私達は人間という種族であって、 私達は地球という引力につながれて、 動揺に宇宙にちらばる原子でできている。
変わらず、繰り返す原子の組換えによって 私達はこの世界に生き物として ここの土の上を歩いている。
今私のもっている鉛筆の原子は、 昔、恐竜だったかもしれないし。 さっき、私の食べたサラダだって、 昔、ただの岩だったのかもしれない。
今、私はキーボードを指でちょこまか打っているけど、 この手だって、 昔は誰かの一部だったかもしれないし、 宇宙のどこかにあったものかもしれない。
人間は、膨大な数の細胞でできているわけで、 死んだ人の細胞はまた原子になって、めぐりめぐる。 それこど膨大な数な原子なんだから、ひとつひとつが 世界全体の人の体の一部になっていることもあるんじゃないだろうか。
肌の色も違うし、目の色も、顔の色も違う人たち。 言葉も通じなくて、考えることも多少食い違って、 まるでまったく関係ない人に思えるけれど、 こんなところで細く、だけどかならずつながってる。
それでも、私達は誰とでも仲良くなれるわけじゃない。 うまの合わない人ってたしかにいると思うし、 意見があわないことも確かにある。 それは、原子には心がないけど、 それが集まって人になった瞬間、「命」が生まれるから。 「命」は必ず、それぞれひとつの「心」をもって、 人はそれぞれ違う者になっていくから。 ・・・命って何でできているんだろう。 血が流れて、心臓が動いて、笑って。 ただの原子の塊、それに生まれる命ってなんだろう。 すごく不思議な感じがする。
心ってそれぞれだけど。みんな共通の想ってある。 「幸せに生きたい」 これは、みんな一緒だと思う。
私達は確かに生きているけれど、 宇宙に目を向けてみると、すべてが何事もないかのように からっぽな感じがする。 その中で、地球という原子のかたまりのなかで 心と心がお互いを消そうと戦ってる。
どうして、どうしてうまくいかないんだろう。
私達は心をもっている。 いままでは「生きよう」とするだけだったけど 心をもったから「幸せに」ということも付け加わった。
幸せは追求してもきりがない。 どこかで妥協しないと、満足はできない。幸せになれない。 その妥協は、「人を許すこと」でもあるかもしれないし、 「我慢に耐えること」なのかもしれない。
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