような。
いやいやでもなぁなぁでも生活の為仕方が無くでも、やろうと思える誰かがいるだけましなんですけどね。

やって貰ってる、って気持ちが凄く大事で、手に取る雑誌の編集者にまで逐一感謝しろとは言わないけれど、何かをして貰って嬉しかった時のみならず、そうだと気がつかなかった時の方が得てして、誰かの助けを貰っているもので。
それと同時に、やらせて貰ってるってのも持たないといけない。傲慢にならない為、それから先の、なんで自分だけというのを回避する為にも。己が困るからやっているだけだって事でもその恩恵に誰かが預かっているだけでもいい、同じように自分も、誰かに世話して貰っていたりそうでなくともそのお零れに預かっている事のなんと多い事か。
矢張りこの世は等価交換、ギブアンドテイク、が基本って事なんだろうか。何事にも必ず対価が発生していて、喜びへのお礼のみならず、無礼への利息もあって、愛して欲しいなら先ず自ら愛せ、そういう、ものかな。
そういう、もんだよな。


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