ふつうっぽい日記
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2002年03月01日(金) |
“オルガンをちっとも弾かなかった先生” |
今日は楽器について少し。今、テーマ掲示板に子ども時代の遊びについて取り上げている。「子どもは何歳から何歳までか?」と言われると、社会的、教育的、医学的、精神的にいろいろ区分があるだろうが、今回の遊びに絡む「子ども」の定義はあっさりと流す。
まあ、幼児及び児童と言われる12歳くらいまでとするなら、小学校時代がメインだろうか。小学校6年間の遊びの変化は、人間としての成長の変化とも言える。そこには、関わる集団がいる。例え、一人でブランコに乗って遊ぶ、一人で縄跳びをして遊ぶ、一人でオルガンを弾くとしても、回りは「集団」になる。
私は小学校5、6年の時、音楽係だった。定番の仕事としては、「今月の歌」をクラス皆で歌うためのオルガン伴奏だった。その他としては、教科としての音楽の授業のための準備の先生の助手的なものだ。音楽係は3、4人くらいいただろうか。4人でオルガンを弾く時は2人がペダルを踏む(左右:計2人)、左手の伴奏1人、右手のメロディー1人だったような気がする。本当は1人でだってペダルを踏みつつ、左手で伴奏をズンチャカ押さえ、右手でメロディーを弾くっていうのはできた音楽係の女子たち。まあ、4人っていうのは違ったのかもしれない。でも、そう言う風に弾いたこともあるし、見たこともあった。昼休みは音楽係の職権を乱用し(?)独り占めして弾く姿も珍しくなかった。担任は男の先生で、オルガンが苦手で(?)音楽の時間の6割くらいは、音楽係が「先生」の代わりをしていた。こういうのが許されていた時代だったのかもしれない。
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大学の単位の一つとして、約10年前に小学校で1ヶ月実習した私。近隣の国立の教育学部では、付属の小学校に実習に“行かされた”らしいが、私がいたところは出身校が原則だった。出身校で実習をするっていうのは、なかなか新鮮だった。私自身が小学生だった時代と何もかも比べた。すっかり立て直された講堂、シンセサイザーが設置されて弱ったオルガンのない音楽室、私の時代にはなかった学内テレビ放送施設。昔とちっとも変わってない遊具施設、なんだかひときわ清潔な職員室の横の来賓用トイレの雰囲気は同じだな、などと初日は思い出と対話したような感じだった。
実習生は、子どもたち(児童)のカッコウの遊び相手となる。幼稚園でも2週間程、実習を体験したが、その時は“人間遊園地”状態だった。体力は幼稚園でも小学校でも同じくらい消耗するのだが。昼休みは前半は、やはり、担当クラスの児童と行動をともにした。でも、一つの集団で一つの遊びをしている訳ではないので、関わり方には気を使うところがある(あたりまえのことだ)
男子児童は運動場でドッジボールやサッカーをし、また、教室で漫画を書いたり、本を読んでいたり、じゃれあっていたり(笑:小学5年生)、女子は、これまたグループが細分化されている時もあれば、まとまっている時もあったり、好奇心旺盛だけど、すぐに飽きてしまうような感じ。でも、今も昔も変わらないと(当時)思ったのは、オルガンを弾いている子がいることだった。低学年の教室でもオルガンを弾いている音がよく聴こえていた。
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無事に実習を終えて、担当の先生に自分の小学校時代の音楽の授業について少し語った。担任の先生はちっともオルガンやピアノを弾かず(ピアノ以外でもギターを弾いたというなら別だが、それさえも…)、音楽係に任せていた、と。「今の教育では考えられない」と言われたのは無理もない話だが、今や“オルガンをちっとも弾かなかった先生”は校長をしているという。機会があれば、訪ねて世間話をしてみたいものだ。ちなみにその“オルガンをちっとも弾かなかった先生”とは今でも年賀状のやりとりをしている。
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