日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2002年04月17日(水) SCANTY LEFT TIME

うあー、長いこと日記書いてなかった。
なかなか書く余裕も無かったし、何より疲れてたからなぁ。
まだまだ半年先だと思ってたけど、思うより随分と受験は差し迫っている。
取り敢えず当座の目標としては、5月頭の模試の前に、
化学と三角比を一通り完成させねば。ほんまに出来んのかなー。疑わしいわよ。

子供には子供の世界がきちんと成立しているのだ、ということを思い出しました。
学校からの帰り道に、まだ幼稚園にも上がってないくらいの小さな女の子と、
その子のお姉ちゃんと思われる幼稚園児くらいの女の子を見掛けた。
妹は何やら怒っている様子で、ずんずん道を進んでいく。
その後ろを一生懸命、姉が何やかやと諌めたりしながら付いて行っている。
それが凄く可愛らしかったのだけど、彼女達が何を喋っているのかは聞き取れない。
しかしそれでも彼女達の間では確かに会話は成立しているのであって、
ただ単にあたしに理解出来ない、というか介入出来ないだけなのだ。

これと同じことを、そうえいば小学校6年生の時にも感じたものだった。
ウチの小学校では6年生が1年生の世話をすることになっていたので、
あたしも当時の1年1組のお世話をしたりしていたが、
我々には理解出来ない言語を彼らが話すので、最初は大変戸惑った。
でも1年生たちの間ではきちんと会話が成立するんだよな……。
幼児語というか、まぁ言わば方言みたいなものかしら。
広島県民の間では広島弁が通じるけど、東北出身者に広島弁で喋っても通じない、みたいなね。

年を重ねて大人になって行けば行くほど、子供の気持ちが理解出来なくなってくる。
それは『子供』から『大人』へと別の生き物になっていく訳ではなくて、
子供の頃の気持ちを忘れていくだけの話だ。
あたしはまだギリギリ十代なので、何とか小学校の頃を思い出してみると、
確かに自分がもう立派な大人とまでは言わなくても、一個人としての自覚はあった。
それなりに自分の頭で考え、行動して、人間関係も築いていた。
子供は何も分からない、とするのは、大人のエゴなんでしょうな。

ところで多分、題名の文法は間違っている。
SCANTYではなくて、FEWを使うんではないかしら。


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東風 [MAIL]

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