2002年06月14日(金)
3時に起きて日本代表の試合を見た。 あんなに喜んだ自分がちょっと信じられない。 思わず泣けそうだった。 何がそんなに感動させるのかね。 やっぱり、世界に対して果敢に挑戦する姿勢か。くさい。 そこに自分をたぶらせているのか。もっとくさい。 いずれにせよ、ドラマがある。 もっと書きたいけど、これはどうしたって僕の技量では書ききれない。 よって、ここまで。
昨夜は夜に仮眠をする予定が芝居を観に行って遅くなった。 この芝居がとてもユニークなもの。 何と劇作家の自宅の台所で上演される。 しかも、本人が演じるのは自分自身。 そして、タイトルは最後の晩餐。 その名のとおり終演後には15人の観客全員に夕食が振舞われた。 劇中劇の形で語り手である作者は虚構を出たり入ったり、 そして、様々な形でどこまでが本当でどこからが嘘なのかを 挑戦する。 とにかく、ここでは全ては説明できないけれど とても楽しい一夜だった。
終演後は約束どおり全員で夕食を食べた。 最後の晩餐さながら大きなテーブルを全員で囲み、 赤ワインを飲み、パンを食べ、シチューすすった。そして、観客同士 での会話、作者との会話といろいろ楽しめた。
その中の会話でアヴァンガートはもう存在しないのか? と言う会話があった。僕の友人は最近は全然見かけないといっていた。 僕は既に死んでいると思う。アヴァンガートと言う名前を与えた時点で それはシステムの中に取り込まれているんじゃないかと思う。 そうすることで多くの人が安心するから。 だから、いわゆるアヴァンガートは死んでいる。 でも、それを現実の枠組み、境界線を揺らすと定義するなら、 優れて芸術作品はその核ではすべてアヴァンガートじゃないかと 僕は思う。ただ、それはレーベルされるべきものじゃない。
これだけ読んでも何のことやらといった感じだけど、 まあ、そんなことを考えたわけです。 もし、何か感想がある人は是非メールください。 なんだか急に終わりのない議論がしたくなりました。
余り寝てないから、今晩は体がきつそうだ。
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