原案帳#20(since 1973-) by会津里花
★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲

2000年09月17日(日)

★09.17-1・決定版!私が「喫煙」に拘る理由
★09.17-2・愚痴愚痴モード〜ゲシュタルトの祈り



★09.17-1・決定版!私が「喫煙」に拘る理由

at 2000 09/17 08:45 編集

(テーマ掲示板から転載)

--------------------------------

私はときどき、というよりもしょっちゅう、自分のしていることの真意がわからなくて自分に対して戸惑ってしまうことがあります。
そういうときは、周囲にはどうしても迷惑をかけてしまうようですが、そのことにぐたぐたぐたぐた拘っているうちに、ようやく自分の真意や意図がわかってくることも多いです。

で、Westさんのご意見にレスしようとしているうちに、「これが真意なのでは?」という言葉がようやく出てきたので、また新しくスレッドを作って書きます。

------------------------

私自身がもう一度喫煙者になってしまわないように強い心を持ちながら、でも、喫煙する人たちと共存していきたいのです。

私にとって大切な人たちが喫煙者である、ということは、決して「喫煙者だから『大切だ』と思うことを止めたい」なんていうことにはならないのだから。

ただ、このところこうやってじたばた掲示板にやたらと書き込んでいること自体、実は「煙草の禁断症状」とよく似た苛立ちのような気がして怖いんです。

私は決してもう一度喫煙者になってしまいたくはありません。
(決して自分以外の人が喫煙者であることを否定したり排除したりするものではないこと、どうか分かってください;喫煙の文化には魅力すら感じます)
でも、かつて喫煙者だったこともあるためか、伏流煙か喫煙者自身からの影響を受けやすいかもしれないのです。

喫煙者の方にお聞きします。
禁煙しようと努力している人の目の前で、これ見よがしに喫煙すること、どう思いますか?
(きっと「そんな意地悪なことはしない」という人と「それでも平気でいられるようにならなければ、今の社会では禁煙を貫くことができないのではないか、だからそういう試練を与えることは親切だと思う」という人と、意見が別れるのでは?)

どうも私は、「禁煙しようとして意地を張っている」状態に「逆戻り」してしまっているようです。
それが、自分自身に対して、とても悲しく、悔しいです。

そのことだけ、どうか喫煙者の皆さんに分かっていただければ、それだけでもどんなに嬉しいことか。
この上「私の目の前では絶対に吸わないで!」なんて言いません。
(私は元パートナーにずっと言われてましたけどね(^^; そのおかげで止めることができた、というのも、いくらかあると思いますけれど)

「喫煙者vs嫌煙者」みたいな構図で議論が進んできましたけれど、
「禁煙しようとしている人に対して」
という視点で両者が再考したら、いったいどういうことになるのでしょうか?

一方から他方へ「移行しようとする者」に対して「離れられる側」と「受け入れる側」は、それぞれどのように考えるのでしょうか。
このことは、もしかしたら、このHP全体のテーマの一部「性転換」ということにも近似しているのかもしれません。

どうか、できるだけ多くの人のご意見をお待ちしております。

追.
いちおう、念のため

これほどじたばたじたばたしていますけれど、私は自分で喫煙したことは、少なくともここ2ヶ月間はありません。
2ヶ月よりも前はどうだったかと言うと、(現場を目撃した人もいると思いますが)
「お酒を飲むと喫煙してしまうことがある」
という状態でした。
普通は飲酒しても別に喫煙したいとは思わないのですが、隣で誰かが喫煙していると、なぜか
「お酒を呑んでいるときは例外ってことにしちゃえ」
と、判断が鈍ってしまっていたのです。
(これは「飲酒」の副作用……これについても言い出したら、今「喫煙」について堂々巡りに近い拘りが続くのと同じようなことが起きると思いますが、「自己管理が必要」とだけ触れて、今は置いといて)
別に、隣で喫煙している人が悪いのではありません。
おかしな「例外」を作る私の弱さが悪いのです。

