嫌いな食べ物「キュウリ」
何が、嫌だという訳では無い。何が、腹が立つ訳でも無い。何が、今の私に焦燥感を与えて、何時もなら興味のある人が如何でも良いと思えている訳では無い。
理由等何も無いの。
今の私は、取り込んでも居ないのにMSNを取り込み中にして人が喋り掛けないようにしている。今の私は、どの人の言葉も聞き入れない。面倒臭いとしか言い様が無い。
そう、私はこういう風に時折「自分は世界から切り離された孤独な人間だ」と自分勝手に被害妄想を組み立てるのが好きなだけだ、其れを知っている。
何が問題な訳では無い。全てが問題なのかも知れない。私は其れを何も知らずに、一方で全て知っている。私の傲慢さや、奔放さや、身勝手さや、孤独や、幸せな、或いは不幸な全てのことを。人々の単純さや、複雑、行動の意図や、其れに伴う報酬や、汚らしい行為の全てのことを。
けれど其れが問題なのでは無い。何が問題なのか判らず、唯単純に私はこの理解不能な、行き着く先を知らない、そして何れ其れを幻のように消え去ってしまう其の瞬間がある、ということだけを知っているのです。
其の、瞬間を求めているのかも知れないし、いないのかも知れない。
何も、判らなくて戸惑うことがある。今の状態が正に其れだ。
誰かと喋ったら、冷静な頭で喜ばす最善の言葉を贈ってしまうかも知れない。誰かと喋ったら、悶えるようなこの気持ちを冷徹な言葉に変えて贈ってしまうかも知れない。
物があり過ぎるのかも知れない。
無さ過ぎるのかも知れない。
何が判らないのか、其れが一番判らない。
さくま