- 2001年11月14日(水) 歴史の中の人生 / ジェンダーと「シュミ」 / 他
★1・歴史の中の人生……
(★2は「略」なので本文なし)
★3・男の「シュミ」に女の子を付き合わせる、ということ
★4・私が全て悪い。
★5・レポートは早めに。
★1・歴史の中の人生……
「とあるところ」への書き込みより……
(レスになっているところは加工)
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(レス略)
>西暦で観なければ、歴史の中の親の人生も見えてきませんよね。
うう、私それ実感(^_-;
何度も書いてるけれど、父「明治43年」母「大正9年」私「昭和36年」では
何歳離れているかもわからないんですよね(^^;
(レス略)
たとえば「1910年生まれ」の私の父の人生を歴史に重ねて追ってみると、
0歳(1910):韓国併合
2歳(1912):「明治」から「大正」に改元
2〜16歳(1912-1926)「大正デモクラシー」の中で少年期を過ごす
(この間、父が10歳のときに母が生まれる)
13歳(1923):関東大震災(ただし、当日父がどこにいたかは聞いていない)
16歳(1926):「大正」から「昭和」に改元
徐々に軍国化していく時代の中で思春期を迎える
21歳(1931):満州事変勃発〜満州国成立
23歳(1933):日本、国際連盟脱退
大学卒業するが、すぐには就職できなかったらしい
(「『アラスカ』というレストランでアルバイトした」とか言ってたし??)
25歳(1935):最初の結婚
26歳(1936):2・26事件
長子(=私にとってはいちばん上の兄)誕生
27歳(1937):日中戦争起こる
28歳(1938)、第2子(=次兄)誕生
31歳(1941):真珠湾攻撃〜太平洋戦争勃発
32歳(1942)、第3子(=姉)誕生
35歳(1945):広島・長崎に原爆投下、太平洋戦争終結
地元都市への空襲の中で妻が行方不明になり、
父(=私の祖父)と母(=祖母)を喪う
男やもめのように、残された3人の子を育てながら働く
いったんは行方不明になった妻を死んだものとして葬儀を出す
(その後、確か1950年代の初め頃に妻が実は生きていて、
遠い親戚の家に身を寄せていることが判明。←正確な事実はよく知りません
このとき正式に離婚)
(「妻」=私の兄や姉のお母さんは、実は空襲のどさくさにまぎれて
父の「暴力」から逃げ出したらしいです)
……
48歳(1958)、再婚
51歳(1961):日米安全保障条約(新条約)発効
第4子(=私)誕生
翌年、第5子(=弟)誕生
……
(きりがないのでやめます)
私が過ぎている年齢のことを思うとき、
父が私のその年齢だった頃にはどんなことがあって、
そのとき父はどんなふうに感じたんだろうなあ、などと
よく空想します。
「歴史は繰り返す」ので、よく似た事件が50年の時を経て
まるでトラウマの再演でもあるかのように起きますけれど、
(例:韓国併合と安保条約更新、とか)
ちょっとずつ違うのが「面白い」です。
(例:太平洋戦争とオウム=思想統制事件+阪神大震災=大災害など)
むしろ、違う事件であっても、それを受け止める世代がたまたま「同じ」であれば、
感じ取るものごともまた似ていたのではないでしょうか……
多くの人にとっては、こんな「牽強付会」は「絵空事」にしか思えないでしょう。
でも、私は、私の「初恋の人」、父への思いを、
こんなふうに重ねようとしているのでした。
父の思いを思いたい、という気持ちによって……
歴史への理解なしには父の思いも理解できないなんて、
なんだかちょっとさびしいし、もどかしい気もするのだけれど。
(以下略)
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★2
略(このページが存在することを旧「原案帳」で告知しただけ)
★3・男の「シュミ」に女の子を付き合わせる、ということ
とあるところへの書き込み:
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それにしても、「過去のこと」にしてしまいたいけれど、
「ボクのシュミを理解してくれるっ!! =『ナカマ』だっ!!!!」
という思い込み、すっごく恥ずかしい。
「この子は私の音楽を理解し、共感してくれる!
もしかしたら一生、私と一緒に音楽を続けてくれるかもしれない!
この子と結婚しよう!