今は、「例外」のせいでけっきょくは(習慣的に吸ってしまうことにはなってしまわないものの)完全に禁煙していることにはならなかった、と悔やんでいます。
(だいたい1年に2回か3回は吸ってしまっていた;ここ7年強の間に)

だって。
私がこうやって告白すれば、かなり多くの人が
「なんだ、けっきょく吸ってるんじゃないか。だったらエラソーなこと、言わなければいいのに」
と思ったでしょ?
そのとーり!!!
もう、自分でも許せないのです。

ううん、私はもっと「自由になりたい」のです。
「自分のことを棚上げにする」なんていう苦しみ、できるだけ少ないほうがいいもん。

ふう。
あと、皆さんに改めて考えてもらいたいのは、やっぱり「禁煙」って、とても大変なことなのだ、ということ。

私の好きなバーナード・ショウの言葉を、また引用しましょう。
「禁煙ほど簡単なことはない。なぜなら、私など、今までに何度でも禁煙したことがあるぞ」
……それって、「何度も禁煙に失敗した」っていうことじゃーん!!
やーん、私、そんなの、やだー(;_;)

この記事のトップへ
ページのトップへ



★09.17-2・愚痴愚痴モード〜ゲシュタルトの祈り

at 2000 09/17 14:06 編集

(今回は「男モード」でも「Mモード」でもなく、「愚痴愚痴モード」です。ちょっと、ううん、かなりイヤなヤツになります、私)

(……つい、その人について具体的なことを書こうとしてしまいましたが、それだけは「してはいけないこと」でした。私が「自由を手放す」ような行為を行ってしまってはいけないですよね……)

で、これだけ。

私は、その人に宛てて「ゲシュタルトの祈り」の訳文を送った。
私が全部を引用するのは、著作権上の制約がなくてもよくよくのことなのは、私の手紙の書き方に何度も触れていれば分かるはず。

でも、その人は、そのことについて何も反応を示さなかった。

私が混乱してしまい、まさに読んだ人をも危険な精神状態に陥れるかもしれないようなことを書いた、そのことにははっきりと反応してきたのに。

間違いなく、その人は、私の「マイナス」の部分を増幅するタイプなのだ。

私は、その反応を読むちょっと前に、その文章を削除していた。

でも、それでも目ざとくそういうところに反応してしまうのを見て、とにかくとても嫌だった。

きっと、いつか「あなたのせいだ」と言われるような何かをこの人は引き起こすのではないか、とも思った。

だから、私はその人に「このホームページを見ないで欲しい」と書いた。

そうしたら、その人は、「自分の意思で公開しているくせに人に見て欲しくないのか。見て欲しくないなら閉鎖するのか」というようなことを言ってきた。

#悪いけれど、こういう屁理屈の振り回し方、まるでオヤジだと思う#

私がその人のどういうところにショックを受け、私が示した何を読み取ってほしいか、には何のコメントもなかったのだった。

「ゲシュタルトの祈り」は、今にして思えば、その人への「お詫び」も兼ねていたのだと思う。
けれど、その気持ちは届きはしなかった。

今、私は同じ「ゲシュタルトの祈り」を、自分を慰めるために引用します。

-----------------------------

わたしは「わたし」を生きる。
あなたは「あなた」を生きる。
わたしは何もあなたの期待にこたえるためにこの世に生まれてきたわけじゃない。
あなたもわたしの期待にこたえるためににこたえるためにこの世に生きているわけ
じゃない。
あなたはあなた。わたしはわたし。
もし、二人がわかりあえるなら、それはとても素晴らしいこと。
わかりあえないとしても仕方のないこと。

-----------------------------

アーメン。(=この言葉には「本当に」「全く」「そのとおり」「そうだよね」というような意味があるのだそうです)

この記事のトップへ
ページのトップへ


★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