嫌いな食べ物「キュウリ」
最近無闇矢鱈に文章学の授業が楽しみで仕方ない。似たような授業は結構幾らでもあって、色彩学とか心理学とか日本美術史とか、というか授業なんてどれもこれも似たようなものなんだけれども。
文章学の授業なんて全て教授の話であって、機嫌が悪くなると途中で帰ってしまうような教授なのだけれども、彼の話というのがとてつもなく面白い。嗚呼、この人は言葉の造り方や成り立ちというものを知っているのだと思わせる。
彼の言っていることは非常に一般的なのだけれども、一般のアンダー・グラウンド、とでも言うべきか、何処か何か、知れぬものが違っていて、教室でワハハと笑うことが得意でない私は一人で常に笑顔だったりする。(怖
文章学を徹底的に学ぶつもりはさらさら無いけれども、彼のように上手く言葉を使い分けて他人と思いのままのコミュニケィションを取れるのは非常に憧れる。
私の頭の中の語録というのは実は非常に少なくて、愛している人には愛している、と、必要な人には必要だ、と。そして帰って欲しくない人には帰るの?と。嗚呼何て小学生染みた言葉の連なり。
一生懸命喋ろうとすると、私の言葉には如何やら漢語が多く含まれるらしく、何を言っているのか今一理解出来ない、易しく説明してくれ、と言われる。
「刹那な〜」と言ったところで曖昧なのだろうから、「極僅かな瞬間に行われる〜」と言ったりもするが矢張り判らないと言われる。
「刹那な〜」と言った方が判りやすいのか?
そんな疑問が多数発生、可也昔から。如何したものやら。(悩
さくま