(そうすれば私の『性』は永遠に音楽に『翻訳』されつづけるから、
女の子どうしだなんてバレはしない!!!! やったあー♪)」
あーあ、もう……(#-_-#;;;
(禁断のタグ↑……って誰も禁止しちゃいないけど、自戒を込めて……
使いたくなるほどハズカシイ)
こういう勘違い、今までに2度もしてしまいましたよ。
そのうちの1度は、なんと籍まで入れちゃいましたよー……
もちろん、私にとって「音楽」は、
男とか女とかいうこととは関係なく成立するものになっていたし、
だからこそ、私は音楽活動をいちばん盛んにやっているさなかに
「男になる」ことができて、まさにその頂点ともいえるときに
子供をもうけることまでできたんだし……
そりゃいいんだけどさ。
相手にとっては音楽はやっぱり二の次だったわけで。
っていうか、ふつう
「息をするのと同じくらい音楽がないと生きていけない」
なんてこと、ないんですよね。
……まあ、生まれて間もない子供連れてライブとか見に来てくれてたほどだから、
精一杯つきあってはくれたけど。
彼女は私ほど「音楽ではなくなっていた」。
……
あれれ、また自分の愚痴になっちゃった。
しかも、けっきょく懲りてないんじゃないの。
ああ。
「業」だわね。
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男と女の、「シュミ」についての捉え方の違い。
(こういう「違い」をあれこれするのは止めた方がいい、という気がとても強くするのだけれど、
面白いし、なんだか自分の立場からだと見えやすいのかも、とか
思ってしまうので……危険な思い込みだけど(-_-;)
男の捉え方:
「シュミ」は社会とつながるためのツール。
自分が社会性を獲得するためには必須かも。
女の捉え方:
「シュミ」は自己表現のためのツール。
社会性を獲得するのはあくまで自分。
いきなり社会性獲得のツールになってしまうか(=男)、
「自己」というフィルターを通して社会化するか(=女)、
という違いがあるように思えて仕方ありませぬ。
もちろん、女の子にしたって、同じ漫画で盛り上がることができれば
「この人は自分をわかってくれる」
と思うのだし、
男の子だって「シュミ=自己表現のツール」という要素は強いと思う。
ただ、人とつながるのに「シュミ」、それも他の人にはあまりわからない趣味だけでつながろうとするのは、
女の子にはあんまり見られないような気が。
いくら趣味性の強い表現の仕方をしていても、
あくまで表現主体の「自己」のほうに重きをおいているような気がする。
あと、男の子が「レアなシュミ」で人とつながろうとするとき、
なぜか「強引」な感じがして、引いてしまうことが、……
私は、多い。
相手が見えなくなって、「自分の感覚」だけで相手に押し付けてしまう。
そう言っている私も、ときどき、ううん、しばしば、
自分のシュミを人に押し付けているような気がする。
自分のそういう部分が出てくると、なぜか
「おいおい、なんだかテス(トステロン)でラリってるみたいだゼ?!」
と、自分で揶揄したくなってしまうのである。
(あと、けっこう疲れてしまうのであんまり行かないけれど、
「2ch」なんかで書き手が男っぽいタイプか女っぽいタイプかを見分けるのに、
なんとなく上の基準がつかえるような気がする。
女の子が多い「板」は荒んだけなしあいになることが少ないような気がする……
幻想かな、やっぱ?
でも、女の子って、相手が動物的な威嚇を始めた時に、
反撃するよりも回避する傾向が強いのでは?
男がそういう状態に陥ってしまったら、逃げる以外に対処のしようがないじゃん。
とりあえず、男の「怯え」が収まるまで、遠巻きにして眺めるしかないんだもん)
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★4・私が全て悪い。
オフラインの人間関係が、ことごとくつまづこうとしている。
(ええ、ええ、こうやって「括る」のはヲヤヂの性よっ。
なんとでも言えばいーじゃないの。)
「女としてセンパイ」だからって、嫁いびりみたいなことしてるんじゃないわよ、
あのババア。
「男、女じゃなくて人間として」
なんてカッコいいこと言いながら、
けっきょく「女だから」って、何よ!
「他人」だから、たまたま訪れたよその家の
あらがよく見えるんじゃないの。
でも、そのように仕向けているのは、ぜんぶ私。
もう、知らない。
私のことを噂している。
私がどれほど惨めで情けないか、お喋りしてる。
「○外」とか言われるんだ。
ほんのちょっと、治療によくないことをしているだけなのに。
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★5・レポートは早めに。
先週末のレポート、まだ仕上がってなーい!!
とっても貴重な濃い体験をしたというのに。
なんとかしなくっちゃ。
こういう女に、仕事は来ない。
だははははは。
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