キ ミ に 傘 を 貸 そ う 。
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少女と大人の男の声に怯えていた。 10年前くらいだろうか。
子供の頃は色々なことが不安定で、不安で。 何が大丈夫で何が危険なのか、よく分からなかった。 小さい心で悩むには大きすぎた。
土曜日の夜は、決まって祖母の家に泊まった。 家に居ることが怖かった。 「シアワセ」と「フコウ」について私は様々な事を吸収し自分の中で変化させ続けた。
夜は怖かった。 眠れない日が続いた。 小学校に行くと、自分の周りの人は誰もが幸せそうに”見えた。” でもただ見えているものだけが全てだとは言えないことに私は気付いた。 私も笑っていたから。何も言えなかったから。 誰にも言えなかったから。
ある夜また(私の中では大きな)事件が起こった。 寝ているフリをしていた私はベットから這い上がり、自分の部屋のドアを開け、階段を駆け下り1階の玄関のドアを開けた。
裸足で走っていたかもしれない。 明かりのある国道まで走った。 多分祖母の家に向かおうとしていた。 もしくはそこで朝を待とうかと思った。 母が追いかけてきた。
臆病に暮らす日々は3年程続いた。 「今我慢すれば、いつかちゃんとシアワセはやってくる。」 確信を持って私はそれを待っていたのだ。 その頃私は私を不幸だと思っていた。 周りの友達が「あたし全然幸せじゃないもん」と言っているのに嫌気がさした。私の不幸を知らないくせに、と思っていた。
今考えると 「そんなに深刻な問題ではなかったのではないか」 と思うけれど あの頃私はあの体で心で闘っていた。 私は幸せを知った。何が自分の中で幸せなのか知った。 幸せの定義なんて、生きているうちしょっちゅう変わるものだ。 でもその頃の幸せのイメージをずっと持ってたいと思った。
幼い頃の私が不幸だったなんて思わない。 ただ苦しかっただけだ。
私は昔だっていつだってそして今でも 今定義された幸せの中で生きているから。
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