なぜだか非常に日常的な生活を送り始めた。日常であるから日常なのだけれども。肋骨の中身がよく疼くようになった、わけもわからず。遊びに行くことも出来る。本を買うことも読むことも。非常に普通だ。この日記を再開したのも一つの日常のうちだ。きっと帰ってきたのだ。煙のようなものが、全く関係の無いところから突然、肋骨の上から二番目あたりにぼわりと上って消えるようになった。それが何だか、私はきっと知っているが、そこを処理することは非常に難しい。共存していくのか。マルボロのパッケージを見ると出てくる涙だとか、無駄に煙を捕まえようと動いてしまう指先だとか、そういうものと共存していくのか。肋骨を二つ、取る手術をしたらどうだろうか。コルセットやビスチェを着るのには丁度良いのかも知れない。……記憶と知識がときおり、胸の煙から血管を行過ぎて脳内に入り込むようになった。記憶と知識は、過去から生み出されるのかと思うと、私の肋骨は一体何を覚えてきたのだろうかと思う。非常に普通だ。何もかもが日常的すぎて、私の口癖が一つ増えた。ただ、これを日常的と私そのものが捉えるには少々合わないらしい。海馬が妙なことを処理しはじめた。林檎やら、東京やら、宝石箱やら、棚やら、ジュディ・アンド・マリーやら、牛角やらを。それぞれをファイル付けして、本棚に戻してしまう作業が酷く寂しい。そのうちに、一つ戻るたび、私は一つ涙をこらえるのに、また一つ戻すたび、一つ、本棚から落ちていくのだ。たまらない。追いかけてくる何かから逃れるために走るけれど、いつも息切れしてつかまってしまう。どう逃げたら逃げ切れるのかさっぱりわからない。こまった……道順がよくわからない。こんなときに、神保町の駅などを思い出すけれども、付随してやってくる煙がたまらなくつらい。息切れして、死ねといわれているみたいだ。喉に穴があいてるんじゃぁなかろうか。ヒュゥヒュゥ音がしないわけでもなさそうだ。ああ
さくま
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