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嫌いな食べ物「キュウリ」


2002年01月09日(水) 1月9日23時36分

 暇なので(否彼女がうちに泊まりに来ているが)取り合えず私の生涯とか書いてみようかしら。本当につまらない人生だけれども。
 私は別段、凄い人生を送ったわけでもないし、凄い何かがあったわけでもありません。

 境遇はというと、東京都渋谷区のマンションで、東大理系率のエリートサラリーマンと順天堂台教育学部卒の元小学校教師、やがてストレートの国立医学部に入学し、ストレートで医者になる七歳離れた姉の中に生まれました。この、私を抜かした三人というのは昔に仏蘭西に定住していたことがあり、言葉は日本語であっても風習は妙に仏蘭西染みて居たり、はたまた異常な程に古典的日本文化的であったりしている。夜寝るときには全員の両頬にキスを御互いして、お休み、と微笑みかけるのが習慣であった家庭でした。然し怒られるときは土下座をしないと許してもらえません。(笑)

 私はそういった不思議な風習のある家庭の中で、姉の弾く、美しくない、上手くないクラシック・ピアノを聞いて育ち、二歳からは自ら進んでクラシック・ピアノに触れるようになります。これは今でももう、17年間続いているのですが、私の性格上理論的なことや名称は全く覚えようとせず、つまり「感覚のみで」ピアノを弾いている現在に至っているわけです。よって私に短調が如何のこうの、といった話をしても全く理解出来ませんので悪しからず。

 とまあ余談が過ぎましたが、この家庭、というのは小学校までは自由奔放に育つことが出来、然しながら中学校に入ると同時に猛勉強をして学年一位は当たり前、というようなものでした。私もこれに沿って中学校三年までは生きていました。実際模試で100点など何度も取ったものです。嗚呼これは少し自慢話として。(笑)

 私はこの中学校時代で、学校伴奏者、委員長、優秀生徒、そしてフェミニストという名を欲しい侭にし、他からの憧れもあったでしょう。そして何より重要なのが、この時から私の精神は思春期特有の表に出ない苦悩に気付く、というところなのです。
 私は学校や、自分の部屋から一歩出た自分を、影で「ロボット」と称し、人と接するときにすぐさま計算をし、「嗚呼、この人にはこういう喋り方でこういう笑い方で、こういう場所を触ってやると喜ぶ」と、計算から算出した結果を行動したものでした。
 そこに目を付けたのか、匂いを嗅ぎ付けたのが「美学」でも紹介した里美である。彼女は生まれ持った天才的頭脳(IQは200近かった)を、全て精神分野に費やしているような可愛らしい子でした。私は彼女のそういった、完璧過ぎる弱さや、脆く乱れる姿や、取り乱す行動を美しいと認識し、愛していたし、彼女は私の社会的な地位と、社会に見合う能力と、相反する闇に蠢く精神苦悩を愛していたのでしょう。
 私たちは中学生ながらに「愛」という言葉を口にし、そして多分…擬似恋愛のような状態ではあった。(私には彼氏と呼べる恋人が居たが。)
 彼女は私との(物理的)別れへの恐れを期に、命を立つことを何度も繰り返し、其の一週間前には必ず私に連絡をして来た。「私来週の何曜日に○○という方法で死ぬよ」といったようなものだったが、私は何時も「嗚呼、そう、判った、貴方が先に逝ってしまうのは哀しいけれども、逝きたいのなら逝けば良い。別に止めはしない、立派に死んでね」と答えていた。
 結果的には…美学に載っている文章の想像力を無くしてしまうと困るので結果は書きませんが、兎に角、思春期と彼女との触れ合い、という可也必然のような偶然によって私の精神分野は構築されたと思われる。

 因みに中学2年次に、三島由紀夫氏の金閣寺を読み、私の望む「美」というものの抽象的な何かが判ったのもこの頃である。

 私は通っていた中学校で、多分初めて某有名進学女子校に行った生徒でしょう。高校生の私は、もう中学生のときのように勉学に励むこともせず、だからと言って遊んだりすることもせず、一人で江戸川の土手で五時間目まで時間を潰したりするような生徒でした。学校では苛めがあったわけでもなく、寧ろ私のようなものは苛めにあっても可笑しくないと思っていたが…私は周りに恵まれたのか、何時も暖かく見守られ、理解し様とされ、甘やかされたと言える。因って私は、高校時代は特に精神が不安定だったというわけでもなく、唯、自分がバイ・セクシュアルだと気付いた一つの区切りの時期でもあった。

 全く勉強してないのにも関わらず、何故か最後に適当に受けた大学の芸術学部(クラシック・ピアノではない。誘いはあったが音楽系統は断ったので)の推薦に合格し、入学するのだが、其処で、無意識にでも私の精神を束縛し、締め付け、支配するような(私が思うに)選民思想の女性と仲良くなる。
 彼女は常に上を目指し、食って掛かるような勇猛なタイプで、そして自分の能力を信じている人だった。私は彼女のそう言ったところを愛していたし…常に精神支配をされていた。私は彼女の前に出ると、これから起す自分の行動一つ一つに心でチェックを入れ、彼女の怒りに触らないか、を検査していたように思う。

 今となっては彼女と私の間に鎖があったが、何故其れが繋がってしまったのかは全く判らないし、理解出来ないし、もう理解し様とは思わない。
 私はあるときある人に、「其れは恋愛依存症だ」と言われ、自ら直すように、関係を改善するように行動し始めた。其の途端に、何かを彼女が感じたのか、ぷつんと連絡は途切れ、喋らなくなり、目を合わせなくなった。私は其れを、良い結果だと認識している。
 未だに彼女の着ていたような服、履いていたような靴、を見ると寒気がし、恐怖の念が出るが、其れは教育されたジルベール(風と木の歌より)に近い。精神の教育やインプリンティングとは恐ろしいものである。

 そうして今に至るわけだが、こうして書いてみると全く変哲もなく、時というものは過ぎているのだと判る。
 私は運命決定論者である。

 運命決定論とは良く言ったものだ。間違っては居ないと認識する。


 其れでは。


さくま