早いもので、まぁもう5月。 辛うじて五月病にはなっていないものの、ちょっと似たようなもんではあるかも知れん。 この段階でこんなに疲れててどうするよ……・。 あんまり毎日が瀕死状態なもんで、友人と 「受験生ってのはまったく、存在自体がストレスなんだね」 なんつーことを言ってみた。 言ったところで解決される訳でもなし。 まぁこういうもんなんでしょう。
正戦論、というものを本日は学んだ。 旧約聖書時代の話ですが、その頃戦争とは正しい方法の一つだったらしい。 旧約聖書ってことは、つまりまだユダヤ教の時点ですね。 『平和』と訳されてるもともとのヘブライ語は、 『完全性』とか『十全性』みたいな意味があるらしい。 んでそれは何が完全なのかと言えば、神の意思が。 つまり神の意思を完全なものにする為には、戦争しちゃったり、 果ては敵対する民族などを滅ぼしちゃってもいい、ってことなんですな。 それが正戦論というものらしい。 その昔、サウル王っちゅーのがいて、その人はこれが出来なかった。 女子供まで殺すのが忍びなかったんだね。 しかしそれが預言者の逆鱗に触れて、王の座を追われたらしい。 それを聞いたら、 「なんかちょっとマッドだなー」 と引いてしまったわよ。 そういうのって、本末転倒というか、宗教の目的と手段が入れ替わってる気がする。 かと言って、あたしは正戦論肯定派でもないです、あしからず。
先日、小林秀雄氏の『古典と伝統について』を図書館で自習もせずに読んでいた。 なかなか面白かったよ、評論を面白いと思えたのは初めてかも知れん。 その中でソクラテスに触れてる部分が多かったのだが、 ソクラテスって、キリストに似てるな、とか思ってみた。 大体、ああいう一種悟っちゃった人たちってのは、概ね似た考え方をしてるものだ。 キリストも親鸞も、宗教は違えど、言ってることは同じ。 あたしは幼稚園は浄土真宗、中高はキリスト教な訳だが、 これと言って違和感を覚えずに消化できてるのは、この二者が通じているからかも知れない。 んー、柔軟性に富んだ唯神論ってのは無理なんかなぁ。
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